夜、ぎこちなく襖が開いて、気配に敏い俺が何事かと振り返ると、そこには遠慮がちにこちらを見ている総司がいた。
「総司、夜遅くにどうしたのだ」
「えへへ……ちょっといいかな?」
断れる訳もなく、俺はいいから入れと総司に入室を促す。
それから、そろりと襖を閉めたきり、暗い室内の隅っこに佇んだままぴくりとも動かない総司に痺れを切らして、俺は上半身を起こして布団を捲った。
「そんなところにいたら寒くないか?」
「うん、ちょっと寒い」
「こちらへ来い」
自分の身体の横をぽんぽんと叩くと、総司は照れたように笑いながら布団まで這ってきた。
「じゃ、お邪魔します」
そう言って、俺が寝転がるのも待たずに布団を頭まで引き上げている。
ほら、やっぱり寒かったんじゃないか。
寒がりな総司のことだ。
どうせやせ我慢をしていたのだろうと、俺は総司の手を探し当てて、ぎゅっと握り締めた。
案の定、その手は氷のように冷たくなっていた。
では足はどうだろうと、自らの足で総司の足元を弄る。
「一君っ…くすぐったいよ」
総司は微かに笑い声を上げた。
それを無視して、総司の足を力強く絡め取る。
「一君何してるの」
「あんたを温めている」
「これじゃあ雁字搦めだよ」
総司に苦笑された。
少しだけ癪に障って、低い声で言い返す。
「あんたが逃げないようにしているのだ」
「こんなことしなくたって逃げないよ。僕自分から一君のとこに来たんだから」
そう言えばそうだったと、俺は少しだけ拘束を緩めた。
「一体どうしたのだ。まさか、温めてほしくて来たのではないだろうな?」
「うん、まぁそれもあるんだけど」
半信半疑で尋ねると、総司は実に呆気なく肯定してみせた。
呆れて物も言えない。
いや、正確には、照れくさくて何も言えなかっただけだ。
それから言葉の続きを待っていたら、総司はじっと黙り込んでしまった。
実に長い時間だった。
一度眠りを妨げられているだけに、欠伸を噛み殺しながら総司の言葉を待った。
早く言えと急かしたりはしない。
きっとこの沈黙は、総司の中で気持ちを整理する為の時間なのだ。
それを催促するのは野暮だと思った。
軽口を叩き、さもどうということはないように振る舞っている時の総司こそ、胸の中に爆弾を抱え込んでいる危険な状態なのだということは、長年の付き合いでよく理解している。
今は、ただ待ってやることが大事だ。
そう思って、肩を並べ、指を絡ませたままで、本当に長いこと待っていた。
総司が漸く口を開いたのは、俺がそろそろ意識を飛ばしそうになった頃のことだった。
本当は他の用など何もなくて、ただ温まりに来ただけなのではないか。
そんな疑いまで浮かんできて、自分自身どうしようもなくなっていたところだった。
不意に、蚊の鳴くようなか細い声で、総司が言ったのだ。
「みんな、行っちゃうんだ」
それはそれは小さな、今にも消え入りそうな声で、一瞬聞き逃しそうになったほどだ。
しかし、余りにも切なさを孕んだような切羽詰まった声色をしていたので、何とか俺は音を拾い集めた。
一言一句、決して聞き逃してはいけない気がしたのだ。
「行ってしまう、とはどういうことだ」
「…みんな、僕のことを置いてっちゃうんだ」
総司の声は微かに震えていた。
「夢でも見たのか?」
「…一君も、左之さんも、平助も、近藤さんも、土方さんもみんな……遠いところに行っちゃって、僕が追いかけようとしても手が届かないんだ」
俺は黙って総司の話を聞いていた。
大方、悪い夢でもみたのだろう。
きっと、孤独だとか寂しさだとかが、総司にそういう夢を見せているのだ。
そんなもの、感じる必要はないと言っているのに。
総司はいつまで経っても理解しようとしない。
「総司、大丈夫だ。俺はここにいるだろう」
そう言って、俺は総司の手を強く握り締めてやった。
