やっと吸入が終わり発作が収まった頃には、総司はすっかり反抗する気力をなくしていた。
帰るぞ、という土方の言うことを素直に聞き、差し出された手を躊躇いなく取る。
それは、総司の諦められない土方への恋心からくるものだったかもしれない。
また暫くロビーで待ってから薬を受け取り、今度こそ何事もなく病院を後にした。
その間、二人は終始無言だった。
そもそも、あの時あの席に座り、あの女の子が隣に座ってきて、声をかけてしまったばかりに、こんなことになってしまったのだ。
これも一種の運命だな、と総司は一人自嘲した。
会いたかった人にやっと会えた。
でも、知りたくない、余計な事実までついてきてしまった。
こんなはずじゃなかったのに。
思わず俯いた総司の目から、とうとう涙が零れ落ちた。
「どうした?辛いのか?」
目敏い土方は、すぐに総司の異変に気が付いた。
二人で道端に立ち、タクシーが来るのを待っていたところだ。
往来に気を取られ、自分のことなんか見ているはずがないと思っていた総司は、土方に声をかけられて体を強張らせた。
「……辛くないです…」
何といっていいか分からず、とりあえず安心させられるような言葉を選んで呟いた。
その時ちょうどタクシーが捕まって、総司は半分引きずられるようにして中に乗り込んだ。
本当は、歩いて帰れるからと断ったのに、土方がどうしても許さなかったのだ。
「総司、家はどこだ」
「…この道まっすぐ行ってください」
タクシーが滑り出してからも、会話は全くなかった。
何を言えばいいのか、正直分からなかったのだ。
幸せになってくださいね、とでも言えばいいのだろうか。
しかし、そんなのは綺麗ごとであって、土方の一番は自分であってほしかかったし、結婚なんか祝福すらできないというのが本心だ。
かと言ってそれをそのまま口に出したら土方を困らせるだけだし、結局言うことなど何も思いつかなかった。
それで、総司が漸く口を開いたのは、タクシーから降りて自宅の前に着いた時だった。
再会して早々に多大な迷惑をかけてしまったことだし、お礼を言うのが筋だと思ったのだ。
「今日は、本当にありがとうございました」
「いや……」
去って行ってしまっタクシーを見送りながら、土方は短く言った。
「あの……すまなかった」
「へ?」
その脈絡のない言葉に、総司は思わず首をかしげる。
「何がですか?」
「……お前を、置いて行ったことだ」
「あ………」
土方が言っているのは、きっと前世での別れのことだろう。
土方が総司を置いて行ったのは、あの時だけだ。
「……仕方がなかったとはいえ、文字通り死んでも悔やみきれなかった」
苦笑しながら土方が言う。
「幸いなことにこうして再会できて、謝ることもできたからまだいいが、もしもう二度と会えなかったら、俺はどうやったって自分を許せねぇ」
「土方さん……」
「それだけは、どうしても言いたかったんだ」
総司はまた涙が溢れそうになるのをぐっと堪えて、辛うじて口を開いた。
「いいです、よ……許してあげても…」
「そう、か……ありがとな……でも別に、俺は許しを求めてるわけじゃねぇんだ。ただ、伝えたかっただけなんだ」
「いえ…いいんです…土方さんも、きっと、僕と同じくらい苦しんだと思う…から」
「総司…」
総司は土方の顔をちらりと盗み見て、そのあまりにも切なく優しい眼差しに胸が痛くなった。
どうして、自分との約束を守らなかったくせに、そんな表情をするのだろう。
二人の間を強い風が吹き抜けていく。
「でも、」
総司は震える声で言った。
「あなたは…また約束を破った」
「…は?」
「僕のこと……僕のこと、待っててくれなかった」
「ちょっと待て、話がいまいち見えねぇんだが…」
「はぐらかさないでよ。あの時、次に生まれ変わったら、絶対探してくれるって言ったじゃないですか」
「あぁ、言った。現に俺はずっと総司のことを…」
「嘘吐き!僕のことなんて忘れたくせに!なんでそんなこと言うの?」
とうとう総司の目から涙が落ちた。
「どうして待っててくれなかったんですか?どうして見つけてくれなかったの?どうして……どうして…結婚なんかしちゃったの…?」
「は…結婚だと?」
涙を散らして、総司は土方の胸をどんどんと叩き出した。
「おい、総司やめろっ、また発作が…」
「次こそずっと一緒だって言ってくれたのに!前世の記憶があるなら、どうして僕じゃない人を愛してるんですか!!?」
「総司!!!」
土方は総司を止めるためにも、その体を思い切り抱き寄せた。
「っ離して!はなし、てよっ!」
「離さねぇ」
「い…嫌だあ…ぁ……ひじかたさんのばかぁ……」
子供のように泣き出した総司を、土方はあやすように抱きしめる。
「なぁ総司、俺はさっきからお前が何を言ってんのかさっぱりわからねぇんだが、お前は一体何の話をしてるんだ?」
