「総司が狙われてる?!」
またもや大声を出す永倉の口を、原田が慌てて塞いだ。
「馬鹿!誰かに聞こえたらどうするんだよ!」
原田が怒鳴ると、永倉はあちゃーと頭を掻いた。
「い、一体誰に………」
驚いて斎藤が問うと、土方は眉間に皺を寄せた。
「だから、今それを調べてるところだ」
土方がことのあらましを説明し終えると副長室には重苦しい空気が立ち込めた。
昨日島原に行ったのは、実は総司のためだった。
最近執拗に総司を付け狙う者がいると、山崎から報告を受けていたのだ。
一番組の巡察の時必ず後をつけている者がいて、最初は新選組全体の動向を探っているのかと思っていたのだが、一番組以外の巡察には姿を見せず、逆に非番の日に出かけた総司のことを追っていたというのだから、これは完全に総司一人を狙っているのだとしか思えない。
土方は、総司が誰かに恨まれるようなことをしたのかと考えて、愚問だったと自嘲した。
一番組は一番出動回数が多いし、高い業績を上げているから、その分沢山の人を斬っていることにもなる。
ほぼ毎日誰かの恨みを買っているようなものだろう。
それに、新選組自体が、敵だらけの組織なのだ。
何時誰に、命を狙われても何ら不思議はない。
そういうわけで、土方は総司を狙う者について、密かに調査を進めていたのだった。
出来れば総司を屯所から一歩も外に出したくなかったが、対面上そういうわけにもいかず、結局このことは近藤にも、総司本人にも言わず、土方と山崎以外誰も知らない他言無用の絶対的な秘密として通すことにした。
ただでさえ忙い近藤に、わざわざ新しい心労を増やす必要はない。
それに総司は強いわけだし、いざとなったら自分の身くらい守れるだろうと踏んで、態と巡察に出すことで敵を泳がせていたのだ。
そういうわけで、秘密がばれないようにするのと早く検挙してやろうというので土方は仕事にかかりっきりで、自然と沖田を遠ざけるようになっていた。
勿論土方は、それを総司が気にしているのに気付いてはいた。
しかし、まさかあそこまで切羽詰っているとは思っていなかったのだ。
昼間の山崎の報告で、昨日総司を襲った奴らが、土方が追っていた奴らと関係していることも分かった。
もしあの時島原で土方が総司を止めていれば、こんな事態にはならなかったかもしれない。
そう思うと、どうしようもない後悔に襲われた。
どうして総司を狙うものがいると知りながら、夜道を一人で帰らせてしまったのか。
あの時の自分が悔やまれてならかった。
「副長、何故もっと早く教えてくれなかったのですか」
土方が後悔の念に苛まれていると、不意に斎藤が沈黙を破った。
「まさか、土方さん、俺たちのことまで疑ってたんじゃ……」
恐る恐る尋ねてきた藤堂に、土方は目を剥いた。
「…んなわけあるか」
「で、でも……」
「疑ってた訳じゃねぇよ。ただ、敵を欺くにはまず味方からって言うしな…総司が狙われてることに気付いていないよう振る舞うのが得策だと思って、言わなかっただけだ」
不安そうな藤堂に、土方は溜め息混じりに言った。
「それにしても、そんなことになっていたなんてな……」
その場にいる誰もがことの深刻さに気付き、口を噤んだ。
「じゃあもしかして、昨日の島原も……」
永倉が言うと、土方はこくりと頷いた。
「ああ、そうだ。山崎が、敵には好意にしている太夫がいると知らせてくれたんでな」
「それで"仕事"してたのか…」
昨日土方は、山崎が漸く掴んだ、"敵には懇意にしている遊女がいる"という情報の元、その遊女に敵の素性を吐かせようとして島原に赴いた。
本意ではなかったが、こういう仕事には自分が向いていると自負していたからだ。
それにこれは、他でもない、総司のためなのだ。
そう自分に言い聞かせて、早く決着をつけようとしていたのだが。
まさかこんなことになってしまうとは…
「それで結局、敵の正体は分かったのですか?」
「あぁ。まだ全貌は見えてねぇんだが、どうやら長州の刺客らしい。相当な腕前だとよ」
「総司より?」
「……さぁな。ただ、相手は長州が囲っている暗殺集団とのことだ。油断はできねぇ」
その場にぴりりとした緊張が走る。
それから、土方は控え目に付け足した。
「……現に、総司は襲われてるしな」
「まさか、昨日の狙撃もそれと関係してるってのか?」
「あぁ、どうもそうらしい……」
土方の言葉に、その場の空気がひんやりと停滞した。
なかなか拙い状況だと、誰もが理解し始めたのだ。
「暗殺集団、か……」
斎藤の重々しい言葉に、その場は水を打ったように静まり返った。
