やがて滑り込んできた電車は満員で、揺れる度に押しつぶされそうになる僕を、土方先生が守ってくれた。
―――勘違いじゃない。
実際、何度も大丈夫か?と聞かれた。
窓の外を流れていく真っ暗な景色とネオンを眺めながら、僕はこの時間が永遠に続けばいいのに、と思った。
だけど、そんなのは有り得ない話なわけで。
いずれは僕たちの最寄りの駅に着いて、僕はキオスクで傘を買って、また明日って何でもないように別れるんだろう。
先生には、家で温かくて美味しいご飯を作って待っている奥さんがいて、僕は過干渉な姉の待つ家にとぼとぼと帰るだけだ。
そう思ったら、無性に悲しくなった。
心の中は、外にも増して荒れ狂っていた。
嬉しいのに、悲しかった。
やがて間の抜けた車掌さんの声が最寄り駅に着いたことを知らせて、僕と先生はたいそう苦労して電車を降りた。
今だけで、すいませんって何度言っただろう。
階段を降りて、改札を抜けて。
「じゃ、先生さよなら。傘、どうもありがとうございました」
先生にさよならなんて言われるのは絶対に嫌だったから、僕は自ら別れを告げた。
すると、土方先生は驚いたような顔をした。
「お前、傘なしでどうやって帰るつもりだよ」
「え?傘ならそこで買いますよ」
僕はキオスクを指差した。
「そんなの無駄金じゃねぇか。どうせ大した距離じゃねぇんだ。家まで送ってやるよ」
当然だ、というかのように言ってのける土方先生に、僕は開いた口が塞がらなかった。
「何吃驚してんだよ。それとも、家に来られるのが嫌なのか?」
僕は慌てて首を振った。
「そうじゃないけど…でも……」
「なんだよ」
「悪い、です……その…先生には……奥さんがいるわけだし…」
すると、先生は突然笑い出した。
「お前、別に浮気してるわけじゃねぇんだから、心配しなくたって…」
「でも!…待たせちゃ悪いし……」
尚もぐちぐちと呟いていると、土方先生に強引に腕を掴まれた。
「つべこべ言ってねぇで、さっさと行くぞ」
外は相変わらずの土砂降りだった。
僕は戸惑ったまま、半分引きずられるようにして家まで帰ってきた。
逐一先生に道を教えて、また先生のことをびしょ濡れにさせて、家に着いて初めて我に返ったような感じだった。
「っまぁ!土方先生!」
中から飛び出してきた姉さんもまたびしょ濡れだった。
きっと仕事から帰ってきたばかりだったのだろう。
「あぁそうか……お前んとこは親御さんがいねぇんだったな…」
姉さんにを見て初めて思い出したらしく、土方先生は僕を改まって見つめてきた。
「あの……ありがとうございました」
僕は消え入りそうな声で、ぺこりと頭を下げながら言った。
僕だけの…土方先生との時間が終わってしまう。
それが辛くて、ともすると泣き出しそうだった。
「本当にわざわざ申し訳ございません」
姉さんもぺこりとお辞儀をした。
「いいんですよ。どうやら家も近いみたいですし」
土方先生は、保護者向けの笑顔になって言った。
「あの、今タオル持ってきます!」
「あー、気なんて遣わないでください」
しかし、土方先生の声が届くことはなく、せっかちな姉さんは家の中へ消えていった。
「じゃあ、また明日」
土方先生が僕に向かって言った。
「え?…あの、タオルは?」
「世話になっちゃ悪いからな」
「でも……」
「まぁこの天気じゃ、明日は休校になるかもしれねぇな」
僕が口を挟む間もなく、土方先生は空を見上げながら言った。
「濡れちまったから、風邪ひかねぇようにな」
そう言って微かに微笑むと、土方先生は僕の湿った頭をぽんぽんと叩いた。
呆気にとられてかちかちに固まっているうちに、土方先生は真っ暗な外に消えていった。
「お待たせしました………って、そーちゃん、土方先生は?」
「………」
「総司?」
「……あ……帰っちゃった」
我に返って言うと、姉さんは呆れたように溜め息を吐いた。
「あんたねぇ……そこは何としても引き止めなきゃいけないところでしょ?」
「うん…………」
「まぁ仕方ないわね。明日ちゃんとお礼言うのよ?」
「うん…………」
風邪を引くから早く家に入れ、と姉さんに急かされて、僕は腑抜けたまま玄関に入った。
渡されたタオルを呆然と眺めながら、頭に触れた手の感触を思い出そうとした。
でも無理だった。
試しに触ってみても、そこにはただ、冷たく濡れた髪があるだけだった。
指輪がこつんと当たった感触だけがやたら鮮明に思い出されて、思わず零れた涙は雨の雫だと誤魔化した。
もう、苦しくてどうにかなってしまいそうだ。
ウォークマンっていう単語がどうしても出てこなくて5分くらい悩みました(笑)
20110919
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