「っしらばっくれないでよ……僕のことを待たずに結婚しちゃったくせに」
「おい、結婚って何の話だよ?」
「だって!さっき奥さんが具合悪くなったって…」
「……それ、誰が言ったんだ?」
「…あなたのお子さんがですよ!」
「俺の、子、…?」
土方は突然きょとんとして総司を見つめてきた。
かと思ったら、次の瞬間喉の奥で笑い出した。
それから笑いが止まらなくなったのか、盛大に大笑いし始める。
「あっは!総司、お前つかさの所為でそんなに泣いてんのか」
「何がおかしいんですか!僕が不幸になって、そんなに嬉しいんですか!」
「んなわけねぇだろ!俺はお前の甚だしい勘違いが可笑しいだけだ」
「……勘違い?」
「あぁ、つかさは俺の子じゃねぇし、そもそも俺は結婚してねぇよ」
「は?」
今度は総司がきょとんとする番だった。
「でもあのとき、確かにお母さんが……」
「そうか、まぁ確かに、ありゃつかさの母親だ」
「ならやっぱり……」
「そして、俺の姉貴でもある」
「え!?…お、おノブさん!?」
「あっはっは!そうだ、おノブさんだ。まぁ、今はのぶ子だがな」
総司は幽霊でも見たかのように、信じられない面持で土方を見た。
「でも、つかさちゃん…確か土方さんのこと、パパって言ってた……」
「あー、それはだな、つかさは本当の父親と死別してっから、俺が姉貴にしょっちゅう父親代わりを頼まれてるうちに、そう呼ぶようになっちまったんだ」
「…なんか……話できすぎ…」
「仕方ねぇだろ!実話なんだからよ」
「でも……」
「お前はまだ信じてくれねぇのかよ」
「だって…」
「なら、これでどうだ」
そう言うなり、土方は総司の顎を上げさせて、その唇に熱烈なキスを落とした。
実に、約二世紀ぶりのキスである。
総司は突然の横暴に吃驚するとともに、その懐かしくて温かい感覚に、次第に戸惑いを溶かしていった。
貪るようなキスにお互いに夢中になった後、ようやく唇を離した時には、寒さが気にならないほど体が温まっていた。
体だけではない、心も温かった。
「どうだ、分かったか?」
「……ばか」
「あぁ、俺は馬鹿だよ」
恥ずかしくなって思わず俯くと、土方の手によって、頭をその胸に押し付けられた。
その規則正しい鼓動を感じ、自然と心が安らいでいく。
「また、会えたな」
「会えました、ね」
二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
「まぁ、土方さんて執念深いししつこいから、きっとまた付きまとってくれるんだろうなとは思ってましたけど」
「そりゃお前のことだろうが!……お前よくもそんな減らず口がきけるな、さっきまで激しく咳き込んで、僕を待たずに結婚した、なんて泣きべそかいてたくせによ」
「…もういいじゃないですか、すぎたことは」
総司はきまりが悪くなって、土方の胸に頭を押し付けた。
その耳元へ、土方が低い声で囁く。
「総司、今度こそずっと俺の傍にいてくれるか?」
総司は顔が真っ赤になるのが分かった。
面と向かってそんなことを言われるのは初めてだ。
「……いいです、よ?いてあげても」
「素直じゃねぇ……お前らしいな」
「まぁ、僕はいつでも僕ですから。したくないことはしないんです。逆に言えば、いたいからいるんですよ」
「そうかよ」
総司はおもむろに顔をあげると、不安そうに土方の顔を覗き込んだ。
「土方さんこそ、もう二度と僕を置いて行ったりしない?僕のこと嫌いにならない?僕だけを一生愛してくれる?土方さんの一番は僕?僕をずっと傍に置いてくれ……」
「だぁぁっ!何でお前はそう注文が多いんだよ!」
総司の質問攻めに、つい土方は声を荒げる。
「当たり前じゃないですか。置いて行かれた恨みは深いですからね」
「何だ、許してくれたんじゃねぇのかよ」
「……愛してくれなきゃ、斬りますよ?」
「お前はまたそうやって物騒なことを……刀もねぇくせに」
「で、どうなんですか?」
「馬鹿。言うまでもねぇよ」
「やだ。ちゃんと言ってください」
駄々をこねる総司に、土方は深々と溜め息を吐いた。
しかしその表情は柔らかく、優しさで満ち溢れている。
「お前がもう嫌だっていうくらい愛してやるよ」
「へぇ、それは楽しみにしてますよ」
総司は嬉しそうに口角を上げた。
「お前も俺を楽しませろよ?」
「……土方さんとは、プラトニックな愛は育めそうにありませんね」
「どういう意味だよ、それ」
十二月の寒空に、総司の楽しそうな笑い声が響き渡る。
総司は今、紛れもなく…幸せに包まれていた。
土方との再会は、最高のクリスマスプレゼント。
そんなことを思いながら、総司は土方に思いきり抱きついた。
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