「僕……僕、あんな土方さんは初めて見た…弱々しくて…今にも折れちゃいそうで……一君に支えてもらってやっと、って感じで」
「総司、それはただの夢だろう」
「そこに僕はいないんだ。僕はもう用済みで、それで」
「総司!」
少し強めに名前を呼ぶと、総司は大袈裟に身体を震わせた。
漸く暗さに慣れてきた目で総司を見やると、上を向いたまま、目からほろりと涙を零している。
「総司………」
「ごめん…こんなくだらない話、聞きたくなかったよね」
総司は俺と繋いでいた手を離すと、その手で頬を濡らした涙を拭った。
「僕もう行くね……安眠妨害してごめん」
そう言って静かに起き上がろうとする総司の袂を、俺は慌てて引っ張った。
「うわっ……びっくりするなぁ」
総司は微かに眉を顰めて、また元通り布団の中に収まった。
「ずっとここにいればいいだろう」
思わずそう呟いていた。
「そう?……迷惑じゃない?」
「迷惑なわけがあるか」
「うん……ありがと」
時々総司は子供に返ったようになる。
自分ではもうどうしようもないほど寂しくなった時なんかは、こうして必ず俺や副長のところへ転がり込んでくる。
そうして暫くすると、総司の中でどう折り合いをつけているのかは分からないが、吹っ切れたように帰って行くのだ。
しかし今日は、なかなか吹っ切れられないようだった。
「ねぇ」
「なんだ」
「僕のこと、一人にしないでね」
「急にどうしたのだ」
今日の総司は、何かがおかしい。
「土方さんと二人で、僕を置いていったりしないでね」
「…そんなこと、するわけがなかろう」
「そんなの…分かんないよ」
総司は息を詰めたかと思うと、深々と溜め息を吐いた。
「ぼんくらに見えるかもしれないけど、僕だって色々考えてるんだ」
「そうだろうな」
「考えたんだから…色々とね」
「そうか」
「でも、いくら考えてもね、一君たちのいないところで生きていく術なんか、思いつかなかったんだ」
そう言って総司は寂しそうに笑った。
「だから、あんたを一人になんかしないと言っているだろう」
「そっか……ありがと」
総司は安心したように息を吐いた。
「絶対なんてないからさ、もしかしたら明日にでもみんな死んじゃうかもしれないけどね」
「それでも、俺はあんたと一緒にいる」
「うん…僕はさ、一君のその気持ちが嬉しい」
やっと気持ちの整理がついたのだろうか。
総司の声が、少しだけ明るくなった。
「一君、ここで寝てもいい?」
「さっきからいいと言っているだろう」
総司には、どれほどの言葉をもってしなければ、気持ちが伝わらないのだろうか。
鋭いようで鈍感というのか、態と気づいていない振りをするようなところがある。
それも単(ひとえ)に、己の寂しさを紛らわす為にしていることなのだろうとは思うのだが。
「おやすみなさい」
やがて、総司が小さく呟いた。
「ああ」
それから、静寂が辺りを包んだ。
寝たのかと思って、自分も寝ようと目を閉じてじっとしていたら、不意に総司が呟いた。
「そう遠くない未来に、きっと僕の方が一君を置いていくことになるんだ……でも…悲しんだりしないでね」
「僕は寂しくなんかないから。酷いのは、きっと僕の方なんだ……」
その言葉が余りにも切なすぎて、俺は思わず目を開けた。
「でも、一君は僕と違って強いから…それに土方さんもいるし……きっと大丈夫だよね…」
総司は、俺が寝ていると思っているのだろうか。
俺は苦しくなって、必死で総司を抱き締めた。
「あれ、一君起きてたの。もう寝たかと思った」
俺の腕の中で、総司は再び泣いていた。
「お休みと言ったのはあんたの方ではないか。何故まだ起きているのだ。話し足りないことがあるのなら、遠慮せずに言えばいいだろう」
「…ううん、もうないよ」
もうないと言いながらも、総司の話が止むことはなかった。
