短編倉庫 | ナノ


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土方先生が結婚しているのは周知の事実だった。


確か結婚したのは僕が中一の頃で、全校集会の時かなんかに言われたんだけど、その頃僕は土方先生なんて全然知らなかった。


女子が色めき立つ先生、というのだけは何となく小耳に挟んでたけど、顔と名前が一致したのはそれから一年も後のことだ。


初めての授業の時に、なるほど、と思った。


こんな顔をしてるから、女子は結婚の報告にあんなにがっかりしていたのか、と。


おまけに授業は分かりやすいし、(怒ると怖いけど)優しいしで、女子だけでなく、男子にまで人気だった。



中二で初めて習って、それから四年後の高校三年生の時、土方先生は僕の担任になった。



思えば、中二の頃から、既にこの恋は始まっていたのかもしれない。


確かに先生としてはずっと好きだったけど、自分では、それ以上でもそれ以下でもないと思っていた。



でも、何故か先生の薬指ばかりが気になった。


結婚して五、六年立つのにまだ外されない結婚指輪を見ては、男性、しかも教師なのに珍しいと思ったりして。


授業中も気付けば先生の左手に目がいっていて、右手で書かれる黒板の文字なんて全く見ていなかった。



先生の一挙一動が気になって、奥さんのことがひたすら羨ましくて、―――羨ましい?


―――そう思った瞬間に、もう誤魔化しきれないなと悟った。


これが"好き"以外の、何の感情だと言うんだ。


僕は土方先生が好きだったんだ。



その時初めて、僕は女子が羨ましいと思った。


僕には、好きになる資格すらないから。

好きだと告げることすらできないから。



土方先生は紛れもなく男で、僕もまた、下を向けば男である証がついているわけで。


別に好きになっちゃいけないわけじゃないだろうけど、相手は既婚で、しかも教師なんだ。

まず報われないであろうろくでもない感情を抱いてしまった自分が腹立たしかった。



いつから僕は先生を好きになったんだろう。



今となってはよく思い出せないきっかけを探しながら、僕は空を見上げてぼんやりと突っ立っていた。




その日は台風が接近中で、バケツをひっくり返したようなザァザァ降りだった。



「傘、ねぇのか?」



あまりにも酷い大雨に困り果て、僕が昇降口で立ち往生していると、早めにご帰宅らしい土方先生に声をかけられた。



「あ……」



僕は答えに詰まった。



傘は持っていた。

台風が来ているのに持ってきていないわけがない。


だけど、壊れてしまっていた。


今朝の登校時の強風で、骨組みが折れてしまったのだ。



仕方なくそれを土方先生に見せたら、これじゃあさせねぇよな、と苦笑された。



とりあえず駅まで一緒に帰ってくれることになって、断る理由もないので、僕は土方先生にぴったりとくっついて、先生の髪の毛と同じ、真っ黒な傘の下で俯きながら下校した。



時々光る、傘を持つ左手のシルバーリングが目に眩しかった。


ごてごてした飾りの一切ついていないそれは、土方先生にはよく似合っていた。



何を話したかはほとんど覚えてない。


多分、勉強がどうのこうのってことだったと思う。


頑張っているのかとか、大学はどうするんだとか、学校は楽しいか、とか。


そういう当たり障りのない会話をしながら、柄にもなくがちがちに緊張して、萎縮しきっていたことだけははっきりと覚えている。


あまりにも土方先生との距離が近すぎて(多分人生で一番密着していた)、会話どころじゃなかったんだ。


地面に叩きつけられる雨水が泥と共に跳ね返っても、スクールバッグが変色するくらいびしょ濡れになっても、全く気にならなかった。


ただ、隣の温もりだけが、どうしようもなく気になって。


自分が濡れるのも構わず、僕の方に傘を差し掛けてくれる先生が優しくて、相合い傘なんていう恋人じみたことをしているのが嬉しくて。


台風なんて正直どうでもよかった。


ものすごい雨音の中でもしっかり聞こえる土方先生の声が耳に心地よくて、この声を毎日聞いている奥さんは幸せだなとか、そんなことばかり考えていた。



駅に着きたくなくて、ワザとゆっくり歩く僕に、先生は気付いていたのだろうか?


やがて蛍光灯のやけに明るい駅に着いたとき、先生はびしょ濡れのスーツを見て溜め息混じりに言った。



「お前何線だ?」



僕は知っていた。


先生の家と僕の家は、すっごく近いんだ。



「先生と同じです」


先生は少し驚いていた。


「そうだったのか。駅はどこだ?」

「それも先生と同じです」



定期券をさっとかざして、改札を通り抜けながら僕は言った。



「嘘じゃねぇだろうな?」


ホームへの階段を上りながら、土方先生は僕を訝しげに見た。


「やだなぁ。こんなすぐにバレるような嘘を、僕が吐くわけないじゃないですか」

「まぁ、そう言われてみりゃあそうだよな」



ホームは、同じように濡れそぼった帰宅途中のサラリーマンや学生でいっぱいだった。


電車を待ちながら、土方先生を独り占めしていることを、僕は思う存分楽しんだ。



「近くに住んでるのに、一回も会ったことはねぇな」

「そうですね…土方先生って神出鬼没なはずなんですけどね」

「お前そりゃどういう意味だよ」



純粋に、楽しかった。


土方先生は完全に僕に付き合っていただけで、早く別れてウォークマンを聞きたかったかもしれないけど、それでも僕の話を聞いてくれることがすごく嬉しかった。




―|toptsugi#




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