「ほ、ほ、ほーたるこい」
宗次郎は、水に砂糖をとかしたものを桶に入れて、零さないように運んでいるところだった。
「この辺りでいいかなあ」
土方なら知っていそうだし、本当は土方に聞きたくて堪らないのだが、生憎と最近は姿を見ていない。
恐らく、薬の行商が忙しくて、おちおち試衛館に入り浸ってもいられないのだろう。
近藤さんも井上さんも出稽古で忙しいし、手間をかけさせるわけにもいかないので、暇を持て余していた宗次郎は、一人で蛍を見に行くことにしたのだった。
「ほたるさん来い来い」
宵闇が辺りを包み込んで、昼間の暑さを払拭するかのように、ひんやりとして心地よい風が吹いている。
いざ、近所の河原までやってきたのはいいが、まだ時間が早かったのか、なかなかあの淡い光が飛び交うのを見ることができないでいる。
仕方なく、一度道場まで戻り、砂糖水を用意してみた。
「ほたるさんは甘い水が好きなんだよね」
そんなような歌があった気がして、宗次郎は健気にも、先ほどから砂糖水の入った桶とにらめっこしながら、ずっと蛍の来訪を待っているのだった。
「あれ?宗次郎は?」
その頃試衛館では、稽古が終わって夕餉の支度をしていた近藤が、宗次郎の姿が見えないことに気づいて、井上と探し回っているところだった。
そこへ、行商帰りの土方が姿を見せる。
「おお、トシ!久しぶりじゃないか」
土方は、照れたようなばつの悪い笑みを浮かべた。
「いや…姉さんが煩くてよ」
「おのぶさんが?」
「普段からろくに働きもしないくせに、行商に行ったって大した成果をあげられないのかだのなんだの。煩いったらありゃしねぇ」
「それで、沢山売れたのか?……石田散薬は」
「まあ、ぼちぼち。俺だって言われっぱなしは悔しいから、ちっと遠くまで足を延ばしてみた」
「そうか。トシは偉いなあ」
「かっちゃんこそ…いつもいつも行商帰りは泊めてもらって、すまねえな」
「いやいや、遠慮はいらんよ。いくらでも泊まって行ってくれ」
「ところで、宗次の奴が見当たらねぇんだが」
土方の言葉に、近藤がハッとする。
「そうそう、そうなんだよ。宗次郎が先ほどからいなくてね。今、井上さんと探していたところなんだよ」
「ったく、どこ行きやがったんだよ、あの馬鹿は」
「疲れているところ悪いが、トシも一緒に探してくれないか?」
「いや、別に構わねえよ。どうせあいつがいねぇと、夕餉が始められねぇんだから」
土方は踵を返すと、試衛館の外へと出て行った。
「ほたるさん来ないなぁ」
宗次郎は、相変わらず河原にしゃがみ込んで、じっと蛍を待っていた。
去年の今頃、近藤さんが連れてきてくれた記憶があるから、時期尚早などということはないはずなのだ。
しかし、蛍は一向に姿を見せない。
「それとも、砂糖水が嫌いなの?」
宗次郎は、桶に指を突っ込んで、水を一かきした。
その時、不意に美味しそうな匂いが鼻を掠めた。
「あれ?なんだろう…」
そして、夕餉の時間を忘れていたことに気がついた。
「あ!どうしよ!」
宗次郎は、桶もほっぽりだしたまま、大慌てで土手を駆け上がった。
「あっ!!?」
その時、土手の上の道から、俄かに声が上がった。
宗次郎はぎょっとして振り返る。
「宗次ィ!こんなところにいやがったのか!」
「とし…さん?」
暫く見ていなかったその顔を認めて、宗次郎が破顔する。
「としさん!!としさんだ!」
「としさんだ、じゃねえ!おめぇどんだけ探したと思っていやがる!」
声色と正反対の優しい手つきで宗次郎を引き寄せる土方に、宗次郎はぎゅっと抱きついた。
「何でとしさんがいるの?薬のぎょーしょーは済んだの?」
弾んだ声で嬉しそうに尋ねる宗次郎を見て、土方は怒る気が失せていくのを感じた。
「……そうだ。それでおめぇを探しに来てやったところだよ」
「…ごめんなさい。つい夢中になってしまって…もう、夕餉の時間?」
「おう。かっちゃんも井上さんも待ってるぞ……っておめぇ、一体何に夢中になってたんだ?」
