夏バテしたのか、食中りしたのか、最近どうも調子が優れなかった。
何となく身体が重くて、始終むかむかする。
何か悪いものでも食べたかな、と思いを馳せれば、子供に貰った草饅頭だの、近所のおばさんがくれた佃煮だの、心当たりが多すぎて何ともいえない。
(あ、そういえば、昨日はかき氷まで食べたんだった)
昨日は、壬生寺の境内へと遊びに来た子供たちを連れ出して、巡察も兼ねて出店の多い参道の方へ出かけた。
子供たちは天麩羅を強いったけど、こんな暑い中でそんなものは食べたくなかったし、かき氷屋のおじさんと知り合いだったから、話ついでに一杯買った。
(それでお腹が冷えたのかなぁ)
しかも、普段なら、食べ過ぎないように保護監察役の土方さんが見張っていてくれるのに、今は出張中でそれもない。
つい、鯨飲馬食してしまった。
具合が悪いのを口実に自分に言い訳して、自室でごろごろしながら考える。
昨日も今日も非番だし、もし隊務があるのなら、こんなところで油を売ってはいない。
やることもないし、暑いし、何となくだらだらしていたかったのだ。
暇。退屈。だけど体調も芳しくない。
状態は心身共に最悪だった。
「そうじー!」
その時、廊下から平助の呼ぶ声が聞こえた。
「いいよ、入って」
すぱっと襖が開く。
普段はあまり人を入れたがらないけれど、今は追い返す気力もない。
「そうじ、……ってアレ?どうしたんだよっ?!」
「ん〜……夏バテ、かな…」
「まじかよ!どっか悪いのか?」
「んーと、お腹が痛くてむかむかする」
「それってさ、夏バテじゃなくて食中りなんじゃねえの?」
「うん、僕もそう思う」
「何だよ〜、総司今日夕飯当番なんだぜ?」
「え?ほんとに?」
「嘘なんかつかないし!何時まで経っても厨房に来ないからさ、どうしたのかと思って見に来たんだよ」
「うーん……わかった。今行く」
怠い身体を起こすのに必死で、遅れたことを詫びるのも忘れていた。
「大丈夫なのか?」
「うん、多分」
ずるずると死に神のように厨房まで歩いて行くと、調理台の上には、開かれた鯵やら洗い終わった野菜やらがずらりと並んでいた。
そして、火にかけられた土鍋からは、仄かに出汁の匂いが漂ってくる。
「う…………」
匂いを嗅いだだけで思わずもどしそうになって、慌てて流しに駆け寄った。
「えーっ!?ちょっ!総司??大丈夫かぁっ?」
「う〜……ダメかも………」
「"かも"じゃなくて絶対ダメだろ!顔が土みたいだぜ?」
「土みたいじゃなくて、せめて土気色って言ってよ…何か傷付くじゃない」
「………もー、仕方ないから、夕飯当番は俺が代わっといてやるよ!そこらへんにいる新八っつぁんとか引っ張ってきて、手伝ってもらうし!」
「ごめん平助…」
「総司ならいいよ。気にすんなよな!だけど、これ貸しだからな?」
「うん、そのうち返すかもしれない…」
「え、ちょっと!ちゃんと返せよ!!?」
平助の言葉には適当に返事をして、死にそうな吐き気を抱えて、ふらふらと部屋まで戻った。
誰かとすれ違った気もするけど、記憶がないくらい朦朧としている。
やばい僕死んじゃうかも。
布団の上に倒れ込みながら、そう思った。
*
夕餉の時間になっても、部屋を出ることはできなかった。
というより、食欲がない。ご飯の匂いも嗅ぎたくない。
部屋でじっとしているのが一番だと思った。
「総司?」
どれくらい時間が経ったのか分からないが、少しうとうとしていると、襖越しに土方さんが呼んでいた。
「あれ?もうお帰り?」
今回は2日で戻ってきた。
早い早い。偉いな、土方さん褒めてあげる。
「お前、大丈夫か?」
すー、と遠慮がちに開けられる襖が焦れったくて、思わず上半身を起こした。
そして、月明かりにほんのりと照らされた、土方さんと目があった。
「あ……………」
わかった。わかっちゃったよ、僕。
何の所為って、土方さんの所為だったんだ。
「…なんだ?」
凝視されて居心地が悪いのか、土方さんの眉間に皺が寄った。
「帰ってすぐ、平助の奴に、総司の具合が悪そうだったから寝てろって言った、とか何とか言われてよ…吃驚したじゃねえか」
土方さんは極度の心配性かつ過保護なおじさんだから、様子を見にきたらしい。
「どこが悪いんだよ」
「大丈夫ですよ。ただの悪阻だから」
