――ねぇ土方さん、土方さんとあの子って、会ったことあったかしら?
――ねぇよ。前、写真は見せてもらったけどな。
――そうよねぇ……
――どうかしたのか?
――ううん………でも、変なのよ
――何が。
――あの子、土方さんのこと、知ってるって言うのよ。
――そりゃ、どこかで写真見たとか、ミツさんが話したとか、そういうんじゃねぇのか?
―――違うのよ。好きな物とか、性格とか、何から何まで事細かに知ってるのよ……なんだか、薄気味悪くない?
とある日の放課後、古典準備室。
僕はいつものように、土方さんの補習に付き合ってあげていた。
「僕早く帰りたいんですけどー」
「つべこべ言ってねぇでさっさと解け」
「土方さんが代わりに解いてくれたら嬉しいなぁ」
「おい総司、学校では先生と呼べって、何度言や分かるんだ」
「ねぇ、僕集中力切れちゃったから甘いものがほしいんですけどー」
「無視かよ……」
「ねぇー、せんせい?」
「っ…お前なあ…それが補習になってる奴の態度かよ」
僕はぴらぴらとプリントを捲った。
「あ゙ああああー」
嫌悪感をこめて雄叫びをあげてみると、土方さんはギョッとしたようにこちらを見た。
「ちょ、おま、なんつー声出してんだよ」
「あ゙ああああっていう声ですよ」
僕がふてくされて答えると、土方さんは大袈裟に溜め息を吐いた。
また何か小言を言われるのかと思いきや、そのまま自分の仕事に戻ってしまう。
「……いいから早くやれ」
相手にしても無駄だと思ったんだろう。
僕も土方先生にちょっかいを出すのは諦めて、渋々プリントに向き直った。
――ほんと変わらないよね、そういうところまで。
まさか、僕の願いを神様が叶えてくれるなんてね。
神様に、そこまで嫌われてもいなかったらしい。
死ぬときに、お願いした。
僕の大好きなあの人が、幸せになりますように、って。
そしてもし出来たら、またどこかで巡り会って、傍にいられますようにって。
僕の最期のお願いは、どういうわけかいとも簡単に叶ってしまった。
生まれてすぐに幼なじみとして土方さんと知り合い、物心ついた時には既に記憶を持っていた僕は、最愛の人と再び出会えたその喜びに何度も胸を震わせたものだ。
それなのに。
せっかくまたこうして巡り会えたのに。
今度こそ、ずっと一緒にいたいって思ったのに。
――どうして貴方は、僕のことを忘れちゃったの?
どうして、何も覚えていないの?
そう、肝心の土方さんには、昔の記憶というものが一切欠落していたんだ。
それじゃ意味ないのに。
神様もとんだ意地悪をしてくれたものだ。
容姿も性格も、全部一緒。
貴方は紛れもなく、貴方なんだけど。
「……じ」
でも、大切な感情が一つ、すっかり抜け落ちてしまっている。
「総司っ!」
「……っ何ですかいきなり。大声出さないでくださいよ」
ハッと気が付くと、土方さんが僕のことを不機嫌そうに睨んでいた。
…そうやって、少し苛ついた声で僕の名前を呼んで、眉間に皺を寄せて。
貴方の仕草が全て、僕の心を揺さぶるというのに。
貴方はなぁんにも覚えてないんだもんね。
ほんと、嫌になっちゃうよ。
「お前なあ、ぼうっとしてる暇があったら一問でもいいから解け。とにかく手を動かせ」
「……はーい」
これ以上怒らせたくもないので、僕は仕方なくシャーペンを握って問題を解き始めた。
こんなの朝飯前なのになぁ。
少しでも貴方と一緒にいたいから、わざと補習にかかるような点数を取っただけなのに。
ちっとも思い出してくれないんだから。この鈍感教師め。
そんなことを思いつつ、不本意ながら問題を解いていると。
「…ああ、そういえば、総司」
手を動かせ、なんて言っていた土方さんが自分から話しかけてきたので、僕は嬉々として顔をあげた。
「何ですか?せんせ」
「俺たちが初めて会ったのって、いつだったか覚えてるか?」
「はあ?」
なんの脈絡もない質問に、僕は戸惑う。
何で今、そんなことを聞くんだろ。何か関係あったっけ?
