『何?藤堂と永倉が?』
四国屋が外れだったとわかった途端、山崎が彼らしからぬ慌て振りで走ってきて言った。
『はい。藤堂が額、永倉は手をやられました…』
『っち…相当な激戦だな……これ以上死傷者が出ねぇうちに行くぞ』
『はい。あ、それと、副長』
『何だ』
『あの……沖田組長が……』
『何?総司がどうした?』
『……血を吐いて…倒れたとか…』
『何だって?血を?!?』
『でも、詳しいことはさっぱり…』
『っ…急ぐぞ』
脇目もふらずに、四国屋から池田屋までの道を駆け抜けた。
それなりに距離があったが、一度も足を止めることはなかった。
もしも…自分が着くまでに総司がやられるようなことがあったら………
死んでも悔やみきれねえ。
『総司ぃ!どこだ!?』
池田屋に着くと、表は他の者に任せて、自分は一目散に中に駆け込んだ。
残党を力任せに叩っ斬って、店の奥へと進む。
そうは言っても、ほぼ決着はついていて中は不気味なほどしーんとしていた。
『土方さんたちが着いたぞ!』
遠くで誰かが叫んでいるのが聞こえた。
『総司!総司っ!』
暗闇の中、刀で身体を支えて屈み込んでいる総司を見つけた。
その胸と足元には、おびただしい血の跡が認められる。
それが斬った敵のものではなく…総司のものであることくらい、分かりたくなくてもすぐに分かった。
『土方さん…っこほ』
こちらを振り返って弱々しく笑ってみせるその顔は、暗闇の中で白く浮いて見えた。
酷く顔色が悪い。
土気色を通り越して、死人のようだ。
口の周りには、美しいほどに赤い血が、べっとりとついていた。
『総司!』
駆け寄ろうとした刹那、激しく咽せて、その場に総司が崩れ落ちる。
間髪入れずに、近くにいた原田が総司を抱き留めた。
『総司ぃっ!』
『トシ!』
近藤さんが駆け寄ってきた。
『近藤さん!総司が…』
取り乱して叫ぶ俺の肩を、近藤さんががっしり握った。
『大丈夫だ、トシ。俺は外の会津藩兵たちを退かしてくるから、トシは怪我人を外へ運んでくれ』
『総司……総司っ』
『トシ!しっかりしろ!俺たちは勝ったんだ!俺たちだけで、討ち入りに成功したんだ!堂々と凱旋しなくてどうする!』
背中をどんと押された。
『総司っ……』
慌てて転がるように傍に駆け寄ると、斎藤が総司の胴巻きを外そうとしているところだった。
『そっとだ、そっと外してやれ…』
『副長……』
怖いものを見るかのように、斎藤が俺のことを凝視した。
『大丈夫です。死ぬことはありません』
『こんなに血を吐いて、大丈夫なわけがあるかよ!!』
『土方さん……ちょっと落ち着いてくれよ』
総司を膝の上に抱きかかえていた原田が言う。
『だって…総司が……総司が…』
総司は卒倒したまま意識がない。
重い武装を全て外してやると、総司は胸で荒く呼吸を繰り返した。
『何だって隠してたんだよ……』
生きている、とほっとした瞬間、やり場のない怒りが込み上げてきた。
原田も斎藤も黙りこくっているのがまた辛い。
『これ、ただの吐血じゃないよな』
不意に、原田が呟いた。
その声は心なしか震えている。
『喀血、だよな………』
喀血………んなわけ……
総司に限ってそんなこと……
『…感染るかもしれません』
遠慮がちに言う斎藤を、思わずきっと睨んだ。
『んなわけあるかよ!!!俺は別に感染ったって構わねえ!!!』
『副長…』
『土方さん………』
その時、何やら外が騒がしくなった。
『トシ、トシ!』
近藤さんが、呼んでいた。
『近藤さん……』
『生存者の確認ができたぞ……総司はどうだ?』
俺はただうなだれて首を振った。
『生きているだけで……充分だ』
帰ろうと、近藤さんが短く言った。
今まで総司の病に気付いてやれなかったことも相当な衝撃だったし、総司はもう二度と起き上がれないんじゃと思うと、心に寒い風が吹いた。
『俺が連れて帰る』
原田と斎藤を退けるようにして、総司を抱きかかえようとした。
『ん……』
『総司?気づいたか?』
慌ててその顔を覗き込むと、総司の目がゆっくりと開いた。
『総司!』
『あ…土方さん……』
『大丈夫か?』
『あはは…そんなに、けほっ…心配しなくても………大丈夫ですよ、ただの…ごほっ!風邪だから…』
『馬鹿野郎!こんだけ血を吐いて、ただの風邪なわけがあるか!』
『これ、僕の血じゃないですよ…全部、返り血で……』
『嘘はいらねえんだよ!大丈夫かどうか聞いてんだ!』
総司、と強く……胸を圧迫しないように抱き締める。
『心配させんな………』
『土方さん…』
ごめんなさい、と呟くのが聞こえた。
『……立てるか?』
『ん、』
覚束ない足元をしっかりと支えてやって総司はようやく立ち上がった。
『帰ろう。歩けるか?』
『大丈夫ですよ…』
肩を貸してやって、ゆっくりと一歩一歩前に進んだ。
『何で黙ってた』
『…黙ってませんよ。知らなかったんです』
『嘘吐くんじゃねえよ』
池田屋の外に出ると、上ったばかりの朝日が眩しかった。
『長い夜でしたね』
『……あぁ』
道の両脇に所狭しと並ぶ見物人を見て、新撰組がやってやったのだと、誇らしくなった。
だが、じろじろと総司を眺める視線に腹が立つ。
『僕たち、勝ったんですね』
『ああ、そうだ。俺たちがやったんだ』
群衆を虚ろな目で眺めながら呟く総司に俺はにっこりと微笑んでやった。
『おめぇ、ちゃんと治すんだぞ?』
『ん…感染ると悪いですからね』
『馬鹿。おめぇは気の使いすぎなんだよ…ほら、ちゃんともたれろ』
俺は、総司をしっかりと引き寄せた。
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