手を繋ぎ、試衛館までの道を戻りながら不思議そうに聞く土方に、宗次郎は悲しそうに目を伏せながら答えた。
「あのね?……ほたる、見たかったんだけどね、来なかったの」
「蛍だぁ?」
「そう。せっかく甘いお水まで用意してあげたのに、来なかったの」
「甘い水……?」
「うん。砂糖水、僕が作ったの」
宗次郎の言葉に、土方は唖然とする。
そして、暫し沈黙したあと、不意に笑い出した。
「あっはっはっ!宗次、甘い水ってのはなぁ、砂糖水のことじゃねぇよ」
言いながら、さもおかしそうに笑い続けている。
「あ!じゃあ、水飴のこと?」
「ばっ…違ぇよ。綺麗な水のことだよ」
「きれいな水?」
「そうだよ。蛍は清水じゃねぇと生きられねぇからな」
「じゃあ、あそこはきれいなお水じゃなかったから来なかったの?」
「どうかな……もっと上流の方がいいんじゃねぇか?」
がっかりしたように肩をすくめる宗次郎の頭を、土方がわしゃわしゃとかき混ぜた。
「よし!んじゃあ、夕飯食ったら、一緒に蛍を見に行こう!」
「ほんと!!?」
「ああ、みんなでまた見に来ればいい。今度はもっと上流で、な?」
「うん!じゃあ、約束ね?」
「おう」
すると、宗次郎が急に足を止めた。
「としさん」
「なんだ?急に」
「なんか、僕に隠してるでしょ?」
「あ?」
「さっきね、河原にいたとき、美味しそうな匂いがしたの」
「はぁ…」
「でね?釣られて土手の上に上がってみたら、としさんがいたの」
「………」
「でね、今はね、そのいい匂いが、としさんからするのだけど…」
「………」
「…としさん?」
疑うように顔を覗き込んでくる宗次郎に、土方は思わず顔を背けた。
「あー!!としさん!何か隠し事してるでしょ!隠し事はいけないんですよ!」
「ンだよ。おめぇは俺の嫁かよ」
「いいから早くかんねんして出してくださいよ!なんの食べ物を隠し持ってるんですか?」
半ば強引に詰め寄る宗次郎に、とうとう土方は観念して、懐からみたらし団子の包みを取り出した。
「ほらよ」
「うわあ!!みたらし団子だ!」
「おめぇ好きだろ?土産だよ」
「えっ?これ、僕にくれるの?」
「何だよ。散々欲しがっといて、いざやるって言うと遠慮すんのか?」
「ううん!!としさんありがとう!」
喜色満面の笑みを浮かべて手を伸ばす宗次郎に、土方も満ち足りた気分になる。
しかし、土方は包みを持つ手をさっと高くあげてしまった。
「おっとぉ」
「あっ……なんで…」
悲しそうに顔を歪めてぴょんぴょん飛び上がる宗次郎に、土方はお団子ではなく、お預けを食らわせた。
「食うのは夕餉の後だ」
「えー!!僕お腹すいた!意地悪!としさんの意地悪!」
「おめぇがいなくなるのがいけねぇ」
「むぅ!!じゃあ何でここに持ってくるんですか!試衛館に置いてくればいいじゃないですか!」
「んなもん、砂糖水代わりに決まってんだろ?」
「へ?」
「おめぇが砂糖水で蛍を釣ったように、俺は団子で宗次郎を釣ったんだよ。おめぇなら、すぐに気付いてすっ飛んでくるだろうからな」
今にも泣き出しそうな顔をして、宗次郎は土方を睨む。
「おうおう、そんな顔したって、全然怖くねぇぞ」
「ふんっだ!お団子が砂糖水代わりなら、としさんも失敗ですね」
「ああ?」
「僕だって砂糖水でほたるさんを釣れなかったんだから、としさんだって僕を釣ることはできませんよーだ」
そう言って、舌をべーっと出すと、一目散に駆けていってしまう。
「あ、おい!ちょっと待てよ!」
土方は、半ば宗次郎に引きずられるようにして、試衛館へと帰ったのだった。
あの蛍の歌って、多分江戸時代にはなかったと思うんですよね〜。
甘い水って、確か農薬や洗剤で汚染されてない水のことですよね?
農薬とか江戸時代にあるわけないし。
しかも作りたてでもないみたらし団子がそんなに匂うわけないし。
いろいろフィクションですねこれ。
次のページおまけになってます。
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