「僕、病気なんです」
にこにこした総司の口から飛び出た言葉に、一同の動きが止まる。
原田、藤堂、永倉、そして沖田の四人は、屯所の縁側に腰掛けておはぎを食べながら、隊士たちが中庭で訓練しているのを眺めているところである。
総司がこの三人の中に入ってくるのは珍しいので、まんざらでもなく、何があったのだろうといぶかしんでいたのだ。
そこへ、総司のこの爆弾発言とくる。驚いて当然だ。
「総司、どこか具合が悪いのか?」
藤堂が慌てた様子で顔色を伺うが、別段変わったところはない。
「熱でもあんのか?」
そう言って原田が総司の額に手をやる。普段なら、こんなことをしたが最後、ただでは済まない。鬼が飛んできて手の一本や二本ちょちょぎるところであるが、いくら神出鬼没とはいえ、あの人も大阪から京まですっ飛んでは来られまい。
「総司、具合の悪い時は酒に限るぜ」
本当に心配しているのか怪しいものだが、永倉がしれっと言ってのけた。
「いやだな…僕のはそんなんじゃないんです」
総司は、おはぎを口に運びながら、のんびりと言う。
「まあ、大した病気じゃないんですけどね、持病というか、何というか…」
でも、と総司は続けた。
「不治の病、なんです」
総司の言葉に、三人は凍りつく。
「少なくとも今の医学じゃあ治せないんですよ」
総司はそんな三人を余所に、更に畳み掛ける。
「もう、苦しくて夜も眠れないんです……まあ、隊務には支障をきたさないようにしますけどね」
「っな…いつからだよ!総司!何で早く言ってくれねえんだよ!」
藤堂が激高して総司に詰め寄る。
「え…僕は別に隠してたつもりはないし……それにもうとっくにばれてると思ってたんだけど」
いつからだろう、と真剣に考え込む総司を、三人は凍りついた表情のまま見つめる。
「分からないなあ…気付いたら、というか、いつの間にか、というか…。でもまあ、かなり前からでしょうね」
話の深刻さと相反して、この上なく楽しそうに見える総司の表情を、三人は解せないでいる。
「総、司……一体何の……」
原田がやっとの思いで尋ねた。
残りのおはぎを口に詰め込んで、総司が答えようとした、まさにその時。
不意に屯所の入り口の方が騒がしくなった。
「あ」
ぱっと顔を輝かせた総司が短くつぶやいて、そのままむくりと立ち上がる。
そして、口の周りがあんこだらけなのも構わずに、脱兎のごとく駆けていってしまう。
「あ、おい!総司!」
「どこ行くんだよ!」
「総司!!まだ話は終わってねえぞ!」
三人が慌てて総司を追いかけて言った先の、屯所の入り口には、人影が二つ。
一つは、局長である近藤勇。そしてもう一つはーーー
「土方さん!お帰りなさい!」
「トシ、ご苦労だった」
今にも総司に尻尾が生えてきて、千切れんばかりに左右に振っているのが見える気がして、一同多少の嫉妬を覚える。
「土方さん、新入隊士は集まりましたか?」
「おう、まあまあな」
苦み走る二枚目が、滑舌よく答えている。
「それで、僕にお土産は?」
今度は、総司の頭に耳が見える。
「こら、総司。ちょっとはトシのことも考えてやれ。トシは今長旅から帰ったばかりなんだ。それじゃあ息をつく間もないじゃないか」
近藤の言葉に、総司はこの上なく素直にはい、と返事をしている。
「すっげー、さすが近藤さん。あの総司がねえ…」
感服しきって眺めている藤堂に、原田が言う。
「おら、平助。感心してねえで、とっとと俺たちも挨拶しに行くぞ」
言うや否や、もう土方の前へ進み出ている。
「お疲れ様っす、土方さん」
おう、と短く答える土方は、出迎えが煩くて、まだ草履も脱ぎきれていない。
もはや、諦めて脱ぎかけていた手を止めている。
「それじゃあ俺は、やり残してきた仕事があるから、失礼させてもらう。後ほど、隊士のことなどを話そう」
「分かった。近藤さんこそ、ご苦労さまで」
はきはきと答える土方の表情に、疲労の色が見え隠れする。
「それじゃあな、トシ。よく休むんだぞ」
近藤のさり気ない優しさに、土方の表情も緩んだ。
「大阪はどうでした?」
近藤が行ってしまってから、藤堂が尋ねる。京から長らく離れていない藤堂たちにとって、余所の土地の話は大変魅力的であった。
しかし、土方は顔をしかめる。
