「宗次、」
土方は宗次郎の部屋の襖を開けた。
「何だよ、いねぇのか」
決して広くはない部屋の中に、宗次郎の姿は見当たらなかった。
部屋の中央には、もぬけの殻となった布団が敷きっぱなしになっている。
余程寝相が悪いのか、布団はかなり乱れていた。
「ったく、朝飯だってのに、どこ行きやがったんだ?」
諦めて部屋を立ち去ろうとした時、ふと、中途半端に隙間の開いた押し入れが目に付いた。
「………」
何となく勘が働いて、土方は押し入れへと歩みよる。
そして、一息に押し入れを開けた。
「…いねぇか」
てっきり隠れているのだと思ったら、中には布団が積まれているだけだった。
拍子抜けして、押し入れを閉めようとする。
しかし、微かに聞こえた吐息の音を、土方は聞き逃さなかった。
「宗次?」
土方は綺麗に納まった布団を、押し入れから引っ張り出した。
すると、一体どうやって隠れていたのか、今まで布団の詰まっていた場所の奥から、宗次郎が現れた。
「そ………」
何してやがる、と怒鳴りかけた声を、土方は思わず引っ込めた。
宗次郎が、肩を震わせ、目を真っ赤にしながら啜り泣いていたからである。
「宗次?…一体どうしたってんだよ?」
いつも自分に突っかかってくる、あの小生意気でこまっしゃくれた態度からは想像もできないほど、宗次郎は弱々しく、あどけない姿だった。
大体、宗次郎の涙を見るのはこれが初めてだ。
暫し呆然として、押し入れの奥に縮こまる宗次郎を見つめる。
「何だ、怖い夢でも見たのか?」
少しおどけて言ってみても、宗次郎は反抗もせずに、ただ弱々しく泣いているだけだった。
「……見ない、で…」
これまた初めて聞く、宗次郎のか細く掠れた声に、土方は驚愕する。
「お前…そんなところで何して…」
「いいから見ないでください!」
態度こそいつものように、全身で土方を突き放すものであったが、その声は震え、どこまでも威力がない。
「も…あっち行ってよ………」
言いながら、宗次郎は顔を抱えた膝に埋める。
その肩は相変わらず震え、微かに啜り泣く声も聞こえている。
「っお前阿呆か?こんな姿見ちまって、放っとける訳がねぇだろうが!」
少々荒い声で土方が怒鳴ると、宗次郎はびくっと震えて、益々縮こまった。
いつも憮然として、土方にも臆することのない宗次郎からは、全く想像もつかない姿だ。
何か尋常ではないことが起きたのは明白だった。
土方は手を伸ばすと、嫌がって押し入れの更に奥へと逃げようとする宗次郎を、強引に抱き上げた。
「っ触らないで!!」
「聞けねえ相談だな」
「嫌ですっ…離してください!」
腕の中でじたばたと暴れる宗次郎を、畳の上へそっと抱えおろす。
「や、だ……見ないで…………」
まるで猫のように丸くなって、身体を抱きかかえる宗次郎を、土方は訝しげに見つめた。
「お前……それ、どうしたんだ?」
それ、というのは、宗次郎の首にできている鬱血痕のことである。
「…何でも、ない………」
宗次郎は顔を上げようとしない。
土方は苛立って、宗次郎の肩を鷲掴むと、その顎をくいっと上げさせた。
「っ…やめっ………!!」
「……宗次…」
先ほどまでは押し入れが暗かった所為で分からなかったが、宗次郎の顔には、ひっかいたような無数の赤いミミズ腫れが出来ていた。
そればかりではない。
宗次郎の鬱血痕は首だけでなく鎖骨やその更に下にまで広がり、着ている着物は、大きくはだけてしまっていた。
「……何があった」
「……………何も」
「答えろ!お前一体何されたんだよ!」
土方の怒声にいちいちびくつく宗次郎に苛立ち、土方は怒りを押し殺した。
「質問を変える。これは兄弟子たちの仕業か?」
「…………」
みるみるうちに、宗次郎の目に涙が溢れ、ぽたぽたと零れ落ちる。
それでも答えようとしない宗次郎を、土方は乱暴に押し倒した。
その瞬間、宗次郎の顔が恐怖に染まる。
「やっ……」
暴れる宗次郎を押さえつけて、土方はその着物の裾を託し上げると、足を左右に割開いた。
「っお前…………」
宗次郎の太腿から臀部にかけて、無数の傷が付いていた。
まるで、無理やりに割かれて切れたような傷が、生々しく瘡蓋を作っている。
それも、一つや二つではない。
古傷が裂けたような真新しい傷も含め、宗次郎のそこは傷だらけだった。
何があったかは明白だ。
その無惨な様子を見て、土方は色を失った。
兄弟子たちが宗次郎を虐めている、というのは聞いてはいたが、まさかここまで酷いことをしているとは思ってもいなかった。
「おぃ……」
宗次郎は、諦めたように泣き続けている。
「いつからだ」
宗次郎をこんな目に合わせた兄弟子たちに対する怒りが抑えきれず、思わず尖った声が出る。
「……土方さんには…関係、ない…っ」
「あるんだよ!」
しゃくりあげる宗次郎を抱きかかえると、尚も抵抗する宗次郎を制して、土方は着物をちゃんと直してやった。
「…ぐす……ひっく……ぇ」
涙が止まらない宗次郎を、土方はそっと抱き締めてやる。
すると宗次郎は、もう抵抗してこずに、されるがまま、ただ泣きじゃくっていた。
「……」
決して仲は良くない。
いつも宗次郎は、自分に敵意剥き出しの視線を送ってくる。
それでも、背伸びばかりして、何でも自分で抱え込もうとするこの小さな弟のことを、土方はいつだって心配し、気にかけていた。
本音や我が儘を言ったことはないし、大好きな近藤にですら常に気を使っている。
こんなに子供らしくない子供を見るのは、土方は初めてだった。
それが家庭の事情の所為なのか、はたまた他に訳があるのかは分からないが、土方は、いつか宗次郎に、本音を言わせてみたいと思っていた。
それが今、自分の目の前でわんわん泣いている。
初めて見る宗次郎の涙は、即ち初めて宗次郎の本心を覗き見ているようで、土方は新鮮な驚きを持ってそれを眺めていた。
「なぁ、宗次」
頭を撫でてやりながら、土方は出来るだけ優しく言った。
「泣いてるだけじゃわからねぇだろ?」
訳を話してくれ、じゃなきゃ阻止できることもできなくなる、と諭した。
「俺は別に、誰にも言ったりしねぇよ」
すると、宗次郎が涙に濡れた目を上げた。
それを見て、睫毛が長い、と全く関係のないことを考えた。
「…言わない………?」
「あぁ、言わねえよ」
すると、宗次郎は腹を決めたのか、訥々と話し始めた。
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