「僕と一君はさ、刀の腕で言ったら互角だけど、ほんとは一君の方が強いんだ」
訳の分からない御託を並べて、総司なりの理屈をこねようとしている。
「僕の強さはね、もちろん近藤さんの為に強くなろうと思ったからっていうのもあるけど、ほんとはそうじゃなくてね、単に弱い自分を守る為の棘みたいなものなんだ」
何だ、自分でも分かっていたのかと拍子抜けする。
「その点、一君は芯から強いから。近藤さんのことも、土方さんのことも、新選組のことも、安心して任せられるよ」
俺は苦笑した。
「そんなに俺に押しつけないでくれ。いくらなんでも荷が重すぎる」
「でも…僕がいなくなった後のこと、心配だからちゃんと託していきたいんだ」
「あんたはいなくなったりしないだろう」
「うん…まだね」
「まだ、ではない。ずっと、だ」
総司は黙っていた。
「それに、俺だってあんたと同じように弱い。俺も、あんたがいなくなったら立ち直れん」
そう言うと、総司は驚いたようにこちらを見て、それから明るい音を立てて笑った。
「……一君もなの?」
「ああ。辛いのはあんただけだと思ったら大間違いだ」
そっか、と総司は微笑んだ。
「それ、前にも誰かさんに言われた。その言い方がおっかなくてさ…泣きそうになった」
おっかなくてではなく嬉しかったからだと、どうして総司は言えないのだろう。
素直から余りにもかけ離れたところにいる所為で、逆に手に取るようにその真意が分かるようになってしまった。
「何で、僕なんだろうね」
「何がだ?」
「何で、天は僕を選んだのかなって。人ならいっぱいいるじゃない。何で、志半ばの僕を病にしたのか。よく分かんないよ」
「あんたなら治せるということなのではないのか」
「だといいけどね」
総司は遠い目をしていた。
「きっと、誰かが引き受けなきゃいけない役目なんだよ。その誰かがたまたま僕だっただけで」
きっと総司は、理不尽な宿命の答えを出し、何とかそれを受け入れようと、日々悩んでいるのだろう。
俺が変わってやれるならどんなによかっただろう。
その苦しみや悩みを取り除いてやれたら。
しかし、立場が変わったところで、今度は総司が俺の苦しみを味わうことになるだけだ。
一度決まってしまった運命は、もう二度と変えることはできない。
「ごめんね、迷惑かけて」
総司が手を握ってきた。
「迷惑なものか。俺は、あんたとこうしていられるのが嬉しい」
「僕も、一君が好きだよ」
それはある意味残酷な言葉だった。
「だから、傍にいてね」
「ああ」
今度こそ、総司は安心したように眠りに落ちていった。
――そう遠くない未来に、俺は総司を置いて戦いに挑まなければならなくなる時が来るだろうし、総司も俺を残して遠くにいってしまうだろう。
斬り合いになればいつも俺の右側を防いでいてくれた総司が、その総司だけの場所が、ぽっかりと空いてしまう日がいずれ来るのだ。
例えそれが目を逸らしたくなるような未来だったとしても、今から覚悟しておく必要があるだろう。
俺たちには、それを乗り越えて進まねばならないという義務があるし、守らねばならないものもあるからだ。
きっと、総司もそれを望んでいる。
勿論傍にいて欲しいというのは本心だろうが、それはあくまでも一時のこと、あるいはただの理想であって、いつまでもそういうわけにはいかないということくらい、心の底では理解しているはずだ。
だからこそ、寂しくなって、こうして敢えて言ってくるのだろう。
総司の気持ちは、痛いほど分かった。
「何もしてやれなくて、すまない」
せめてもう二度と、悪い夢など見ないように。
俺は総司の温もりを確かめるように、その身体を引き寄せた。
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