最近、咳が激しくなった。
急に冷え込みが酷くなったからだろう。
またか、と思う。
あの頃のようにまた、血を吐いて長いこと苦しんで、最終的に……一人ぼっちで死ぬのかと。
そんなことはありえないと冷静な自分は分かっているのに、咳き込む度にどうしても感傷的になってしまう。
壁のカレンダーを見上げて、総司は憂鬱な気分になった。
もうすぐクリスマスだ。
あの頃は、そんな行事のことは知らなかった。
イエス・キリスト。
そんな人、知りもしなかった。
ただひたすらにその日生き延びることだけを考えて、あぁまた今日も生きていられたという妙な安心感に包まれて寝る。
海の向こうに広い世界が広がっていることは知っていたが、そんなことにまで頭を回らせる余裕はなかった。
でも、それでも充実していた。
好きな人がいて、燃えるような生き甲斐があって。
今のように何の目的もなく、平和に生きていられる世の中よりも、ずっと―――楽しかった。
溜息混じりにダッフルコートを羽織り、赤いチェックのマフラーを首に巻きつけると、総司は暖房のきいた部屋を後にした。
病院に行かなくてはならない。
労咳――もとい結核ではないが、小児喘息が未だに治らないのだ。
毎日吸入し、薬を飲み、月に何度かの通院も義務付けられている。
一歩踏み出すと、外には冷たい北風が吹き荒れていた。
総司は自らの体を抱きしめるように縮こまりながら、掛かり付けの病院へと足を速めた。
*
病院は、患者で溢れ返っていた。
この界隈では一番の規模を誇る総合病院だし、今日は休日だし、そうでなくても寒さの為か、いつにも増して患者が多かったのだ。
数十分待たされた後に名前を呼ばれ、簡単な問診と検査を受けて薬の処方箋をもらったら、主治医はすぐに返してくれた。
寒いから風邪を引かないように気を付けるんだよ、総司君は気管支が弱いから、ちょっとの風邪でもこじれて肺炎になったりするからね―――。
医者はいつものように優しく診察してくれた。しかし、いつもより若干疲れている様子だった。
きっと、診察が立て込んでいるのだろう。
総司が診察室を出ても、病院のロビーは来た時と大差なく、大変混み合っていた。
熱で苦しそうな人、総司と同じように咳込んでいる人など、大人から子供まで多種多様だ。
総合病院だと、あちこち科をたらい回しにされたり、たった数分の診察のために数時間も待たされたりして、来るだけで疲れてしまう。
「……」
総司が薬を受け取るために窓口の前の椅子に座って待っていると、突然横に小さな子供が座ってきた。
4、5歳だろうか、何とも可愛らしい女の子だ。
何ともなしに見つめていると、不意にその子と目があった。
総司はにこりと笑ってやった。
すると、女の子ははにかんだように笑い返してきた。
「こんにちは」
総司が話しかけると、女の子も小さく返事をした。
「こんにちは」
「君、どこか悪いの?」
「ううん。ママを待ってるの」
「そう。じゃ、ママの具合が悪いの?」
「そうだよ。でも、パパがついてるから大丈夫」
「君、名前は?」
「つかさ」
「へぇ、僕は総司。僕の名前も、つかさちゃんと同じ読み方するんだよ」
「そうなの?そうじお兄ちゃんも?」
「そう、同じだね」
元来子供好きのする性格だ。
総司はすぐその子に懐かれた。
「そうじお兄ちゃんはびょうき?」
「うん、そうだよ」
「なおる?」
「きっと、そのうちね」
女の子は不思議そうに総司を見た。
「ねぇ、それよりさ、つかさちゃんのパパたちはどこに行っちゃったの?」
総司は先ほどから気になっていたことを聞いてみた。
「ママがね、おくすり待ってたらぐあいわるくなっちゃったから、いっしょにトイレにいったの」
「あぁ、そう」
「つかさはね、もう5歳だからね、おりこうさんにまってられるんだよ」
「そっか、偉いね」
「しらない人にもついていったりしないんだよ」
「でもじゃあ、僕と話してていいの?」
「そうじお兄ちゃんはいいの」
「そうかなぁ」
無邪気に笑って頷く女の子に、総司は困ったように笑って見せた。
「じゃあさ、パパたちが戻ってくるまで一緒にいてあげるよ」
「ほんと?」
「うん、どうせまだまだ名前呼ばれなさそうだし」
総司は女の子の頭を優しく撫でてやった。
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