「イタタタタ!ちょっと!離してくださいよっ!」
大きな図体をした子供が、完全に堪忍袋の緒を切らした副長によって、屯所の廊下を引きずられていく。
まだ大した仕事もないので、のんびり碁をさしていた原田と永倉は、その様子をまじまじと見送った。
総司のいたずらは今に始まったことではないし、その度に副長殿が怒鳴り散らしているのもまた日常茶飯事であったが、最近では…というより、京に来てからめっきり減っていた。
それに、副長があそこまで怒るのはかなり珍しい。
体格差からして、例え襟首を掴まれていようと総司ならすぐに逃げ出せるであろうに、今の総司は完全に怯えて萎縮しきっていた。
顔色もいつになく青ざめているなぁと、永倉と原田は目を見合わせた。
「ありゃ、ただ事じゃねぇな」
「総司の奴、何をやらかしたんだか」
「副長さんが怒鳴りもしねぇってことは、本気でキレてるって証拠だよな」
「あーおっかねぇなぁ」
「ありゃ、下手すりゃ人を斬りかねないぜ」
あの、広間の前を横切った時の、副長の殺伐とした雰囲気を思い出して、二人はぶるぶると身震いした。
*
ドサッと硬い土間に転がされて、総司は受け身を取る間もなく、もんどり打って頭を強打した。
「ぃったぁ!」
すかさず起き上がろうとして胸ぐらを思い切り捕まえられ、その力の強さに総司は怯えて身を捩る。
「うぅ……」
ぶつけた頭の痛みに総司が悶絶していると、土方は立ち上がって総司を冷たく見下ろした。
「暫くここにいろ。じゃねぇと俺は、お前に何をするか分からねぇ」
土方は視線と同じように凍った声で言い放つと、自らの足に縋りつく総司を乱暴に振り払って、土間――もとい敵をひっ捕らえてきた時にのみ使用する拷問・拘束部屋――を後にした。
「待って!土方さん!」
そして、総司が叫んでいるのにも構わず、部屋の木戸に外側から閂をかける。
「土方さんっ!ごめんなさい、ごめんなさいぃっ!」
「理由も分かってねぇくせに、謝るんじゃねぇ!」
「分かってる!忙しい時に、僕が芹沢さんと島原で遊んでたから怒ってるんでしょ!?」
「…その調子じゃ、まだまだそこから出られそうにねぇな」
「っ分かんない!ごめんなさい!許してくださいっ!土方さぁんっ!」
「……………」
「お願いっ!!土方さん!開けてください!ねぇ、そこにいるんでしょっ!?」
「ぎゃあぎゃあ喧しいんだよ」
「ふぇぇ――…っ…開けてよ…ここから出して…ぇ…!」
「俺にめちゃくちゃにされてもいいのか?」
「いいっ!いいからぁ……お願いぃっ…」
「無理だ。俺は腹の虫が収まりそうにねぇ」
内側から、総司が扉を叩きまくっている。
「いやだぁ…こんなとこいやだぁぁ!……お願い…出してよぅ…」
「…縛られなかっただけありがてぇと思うんだな」
それから土方は、泣いている総司を無視すると、その場から立ち去った。
後には、異様なほどに静かな静寂のみが残された。
「ふぐっ……えーん……ぐすっ」
総司はずっと、固く閉ざされた扉に縋って泣いていた。
あそこまで怒る土方は見たことがない。
自分を虐めていた兄弟子たちを怒鳴りつけた時も相当怒っていたが、あの時は怒っている対象も理由もはっきりしていたから、そんなに怖いとは思わなかった。
今は確実に自分に対して怒っているし、何が理由かも分からない所為で、土方がいつになく怖く思えた。
土方が何故あそこまで怒っているのか、さっぱり分からない。
てっきり島原なんかで現を抜かしていたことに腹を立てているのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。
しかし、京に来てからは、浪士組の不安定さや副長の多忙ぶりを考慮して、ほとんど土方に絡んでいなかったはずだ。
余計なちょっかいは出していないし、江戸からわざわざ持ってきたらしい豊玉発句集にも触れていない。
本当はそれが無性に寂しかったのだが、散々反対されたにも関わらず、自分の我が儘で京までついてきてしまったことを思うと、とても邪魔なんてできなかった。
お荷物にならないように。
江戸に帰れ、などと言われないように。
出来るだけ我が儘も言わず、いい子にしていたつもりだ。
今日だって、近藤の役に立つために、芹沢について行って、島原の見世に顔を出してきたところだった。
それで酔っ払った芹沢を介抱しながら帰ってきたところを、土方に捕まえられたのだ。
総司としては、お互いを目の敵のように思って、どうしても確執の取れない芹沢と近藤…というよりは芹沢と土方が、これ以上拗れて厄介なことにならないように、何故か気に入られているらしい自分が芹沢に取り入ることで、それを回避しようとしていただけだった。
本当は、横暴ばかりの芹沢のことはあまり良く思っていないし、島原にだって行きたくはない。
しかし芹沢と上手く会話できるのは、試衛館組では自分くらいなものだからと思って、仕方なくしていることだった。
そうすれば、財力もあり、会津藩にも顔の利く芹沢なら、何かと近藤の役に立ってくれるだろうと思ったのだ。
しかし、土方はそれをちっとも分かってくれない。
いつまで経っても認めてくれない。
それが無性に悲しかった。
今まで剣だけで生きてきたようなものだ。
総司には剣しかなかったし、自分はそれだけでいいと思っていた。
今京で起きている動乱に関しても、実際問題として、感覚的に捉えているだけで、尊皇だ攘夷だ言われても、あまり実感が湧かない。
殿様は守る、敵は殺す、自分は近藤や土方の言うとおりに動けばいい。
そういう単純な思考しかなかった。
だから、役立てることがあるのなら、少しでもやりたいと思っただけのだ。
それなのにそれを分かろうとしない土方が、恨めしくもあった。
でも、何よりも辛いのは、好きな人になじられているというその事実だ。
嫌われたかもしれない、もう自分なんかに用はないのかもしれないと、そう考えるだけで身体が震えた。
総司は声を押し殺そうともせずに、わんわん泣き続けた。
何回も扉の向こうを人が通ったが、恥ずかしいと思う余裕すらなかった。
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