暑くて、じめじめして、鬱陶しい陽気が続いていた。
皆着物の合わせを大きく肌けて、裾を下帯が見えるぎりぎりのところまで託し上げていたが、それでも尚暑い。
暑さを凌ごうと必死で団扇や扇子を扇ぐ所為で、逆に汗ばんでいる始末。
「暑いー」
「こうも暑いと戦えねぇよ」
口々に愚痴っては、仕事もそっちのけで広間にばてている。
「新撰組幹部が夏バテたぁ、示しがつかねぇな」
不機嫌そうに言う土方の額にも、うっすらと汗が滲んでいた。
「示すもなにも、平隊士のほとんどが既に倒れてるんだぜ?」
「そーだそーだ、俺たちゃこれでも耐えてる方だ!」
いつもより心なしか元気のない永倉が、土方に向かって胸を張る。
「ひじかたさーん」
こちらも同じように、通常の覇気が全く感じられないぐでんぐでんの沖田が、土方の背中にのしかかった。
「っおい総司!退け!暑いだろうが!」
背中に張り付かれるなどたまったもんじゃねぇ。
土方は声を荒げた。
「ひじかたさん暑苦しいです」
「だから暑いなら退けってんだよ!」
ぼそりと呟く沖田を、身体ごと無理やり引き剥がす。
「うぅ〜死ぬ〜」
引き剥がされた勢いのまま、沖田は床にごろりと転がった。
普段からはだけている着物の合わせが更にはだけて、最早お飾り程度に身体を隠しているだけになっている。
「総司!だらしがねぇ!服くらいちゃんと着やがれ!」
沖田は仰向けになったまま片目を開けて、五月蝿そうに土方を見やった。
「もぅ、土方さんのその怒鳴り声で、不快指数が急激に上がるンですよ」
「あーあ。何か涼しくなるもんはねぇのかなぁ」
藤堂が、団扇を力なく煽りながら呟いた。
近所の子供たちを集めて西瓜割りをした。
屯所中に風鈴も飾った。
冷たい甘酒は飽きるほど飲んだし、商人が売り歩く、白玉の浮いた、砂糖を溶かした氷水も山ほど買った。
打ち水は毎朝しているし、もうこれ以上涼む方法は思いつかなかった。
「あー」
すると不意に沖田が言った。
「何だ総司。なんか思いついたのかっ?」
「こんなのはどうです?
――――――
き も だ め し」
斯くしてその日の夜、新撰組の、肝試しに参加する意志のある者が、八木邸の庭に集まった。
「わぁ。なかなかの盛況ぶりだなぁ」
言い出しっぺの沖田は、肝試しの決行が決まると同時に、1日かけて準備を進めていた。
「隊士たちも、暑さにゃ勝てねえからな!」
何故か青い顔をした永倉が、沖田の横に突っ立って言う。
「あれぇ?何で新八さん、身体が震えてるんですかぁ?」
沖田がにやにやしながら聞くと、永倉は慌てたように取り繕った。
「そ、そんなっふ、震えてなんか……きっとあれだ!武者震いってやつだ!」
「ははは。新八っつぁんも見栄っ張りだよなぁ。素直に怖いって言えばいいのに」
「そういう平助は?怖くないの?」
「お、俺は……佐之さんと一緒に行ってもらうからさ。な?佐之さん」
「おう!俺がお化けなんて一突きに殺してやるからな」
「あはは。佐之さん、お化けは既に死んでるから殺せませんよ?」
「ちょ、おぉぉいっ!!お前ら何勝手に協定結んでんだよ!俺も混ぜろ!俺も!」
「あはは。ダメですよ、一人で行く規則ですから」
沖田が呑気に笑った。
「おお、総司じゃないか。こんなところにいたのか」
そこへ近藤がひょっこりと現れた。
「あ!近藤さんっ」
嬉しそうに沖田が駆け寄る。
「近藤さんも、参加してくれるんでしょっ?」
「もちろんだとも。今回の肝試しは、総司が企画したと聞いたぞ?」
「えへへ。企画だなんて大げさな…でもまぁ準備はしましたけど………」
「それは楽しみだな!大いに楽しませてもらうぞ」
近藤は沖田の頭を優しく撫でると、見物していた山南や島田の方へと歩いて行ってしまった。
「ところで、」
沖田が声色を変えて言うので、藤堂、原田、永倉は不思議そうに沖田を見た。
「あの人の姿が見えないんだけどなー」
「あの人……?」
「…!も、もしかして、あの、鬼のことじゃ………」
「まさか総司、土方さんを鬼役で起用したんじゃないよな?」
「まさか。あんな暑苦しい鬼、折角涼しくなろうとしてるのにいらないよ。それに、あんなのが突然出てきたら興ざめもいいところだしね」
散々な言いように、一堂はおっかなびっくり沖田を見守る。
すると、沖田はニヤリと不適な笑みを浮かべた。
「もしかしてー、怖がってたりして……」
「あ、あぁ………………って、え゛ぇ!?」
「総司、い、いくらなんでも、土方さんに限ってそんな……」
「そうだよ総司!土方さんは鬼だし、そんなわけが………」
「でもー、その鬼さんが意外に怖がりだったら、面白くない?」