「大したこたあねえよ。京よりちょいと活気がある程度で…」
「んもう。一週間も行っていて、活気がある、それだけですか?叙情性のかけらもありゃしない。土方さん、それでも歌詠みですか」
総司の言葉に、ふん、と土方が鼻を鳴らす。
「お前が叙情性を語るかよ…叙情性が聞いて呆れる」
慣れた様子で軽くいなした。
不完全燃焼に終わった総司は、不服そうな顔でむすっとしている。
「まあとにかく、土方さん、ご苦労さんです。今日はゆっくり休んでくださいよ!隊務なら俺たちがしっかり…」
「いや、斎藤がしっかりやってくれてます」
藤堂を制して、永倉が事実を告げた。
凄みのある目つきで睨まれて、三人ともすくみあがるが、慌てて藤堂が付け加えた。
「いや、俺たちだって、ちゃんと隊士の面倒見てたし…」
「ほぉ…それは、縁側に座って饅頭を食いながら、か?」
言い当てられて、藤堂が目を丸くする。
「すげえ…何でもお見通しかよ!」
「そりゃおめえ、総司の口にこんだけあんこがひっついてんだ。わからねえ方がおかしいだろうが」
あ、そうかと総司を見ると、てんで拭く気がないのか、あんこをそのままにして、にへらーと笑っている。
「でも土方さん、残念ながら、饅頭ではなくておはぎですけどね」
「あ゙あ?んなもん、どっちだっていいんだよ」
「うへぇ…さすが鬼副長」
思わずつぶやいた原田を土方が睨むが、相当疲れているだろうに、その表情は心なしか柔らかい。
それは恐らく、その場に沖田総司の存在があるからなのだろう。
いくら鬼副長とはいえども、長らく会っていない恋人との再会には、心安らいでいるはずだ。
長居するのは野暮ってもんだなーーー
勘よく原田は察すると、さっさと用件を済ませようと口を開いた。
「それはそうと、総司」
「何ですか、改まって」
身構える総司は、多少逃げ腰である。
わかってるくせに、と悪態をつきながら、原田は白々しくも尋ねてやった。
「まだ、さっきの答え、聞いてねえんだけどな」
含みを持った言い方に、形の良い土方の眉がぴくりと動く。
「な、何のことですか」
「そうだよ総司!まだ何の病気だか聞いてねぇよ」
「何だよ、自分から話振ってきたくせに、言わないとかなしだからな?」
それでもその場から逃げ出そうとする総司を阻んだのは、なんと土方だった。
「総司、病気って、一体何の話だ」
土方は全身からぴりぴりとした殺気を放って詰問するが、総司は恥じいるように口ごもって、一向に答えようとしない。
「お三方には、後できちんと話しますから、ね?今はちょっと…」
「なんだ、俺には言えない話なのかよ」
土方の、総司を掴む手に力が籠もる。
「い、いや、別にそういうわけじゃ…」
「なら言え」
土方が言えと言ったら、後はもう言うしかない。
四人の執拗さに負けて、総司は渋々小さな声で呟いた。
「……しょう」
「ああ?聞こえねえ」
土方が三人の心を代弁する。
「だから!」
総司は顔を真っ赤にして叫んだ。
「僕は!土方さん、の!い、依存症なんです!」
もう…と言ってしゃがみ込んでしまった総司の頭から、今にも湯気が立ち上りそうである。
そして、その場の沈黙に耐えられなくなったのか、はたまた開き直ったのか、今度は怒涛のごとく怒鳴り出す。
「何です。だから言ったでしょう、大した病気じゃないって。ただの持病だって。誰にでも依存症の一つや二つあるんじゃないんですか?佐之さんは島原依存症、永倉さんはお酒依存症、そして土方さんは煙草と仕事依存症!何か文句ありますか!」
全員が、その病名に呆気にとられる。
呆れてものも言えない。
当の土方はといえば、総司の腕を掴んだまま、すっかり固まってしまっている。
「いや…まあ……確かに不治の病だろうけどよ」
「何だよ、心配して損したじゃんか」
「ま、あれだな。要するに俺たちは、当てられに来たってわけだな」
これがいつもの総司のお戯れであることと、そのろくでもない病名を無事に知ったところで、原田、藤堂、永倉の三人は、ぶつくさ文句をぶうたれながら去っていった。
あとに残された二人は、身じろぎもせずにその場に佇んでいる。
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