土方の苛立ちは募る一方だった。
総司の思惑を、土方は全てを知っていた。
実際に総司は、芹沢との良い緩衝材になってくれていたが、しかしそれは決して気持ちのよいものではない。
仮にも、総司と自分は恋仲なのだ。
本心からの行動ではないと分かってはいるのだが、芹沢に総司が媚びを打ったり愛想を振り撒いたりしているのを見るのは、土方としては苦痛でしかなかった。
しかし自分ではどうしようもできないというもどかしさが、土方を暴走させるに至ったのだ。
今日、総司は島原に芹沢と一緒に行った上、酒に酔って散々揚屋の主人に迷惑をかけたらしい芹沢を介抱して帰ってきた。
それは、土方を激怒させるには十分すぎた。
総司が処罰に値するような悪いことは全くしていないのは分かっていたが、表向きは局長である芹沢は罰せられないから、代わりに総司を、島原で浪士組の名が汚れるような行いをしたということで処罰することにした。
そうでもしないと、腹の虫が収まりそうになかったのだ。
総司を自分から隔離しておかないと、めちゃくちゃに壊してしまいそうで怖かった。
絶対に傷つけたくないのに、お前は自分のものだと、そう刻みつけるために、何をしてしまうかわからない。
我を失いかけている自分が恐ろしかった。
それで、総司を傷つけてしまうことを恐れて、あんなところに閉じこめたのだ。
総司としては近藤のためを思って嫌々していることなんだろうから、それを罰せられるなど相当傷ついただろう。
しかし土方としても、そんなことが毎日のように続くのは、もう我慢の限界だったのだ。
これが嫉妬なのか何なのか、土方にも分からなかった。
「っくそ!」
一人部屋に籠もっていた土方は、力任せに文机を叩きつけた。
今確実に分かるのは、芹沢が憎いということだけだ。
いずれ消してやるさ、と不穏なことを考えながら拳を握りしめていると、遠慮がちに襖が開いた。
「土方さん、夕飯の時間だぜ」
声の主は永倉だった。
あの後やっぱり野次馬精神が働いて、原田と二人こっそり様子を見ていたのだが、その先で起きていた尋常ならざる事態に驚いていたところだった。
内心びくびくしながら、永倉は土方をちらりと見やる。
「……分かった。今行く」
案外落ち着いた声だったことにほっとして、永倉は先に広間へと向かった。
暫くして現れた土方を、皆が気まずそうに見た。
永倉と原田によって、ことの顛末は試衛館組には既に広まっている。
「何だ」
土方が不機嫌さを丸出しにして言うと、重々しく原田が口を開いた。
「なぁ、土方さんよ。総司の奴はどうしたよ」
「総司なら……謹慎中だ」
「謹慎って、総司は何も悪いことをしてないじゃんか!」
藤堂が声を荒げる。
「仕方ねえだろ?芹沢さんを罰することなんざできねぇんだから。あれぐらいしねぇと、外に示しがつかねぇんだよ」
「だからって……拷問部屋はねぇだろ」
「そうだよ!見世になら、何とでも誤魔化せるじゃん!何で実際に罰しなきゃなんねぇんだよ!」
「……あいつはちったぁ頭を冷やした方がいいんだよ」
土方が苦々しげに吐き捨てた。
「失礼ながら、頭を冷やすべきなのは副長かと思われますが」
「なっ……」
普段絶対に土方には楯突かない斎藤の言葉に、皆が一瞬沈黙した。
土方も、それが正論であるが故に、全く反論もできなかった。
「ったく、芹沢のやつに尻尾ふりやがって」
辛うじてそれだけ呟く。
「違うだろ。総司は近藤さんの為に、芹沢に取り入ってんだろ」
すぐに原田に訂正されて、またもや反論できず、土方はぐっと答えに詰まった。
「分かってるさ…そんなことは……俺だってやりたくてこんなことをしてるんじゃねぇんだよ…」
「土方さん……」
ようやく土方の遣り場のない怒りに気付いた仲間たちは、申し訳なさそうに口を噤んだ。
「総司、腹をすかせていないだろうか」
ぽつりと斎藤が言うと、藤堂が弾かれたように立ち上がった。
「お、俺、総司に夕飯持って行くよ!」
「駄目だ。総司は処罰中だ」
しかし、土方の無情な言葉に止められる。
「土方さん!それじゃ総司が可哀想すぎるよ!」
「おい、平助いいから」
再び尖った空気を、原田が軽くいなした。
すると、おもむろに立ち上がって土方が言った。
「先に食っててくれ」
「何でだよ!?」
「俺は………総司の奴を見てくる…」
力なく立ち去っていく土方の背中を見て、その背負っている重責の多さを、一堂はひしひしと感じたのだった。
*
扉の向こうからは、相変わらずすすり泣きや嗚咽が漏れ聞こえていた。
土方が音もなく扉の前まで歩いていくと、今までどんなに平隊士が通ろうとも決して止まなかった泣き声がぴたりと止んだ。
気配に敏い総司は、慣れ親しんだ者の足音などすぐに分かってしまう。
「…総司、」
「…っひじかた、さん?」
土方が扉の前に座り込むと、扉の向こう側で何やらがさごそと音がして、総司が扉のすぐ向こうまで来たのが分かった。
「総司、」
「……はい」
「お前が何をしたか、分かったか?」
「…僕は……僕は、芹沢局長と島原へ行って、酔っ払って周りに大変な迷惑をかけてしまいました……おまけに、芹沢局長にも迷惑をかけました」
「……よし。それでいい……どうやら分かったみてぇだな」
「はいっ」
中で総司が笑ったのが分かった。
実際は、酔っ払ったのも、周りに迷惑をかけたのも芹沢なのだが、こうして下の者が汚名を被らないと、壬生浪士組としての、世間への面目が丸つぶれになってしまう。