「総司まさか……土方さんが怖がりだって知ってて…」
「ワザとなのか!?」
「やだなぁ、人聞きの悪い」
質問をはぐらかして、沖田はにっこりと微笑んだ。
「そういや土方さん、昼間もあんまり乗り気じゃなかったような……」
永倉の言葉に、皆がハッとした。
実際、昼間沖田が肝試しをしようと提案した時、土方は微かに眉を顰めたきり、うんともすんとも言わなかった。
そして、皆が妙案だなんだと騒いでいるうちに、いつの間にか姿が消えていたのである。
「土方さんが、ねぇ………」
藤堂が面白そうに呟くと、背後から不機嫌極まりない声が聞こえてきた。
「俺が、何だ」
「げっ!!土方さん!!!」
「げ、とはご挨拶だな」
土方の眉間には、深々と皺が刻み込まれている。
「あれぇ?土方さん、布団かぶって震えてなくていいんですか?」
「あぁ??!何で俺がそんなこと……」
「だって土方さん、幽霊が怖いんだろ?」
「は?!」
「いやしかし土方さんが怖がりだとはね…」
「待て待て!何で俺が怖がりってことになってんだよ!」
「だって昼間もいつの間にかいなくなってたし、それに総司が……」
「総司が何だって?」
「あーいやー……そのー……」
「総司!!どういうことだ!」
「え?僕は事実を言っただけですよ?土方さんはへたれだって」
「総司!!お前ただじゃすまねぇからな!」
「じゃあなんで昼間いつの間にかいなくなったんですか?」
「それは…あれだ、仕事が溜まってたからだ」
「でもー、今ここにいるってことは、もうお仕事は終わったってことですよね?」
「い、いや……まだだ。皆ががやがや五月蠅えから、仕事にならねぇんだよ」
「…………本当に?」
沖田が土方の顔を覗き込む。
「う、嘘吐くかよ」
「じゃあ、どうせ仕事にならないんだから、勿論参加してくれますよね?」
沖田の駄目押しに、藤堂、永倉、原田も期待を込めて土方を見た。
「っわかったよ!!参加すりゃあいいんだろっ?」
「ふふ。そうこなくっちゃ」
沖田はにんまり笑うと、縁側の上に立って、大声を張り上げた。
「参加する人ー!聞いてくださーい!」
がやがやと騒いでいた隊士たちが、全員しーんと静まり返る。
「今日は、壬生寺の和尚さんに協力してもらってー、境内も使わせて貰えることになりました!」
わぁ、と歓声が上がり、土方の眉間の皺が少し増えた。
「道順は簡単!屯所を出たら、真っ直ぐ壬生寺に向かって、墓地の中を通ってから境内に入って、境内に置いてあるお札を取ってきてくださーい。無事に帰ってこられたら、豪華賞品(粗品)、を贈呈しまーす♪」
「豪華賞品かっこ粗品って何だよ!」
「えーと、イ賞豊玉発句集、ロ賞石田散薬、ハ賞金平糖、ニ賞お酒、」
「ニ賞が一番マシだな……」
「って総司!!それは俺の句集だ!!」
案の定目を吊り上げて怒鳴り始めた土方を余所に、沖田はどこ吹く風で淡々と話し続けた。
「そういうわけなので、豪華賞品(粗品)を手に入れたい人もー、自分のものを取り返したい人もー、公明正大に、正々堂々と頑張って奪還してくださいねー」
土方のこめかみには青筋が走り、今にもぶち切れそうになっている。
それを見ていた隊士らは、なるほどこれも肝試しの一貫なのかと納得し、体感温度が冷えるのを実感したのだった。
「じゃあ、順番決めのくじを引きに来てくださーい」
我先にと列を成す隊士らに、沖田はたくさんの紙が入った巾着を差し出した。
「げっ!俺、壱って書いてあるぜ!」
永倉が素っ頓狂な声を上げた。
「わ、新八っつぁんが最初かぁ!頑張れよ!」
「嘘だろー!?俺が下見役ってことかよ!」
「あ、佐之さん何番だった?」
「俺は自分の隊番と同じだったぜ」
一番落ち着いている原田が、飄々と言う。
そんなこんなで、近藤も含め、参加者全員がくじを引き終えた。
が。
「おい、総司」
「あれ、土方さん、どうかしましたか?」
「どうかしたかだと?あぁそうだ。何で俺の分のくじがねぇんだよ」
「あー、土方さんは一番最後って決まってるんで」
「はぁ!?何でだよ!?」
最後じゃあ帰ってきた隊士の様子で、ある程度内容がわかっちまうじゃねぇか。
そう言ってくじを引かせろとしつこい土方を、沖田は煙たそうに見た。
「ほら、残り物には福があるっていうでしょ?だから大人しく甘んじてくださいよ」
これ以上交渉しても無駄そうなので、土方は渋々引き下がった。
そして、ようやく肝試しが始まったのだった。
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