「まぁ、敵が誰であれ、俺は総司を殺そうとするやつは許さねぇ。ただ、それだけだ」
その場を取りなすように、しかしはっきりとした意志を持って、土方は言った。
「……そう、だよな」
「総司は俺たちの、大事な仲間だからな」
徐々に、全員の心のうちに闘志が漲り始める。
すると、不意に土方が口を開いた。
「俺はお前らのことは信用している。というより、してぇと思ってる」
「副長……」
「総司のことを知ったからには、お前らにもできるだけ協力してもらいてぇんだが、いいか」
そう言って、計るように一人一人の顔を見回す。
「…おいおい土方さん、そりゃないぜ」
すると、永倉が溜め息混じりに言った。
その言葉に、土方の眉がつり上がる。
「どういうことだ」
「今更いいかなんて、わざわざ許可を取るような仲かよ、ってことだ」
「新八……」
「そうだぜ、土方さん。むしろ、何で今まで俺たちに話してくれなかったのかって感じだな」
原田も大きく頷いた。
「そうか………お前ら……ありがとな」
「だって総司は仲間だろ?」
「そうだよ!総司のことが心配なのは、何も土方さんだけじゃないんだからな?」
土方は、仲間の暖かさに思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「なら早速だが、原田と平助に総司の部屋を見張っててもらいてぇ」
「見張り?」
「あぁ、総司は今負傷している上、声すら出せねぇ状態だ。そんな時に万が一敵襲をかけられたら、助けも求められずにやられちまうはずだ。いくら総司が強くたって、あの傷じゃあろくに戦えねぇだろう」
土方の的確な判断に、原田と藤堂は大きく頷いた。
「よし、見張り役は俺たちに任せてくれ」
「因みに見張りってのは、総司の奴がこそこそ出歩いたりできねぇように、っていう目的も含まれてるんだが」
「うわ、土方さんえげつねぇ…」
「………任せたぞ」
ここまで総司のことをよく理解し、誰よりも気にかけている土方だ。
島原での浮気など、疑う余地もなかったことに、全員がようやく気が付いたのだった。
「副長、」
「何だ、斎藤」
「副長のことを一度たりとでも疑って、申し訳ありませんでした」
「あぁ、土方さんの抱えてるもんなんか全く知らねぇで、ついつい疑っちまったぜ」
永倉もばつが悪そうに頭を掻いた。
「いや、いいんだ……覚悟、してたからな…」
そう言う土方の顔が、心底辛そうに歪んでいる。
総司も相当苦しみ心に深い傷を負ったのだろうが、それは土方にとっても同じことだ。
土方もまた、総司と同じように苦しみ、深く傷ついていた。
ただ、端から見れば加害者の立場にあるわけだし、総司と違って、その苦しみを分かってくれる相手も、土方には今の今までいなかった。
いくら自分で招いたこととは言え、その点においては、土方の方がより深く傷ついたとも言えるだろう。
「…早く、誤解が解けるといいな」
藤堂の言葉に、土方は軽く頷いた。
「信じてもらえるかは別にして、取りあえず話を聞いてもらいてぇもんだ」
それから暫し沈黙した後、土方は素早く気持ちを切り替えて、次なる指示を飛ばし始めた。
「永倉、斎藤」
「は、」
「何だ?」
「おめぇらには、巡察を徹底してやってもらいてぇ。白昼堂々と市中を巡回するのは、山崎にはできねぇことだからな」
「御意」
「よしきた。俺に任せとけ」
一通り指示を出し終えると、土方はほうと安心したような溜め息を吐いた。
「―――土方さん」
「何だ、藤堂」
「一人で抱え込まねーでくれよ?」
土方はふっと笑いを漏らした。
十歳以上年下から心配されるなど、未だかつてなかったことだ。
「お前に心配されるほど、俺は煮詰まってねぇよ」
「でも………」
「何だ、俺はそんなに酷ぇ顔をしてるか」
「いやほら、土方さんはさ、なんでもかんでも一人で背負いこみすぎる癖があるだろ?」
前にどこかで聞いたような言葉だった。
「そうか………そうだな、心配してくれてありがとよ」
土方が言い返したりせず、あっさり引き下がったことに、藤堂を含めその場にいた全員が目を丸くした。
「じゃ、お前ら頼んだぜ。俺は今日はもう寝ようと思う」
「あぁ、夜遅くにすまなかった」
「いや、俺も少し肩が軽くなった」
「じゃ、土方さんお休みなさい」
「おう」
「副長、よく休まれてください」
「お前らもな」
そう言うと、土方は立ち上がって出て行く皆を見送ってから、襖を閉めた。
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