その日の夜半、新撰組の屯所に異変が起こった。
いつも遅くまで仕事をしている土方でさえも既に布団に入っているような時間。
突然表の方で大きな物音がして、継いでどたばたと人が駆け回る音が聞こえてきた。
微睡みかけていた土方だったが、俊敏にただならぬ気配を感じ取り、飛び起きて枕元の刀を掴み取ると、大慌てで部屋の外に飛び出した。
髪も結わぬまま騒がしい玄関の方へ駆けていくと、血相を変えた原田が槍を片手に屯所を出て行こうとしているのが見えた。
「おい!何があった!」
土方が怒鳴る。
「あっ、土方さん!た、大変だ!すぐそこで不逞浪士が暴れてんだ!」
「何だと?!」
土方は眉を吊り上げた。
「きっと、近藤さんの留守を狙ったんだろうぜ」
それを聞いて、土方はすぐにピンと来た。
「不逞浪士ってのは、長州の奴らのことか?」
土方が息咳ききって聞くと、原田は険しい顔で頷いた。
「はっきりとは分かんねえけど、恐らくそうだろう」
「ちっ…とうとう直接屯所に乗り込んできやがったか」
(っ…くそっ!何だってこんな時に…)
土方は冷静になろうと、手をこめかみに宛てて深呼吸をした。
こういう時に指揮官である自分が取り乱していたのでは、全員が犬死にしてしまう。
「…で、他の奴らはどうした?」
「二番と三番と八番組が応戦中で、他の組も戦闘準備をしてるところだ。必死で食い止めてんだが、裏からも回られたらしくてよ、」
俺も今向かうところだと、原田は早口でまくし立てた。
そのいままでにない狼狽ぶりに、土方の心がざわつく。
「も、もしかしたら、もう屯所内に侵入しちまってるかもしれねぇ!」
「それで、総司は?総司はどうしたんだ?」
焦る土方に、原田が追い討ちをかけた。
「今は誰も見てねぇ。何しろ外を食い止めねぇといけねぇし………」
土方は色をなくして立ち上がった。
……総司が危ない。
しかし、すぐにでも総司の元に駆け付けそうになるのをぐっと堪えて、土方は冷静に考えを巡らせた。
まさか全員で総司一人を殺そうとしているわけではないだろうから、きっとついでに他の幹部にも手を下して、新撰組をめちゃくちゃに潰してやろうという魂胆なのだろう。
いくら精鋭揃いの幹部が応戦中とは言え、奇襲をかけられたのだ。
いささか分が悪い。
土方は深呼吸を一回すると、髪の毛を適当に結いて、着物の裾を絡げ、袂にたすきをかけた。
最後に鞘から刀を抜き払うと、その鮮やかな手つきに呆気にとられている原田をちらりと見ながら、早口で命令を下した。
「…原田は急いで永倉たちの応援に行ってやれ。何が何でも敵を食い止めろ。狙いは総司だろうから、屯所に乗り込まれる前にやっつけちまえ」
「よしきた……で、土方さんはどうすんだ?」
「俺は、総司んとこに行く」
そう言うと、土方は風のように廊下を駆けていった。
*
咄嗟に出そうとした悲鳴が声になることはなかった。
当たり前だ、自分は今声が出せないのだから。
その上、肝心要の足まで負傷していて動かない。
まさに、絶体絶命だった。
「沖田、だな?」
三人の男に囲まれて、総司はなすすべもなく布団の中に座っていた。
昼間から寝てばかりな所為で、ちっとも眠れずにいた。
すると突然遠くで派手な物音がしたので、何かあったのかと心配していたところだった。
そんな中、不意に襖が開いたかと思ったら、顔も知らない見ず知らずの男たちがずかずかと侵入してきたのだ。
纏っている雰囲気や殺気からして、穏やかな状況でないことはすぐに分かった。
咄嗟に命の危険を感じたが、今の自分にはどうすることもできない。
総司は全くの無力だった。
「おい、聞いてんだよ。答えろ!」
黙って敵を睨んでいたら、不意にどんと背中を小突かれた。
「っ…く………」
何か言いたくても、声が出ない。
皆に、危険が迫っていることを知らせることすら不可能だ。
総司は、自分を見下ろす男たちを、睨んで威嚇することしかできなかった。
いつからこんなに無力になってしまったのだろう。
「この間なんて、俺たちの仲間を八人も殺してくれちゃってねぇ、」
この間というのは、島原からの帰り、足を斬られた時のことだろうか。
八人もいたのか、と総司は朧気な記憶を呼び起こした。
「本当に、どうもありがとさん」
睨み付けることで抵抗していると、不意に敵の一人が髪の毛を鷲掴んできた。
「っ……!」
なかなか強いその力に、総司は顔を歪める。
「は、いい面だな………」
刹那、くるまっていた布団を退けられた。
「っ…」
総司が思わず息を詰めると、敵は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「ずっと思ってたんだけどよ、お前意外と綺麗な顔してるよな」
「本当、ムカつくくらいによ」
伸びてくる手に、総司は嫌悪感を顕わにして顔を背けた。
「おっと、反抗的な態度はよくねえよなぁ」
そう言って、三人掛かりであらゆる方向から押さえ込まれてしまえば、もう何も抵抗は出来なかった。
「っ!!」
総司は必死にもがいたが、痛む足が言うことを聞いてくれない。
まるで自分の体の一部ではないように、ずっしりと重く横たわっている。
声も出せずに、総司は必死でもがき続けた。
「おい、お前もしかしてしゃべれねぇのか?」
そのうちに、声が出せないことを気付かれてしまった。
「さっきから何も言わねぇよなあ」
「どうしたんだよ、この喉はよっ」
「ぐ………っ!!」
総司は激しく咳き込んだ。
喉を思い切り殴られたのだ。
首が仰け反って、無防備に敵の前に晒される。
それなのに、嫌だ、痛いと抗議することすらできなかった。
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