「そうか?…ならいいんだが、心配させるんじゃねえよ………って、悪阻だと????!!」
土方さんは大袈裟なくらい吃驚してくれた。
からかいがいがある、というものだ。
「匂いだけじゃなくて、食べ物を見ただけでも吐き気を催すなんて、悪阻以外考えられませんよ。僕、とうとう孕んじゃったみたいです」
あははと笑うと、土方さんは、絶対に有り得ない、だけど冗談に聞こえねえ、と堅い表情の下で一人悶々しているようで、すごく面白かった。
「土方さん、責任とってくださいよ?」
「…お前は俺に一体何を求めてるんだよ」
「あったかい家庭?」
「あのな、男は絶対ぇ孕めねえの!馬鹿か、お前は」
なぁんだ。
土方さんの顔を見た途端、絶対これは悪阻だって閃いたんだけど。
「ちぇ。バレたか。つまんないの」
「バレるも何も端から信じてねえよ」
「うそ。半信半疑だったくせに」
土方さんは、"お前本気で言ってんのか?"という顔で大きく溜め息をついた。
「で?本当はなんなんだよ。夏バテか?」
「うーん……それがよく分からなくて」
取りあえず、吐き気と腹痛を報告した。
「どうせ俺がいない間に馬鹿食いしたんだろ」
「うーん、悔しいけど否めない」
「何か悪いモンでも食ったか?」
「えっと…お饅頭に佃煮にかき氷に…」
「ったく…お前は何でも食い過ぎなんだよ」
「でも腐ってるかどうかくらい確かめますよ?……猫にあげてみて」
「お前なぁ…それで、もう大丈夫なのか?」
聞かれてみて、初めて考えた。
もう気持ち悪く…………ない!
お腹も痛くない!
相変わらず気温が高い所為で、身体はかったるいけど、さっきまでの気分の悪さはもう感じられなかった。
「多分、土方さんがいなかったから具合も悪くなっちゃったんですよ」
「そうかよ………ま、良くなったならいいけどな」
ほら、と土方さんが懐から何かを取り出した。
「なに?」
「薬」
「え、いらない」
「苦くねえよ」
「…そうなの?」
遠慮がちに包みを受け取ると、中に入っていたのは金平糖だった。
「え?これ、薬?」
「土産ともいう」
「僕に?」
「うん」
「わあ!ありがとうございます♪」
まさかこういう展開になるとは思ってもいなかったし、完全に意表を衝かれた。
「石田散薬でも押し付けられるのかと思ったじゃないですか」
「残念ながら、もうあれは売ってないんでね」
一粒食べようとして、またハッと気がついた。
「あ………」
「今度はなんだ」
「思い出した……僕、土方さんの部屋にあった羊羹を食べたんだった」
「何だって?」
「出張に行く前、食べてたでしょ?あれの残り、勿体無いなって思って食べちゃいました」
「何時?」
「昨日です」
みるみるうちに、土方さんの顔が険しくなった。
「おま……馬鹿か?!このくそ暑い中で、丸々1日放置されてた羊羹を食べたってのか?……馬鹿だろ!」
「あ〜、やっぱりあれ腐ってたんだ」
これではっきりした。
具合が悪くなったのは、あの腐った羊羹の所為だったんだ。
「やっぱり、じゃねえんだよ!当たり前だろうが!」
土方さんが呆れたように溜め息をついた。
「あ、じゃあ結局土方さんの所為じゃないですか!悪阻じゃなかったけど!」
土方さんが部屋に放置しておくからいけないんだ。
「おめえが何でも食うのがいけねえんだろ!」
「やっぱり責任とってくださいよ」
「嫌だよ。何で俺が…」
「2日ぶりに抱いてください」
「はぁ?責任て、それ……」
「いいから四の五の言わずに抱いてくださいよ。そしたら本当に孕めるかもしれないでしょ?」
「そりゃまず無理だな」
「じゃ、汗かいて夏バテを治すから抱いてください」
「ったく、仕方ねえな」
土方さんはさも仕方なさそうに僕を組み敷いたけれど、その目の奥が爛々と光っていたのを、まさか僕が見逃すわけがない。
結局、抱きたかったのは土方さんの方だったと思う。
でもやっぱり、具合が悪くなった一番の原因は、土方さんがいなかった所為じゃないかな。
土方さんがいないと、どうも調子が狂うんだよね。
……まあ、悪阻じゃなかったのも、相当残念だけど。
身体の中に土方さんの熱を感じながら、本当に孕めたらどんなにいいだろうと、ちょっと考えた。
20110624
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