「み…、耳は、聞こえるのか?」
尋常ならざる事態に、斬り合いの時ですら冷静沈着な斎藤が取り乱す。
「…ん……」
総司は、掠れた音を出すのですら一苦労といった様子だった。
「声が、出ないのか?」
斎藤は同じことを二度聞いて、総司は二度とも頷いた。
(精神的なものだろうか……それとも、足から悪い毒でも回ったのだろうか…)
斎藤が考えている間も、総司は何とかして声を出そうと躍起になっていた。
声が出なくなったなど、新撰組幹部としてあるまじきことだ。
そんな醜態はとても晒せない。
「総司、何かあったのか?」
斎藤に聞かれ、総司はハッと息を飲んだ。
ずっと土方との関係がぎくしゃくしていたことは、誰にも言っていない。
もしかしたら大事にならず、ただの痴話喧嘩で終わってくれるかもしれないと思い黙っていたからだ。
しかし、事態は思わぬ方向へと転がっている。
自分から土方に終わりを告げてしまった以上、土方との関係は完全に破綻したのだ。
しかし総司には、それを皆に自分から伝えるつもりはさらさらなかった。
皆心配するだろうし、迷惑も被るだろうから、副長である土方がするようにして自分は黙っていようと考えていたからだ。
そういうわけで、総司は黙って首を振った。
「斬られたことが……そんなに衝撃だったのか?」
そう思われるならそれでもいいと思い、こくんと頷いた。
「総司…正直に話してほしいのだが。そうでないと、治るものも治らなくなる」
溜め息混じりに言う斎藤に、総司は肩を竦めてみせることしかできなかった。
何の反論も出来ないのが、こんなにも不自由なことだったとは。
総司は否定の言葉を述べようとしたが、思いが声になることはなかった。
「…んぅ……」
口をぱくぱくさせて、必死で何かを伝えようとする総司を制し、斎藤は総司の手をやんわりと掴んだ。
「…取りあえず、あんたは部屋に戻って寝ていろ。俺から皆に説明しておく。ついでに朝餉を部屋に運ばせよう」
総司は、斎藤に肩を貸してもらい、ゆっくりと部屋まで戻った。
「安心しろ。すぐ戻ってくるから」
思わず不安げな顔をしてしまったのだろうか……
斎藤は総司を寝かせると、宥めるようにその手を握った。
「ぅ……」
「無理に声を出そうとするな」
総司はこっくりと頷いた。
*
「何だってぇぇぇ!???」
広間に大音量がこだまする。
「総司の声が出なくなっただとぉ!?」
「新八っつぁん、そんな大声出すなって…」
その時広間にいた、藤堂、原田、永倉の三人はお互いに顔を見合わせた。
「けどよ……」
「斎藤、総司の足はもう大丈夫なのか?」
「特に膿んだりはしていなかったが、まだまだ痛むようだった」
三人は難しい顔で黙り込む。
「声が出ねぇなんてな……」
「それって、やっぱり精神的なもんなの?」
「分からない。後で顔でも出してやってくれ」
「お、おぅ……」
気まずい沈黙が流れているところへ、昨日から問題となっていた張本人が現れた。
「副長………」
「っ土方さん!」
その場の空気が更に気まずくなる。
「………お早う」
「それより土方さん…」
「総司のことなら、聞いた。斬られたんだってな」
「斬られたって…それだけかよ!」
「いや、心配してる。後で顔を出すつもりだ」
それは、あの過保護で心配性の土方とは思えないほど、淡々とした口調だった。
激高して、すぐにでも鬼のような形相で総司のところへすっ飛んで行っても良さそうなものなのに、至って落ち着いている土方に、一堂は憤りすら覚えた。
「土方さん、あのさぁ……」
「副長、総司と何かあったのですか?」
副長至上主義の斎藤が刺々しい口調で聞いたものだから、皆しーんとして息を詰めた。
すると、土方は驚いたように言った。
「お前ら知らなかったのか?俺たちは――別れたんだ」
「はぁぁぁ?!!」
「てっきり総司の奴が言ったと思っていたんだが」
斎藤は、総司の声が出なくなったという事実を伝えようとした声を引っ込めた。
土方の言ったことが衝撃的すぎて、何も言えなくなってしまったのだ。
「や……土方さん、そりゃねぇよ」
「何でだよ!何で急に…そんな……」
「昨日一体何があったんだよ!」
土方は眉を顰める。
「昨日俺が島原にいたら、何故か総司と会っちまったんだよ」
「……おいおい、土方さん仕事してたんじゃねぇのかよ!」
藤堂が声を荒げた。
「仕事してたぜ?」
「仕事?島原で?」
「接待ってわけじゃねぇよな?」
「…背に腹は代えられねぇってやつだ。大きな声じゃ言えねぇが、新選組の為に外せねえ仕事だった、」
「仕事で女を抱くのか?」
原田の言葉に、土方は激高する。
「抱いてねぇよ!誰がんなもん……」
「でも、じゃあ何で総司があんなに傷ついてんだよ」
「俺は……仕事をしてただけだ」
土方は諦めたように訥々と言った。
それを見て、原田が土方に詰め寄る。
「ふざけんなよ!土方さんが島原で何をしてたのかなんて知らねえけど、総司を傷つけた、ってのは確かだろ!」
「……いいさ、信じなくたって。総司を傷つけたのが俺だってのは事実なんだろうしよ。どちらにしろ、仕事の内容を今言うわけにはいかねえんだ。女を抱いていたとでも、何とでも思ってくれて構わねぇ」
土方の言葉に、その場にいた全員が、顔を見合わせた。
「副長………」
それきり目を閉じて黙り込んでしまった土方に、斎藤は恐る恐る告げた。
「副長、あの……」
「何だ」
土方が斎藤をぎろりと睨む。
「実は、総司のことなのですが、」
「何だよ、まだ何か言い足りねぇことがあんのか?」
「いえ………総司は、声が出なくなりました」
「は………何言って…」
冗談だろ、と土方は一蹴する。
「斎藤まで俺への嫌がらせか?」
「残念ながら、冗談ではありません」
きっぱりと言いきった斎藤に、土方はみるみるうちに顔色を変えた。
「………本当、なのか?」
「嘘だと思うなら、ご自分の目で確かめてみてはどうかと」
「っ…総司………!」
突然立ち上がって、全速力で広間を出て行く土方を、残された者は唖然として見送った。
「土方さん、仕事ってさ…何してたんだろ……」
「俺は…副長が総司を裏切るなど、決して有り得ないと思う」
俯きながら呟く斎藤の目が、微かに揺れていた。
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