「初めて会ったのは……僕が小学校に上がる時ですよ?近藤先生の家に姉さんと遊びに行って…それで近藤先生から紹介されて…」
「確かか?」
本当は、もっともっと前に、僕たちは一度出会っているんだけどね。
「何でですか?」
「いや、ちょっとな……思い出したから」
「え、何を思い出したんですか?」
「……ミツさんに言われたこと」
「は?……姉さんに?」
「ああ。お前が、俺のことを知ってるって言ったんだとよ」
「……いつ?」
「俺たちが初めて会った日に。お前は俺のことを既に知ってると、そう言ったらしい」
「……へえ」
僕は無関心を装って相槌を打った。
そんなの、当然じゃない。既に知ってたのは事実なんだから。
そういうことを姉さんに言ったのは覚えてないけど、僕のこの記憶が物心ついたときからあったことは確かだ。
「それで、どうしたんですか?」
「いや、別にどうもしねぇよ」
「どうもしなかったのに、急に思い出したんですか?」
「……思い出しちゃ悪いかよ」
「…そんなこと言ってないじゃないですか。何で思い出したんですか?」
「昨日ミツさんと話したからな……」
「へ?姉さんと?何で?」
僕は吃驚して身を乗り出した。
だって、一応姉さんは僕の保護者ってことになってるけど、一緒に暮らしてるわけでもないし、姉さんはとっくに結婚して、少し離れたところに住んでいるから。
「何でってお前…」
僕は興味本位で聞いただけなのに、何故か土方さんは見る見るうちに眉間に皺を寄せて、いかにも怒鳴るぞ、っていう顔になってしまった。
そして案の定、怒りを爆発させた。
「お前の古典の成績と教師に対する態度が酷すぎるから、"保護者"に報告してたんだよ!」
「あぁ、なるほど」
「あぁなるほど、じゃねぇ!少しは反省しやがれ!」
怒鳴り散らす土方さんを、僕はへらへら笑って軽くかわした。
「それで?姉さん何て言ってた?」
「あぁ?」
「だから、僕のこと姉さんは何て…」
「……可愛い可愛い弟なんだから、くれぐれも大切に扱ってくれ、だとよ。私が面倒を見られない代わりに、近所に住んでるんだから少しくらいは気遣ってやる、って言い出したのは土方さんの方でしょ?なんて言われちまって、逆に俺が怒られてるみてぇだった」
僕は満足して口角を上げた。
「へーえ。さすが姉さんだなぁ」
「あぁ……ていうか何で俺がこんなことをお前に話さなきゃならねぇんだよ!」
「土方さんが勝手に話したんじゃないですか」
「っくそ…ったく、姉弟揃って扱い辛ぇ」
「そんなつれないこと言わないでくださいよ。もう10年以上トモダチなのに」
「友達じゃねぇ!おめぇは俺の生徒だろうが……って総司、お前また手が止まってんじゃねぇか!」
「それは土方さんが話しかけてきた所為でしょ?」
「わかったわかった。悪かったよ。悪かったから早く終わらせてくれよ」
土方さんはやれやれと頭を垂れた。
む、何かその反応ムカつくんですけど。
僕は仕返しに、ちょっと意地悪をしてあげることにした。
「因みにですけど、覚えてますよ」
「は?」
「土方さんのこと、よーく覚えてます。何もかも」
にこりと笑いながら言ってあげると、案の定土方さんはクエスチョンマークでいっぱいになってしまった。
「お前何言って…」
「でも、土方さんが覚えてないなら仕方ないですよねー」
言ってるうちに何だか寂しさがこみ上げてきて、僕は居た堪れなくなってすくっと立ち上がった。
「はいこれ。こんな補修内容じゃ緩すぎますよ。とっくに終わっちゃいました」
じゃ、と言って、席を立つ。
呆気に取られて見ている土方さんを尻目に、僕は教室を後にした。
本当は、土方さんと僕の過去のことを言ってしまおうかとも思った。
でも、それじゃ意味がない。
土方さんが、自分で思い出さないといけないことだから。
それに、今の土方さんの気持ちは、もう全く別の物なのかもしれないしね。
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