それを避けるために、今回は体裁上、総司にその役目を負わせることにしたわけだ。
芹沢のことをどうにかしたくても、上からの命令がない限り、それはただの反逆になってしまう。
だから、今はどうにも手が出せなかった。
……まぁ、そんなものは土方の言い訳でしかないのだが。
「僕、…役に立ちました?」
不意に総司が言った。
閉じこめられてからずっと総司が考えていたのは、自分が役に立てるかどうか、ただそれだけだった。
役に立てなければ、すぐに捨てられる。
そんな強迫観念にも似たようなものが、総司の中にはあった。
故に、どうしたら自分が役に立てるのか、どうしたら捨てられずに――江戸に帰れと言われずに済むのかを考えていたのだ。
もしかしたら、土方は自分に芹沢の代わりに罪を被ることを要求しているのかもしれない。
芹沢を今すぐに消したりすることはできないから、自分が芹沢の代わりに罰せられれば、それで取りあえず浪士組の体裁だけは保たれる。
――散々考えた挙げ句、総司が出した答えはそんなものだった。
そうであってほしい。
否、そうでなければいけなかった。
それ以外の如何なる理由でも、土方に怒られたくなどなかったのだ。
小さい頃からしょっちゅう喧嘩をしたり、悪戯をしたり、怒らせたりもしてきたが、本気で嫌われるようなことをしたことはない。
今回だって、そんなことはしていないつもりだった。
お願い………僕を嫌いにならないで…
総司は、そういう思いを込めて、扉越しに土方の返事を待った。
「………すまねぇ」
予想とは違う返事に驚いて、総司はドアに耳を近づけた。
「どうして、土方さんが謝るんですか」
「俺は、……俺はお前を利用して……」
土方は扉に頭をつけた。
「じゃあ、僕、役に立った?」
「………あぁ…」
「………よかった」
今度は、土方が総司の返事に驚いた。
「お前……こんな理不尽なことされて、怒らねえのか?」
土方が訝しそうに聞くと、総司はくすりと笑みを漏らした。
「僕が怒るのは、土方さんが僕に構ってくれない時くらいですよ」
「なっ……」
「いいんです。僕、土方さんの役に立てたんでしょ?なら、それで満足です」
「総司………」
文字通り献身的に、嫌な役目を押しつけられても文句一つ言わずに引き受けてくれて、しかも役に立ったなら満足だ、とまで言ってのけた総司に、土方は胸が熱くなるのを感じた。
普段はちっとも素直でないが、大切な、根本的なところではこうも土方に尽くしてくれる。
重要なところは分かっていて、きちんと密かに支えてくれる。
そんなところが、土方はたまらなく好きだった。
好き、というよりも、好きを超越した、掛け替えのない存在なのだった。
総司にとってもそれは同じことで。
土方だから、支えたいと思う。
役に立ちたい、ずっとついて行きたいと思うのだ。
「土方さん、ごめんなさい」
「いや、もういい」
「僕、しっかり反省しました」
「…………あぁ」
「だから、もうここから出してください」
総司は小さな声で呟いた。
「………いや、それは駄目だ」
「っ何でですか!!?」
思いがけない土方の言葉に、総司は思わず声を荒げた。
「俺が……駄目なんだ」
しかし、土方の力ない声を聞いたら、ぐっと言葉に詰まってしまった。
「ど、して……ですか?」
「…俺は………嫉妬、…してんだ」
「…嫉妬?」
「お前が……例え本心からじゃないにしろ…芹沢の奴とばかりつるむのが………俺は許せねぇんだ……」
「土方さん……」
「くだらねぇか?…は……大人気ねぇよな……けど…俺はお前が…」
途切れ途切れ紡がれる土方の言葉を、総司は一言一句漏らさずに聞いた。
そういうことを土方は滅多に言わないから、驚く反面、嬉しくもあったのだ。
「でも……それとここから出してくれないことは、関係ない気がするんですけど」
「いや、ある」
「っ何で!」
「今お前を見たら……俺はお前に何をするか分からねぇ…」
「………っ…」
「きっとお前を……傷つけちまう、……」
「……………」
総司は暫く黙っていた。
考えるための時間だった。
今、土方は苦しんでいる。
ならば、その全てを受け止めてあげたい。
「いいです、よ……?」
「は………?」
「貴方になら…僕は……何をされたって傷つかない…」
「お前…」
「だって、土方さんが愛してくれてるって、分かる……から、」
総司は、一回深呼吸をした。
「めちゃくちゃに壊されたって構わない…から、……だから…扉を開けてください」
土方は閂に手をかけてから、一瞬だけ躊躇した。
いくら本人がいいと言っても、愛する者を傷つけてはならない。
心のどこかでそんな声が聞こえた。
今の土方は、総司を労ってやれるほどの余裕を持ち合わせていない。
顔を見た瞬間に、理性がぶっ飛んでしまうかもしれない。
しかしそれでも、閂を外す手を止めることはできなかった。
かた、という枷の外れる音と共に、土方を躊躇させていた何かも崩れていく。
「総司っ」
扉を力任せに開けると、土方は、扉のすぐそばに縮こまって座っていた総司に目をやった。
泣き腫らし、涙に潤んだ目で見上げてくる総司を見て、くらりと世界が歪むような錯覚に捕らわれる。
「土方、さん……っ」
土方は、総司を思い切り抱き締めた。
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