「……行ったぞ」
土方さんが腕の力を緩める。
僕は心底ホッとして、ホッとしたら途端に足から力が抜けた。
「っはぁ………」
思わずその場にうずくまりそうになるのを、土方さんが支えてくれる。
「おい、大丈夫か?」
泣いている所為で、ろくに返事もできなかった。
「おいおい、そんなに泣くんじゃねぇよ」
そうは言われても、怖かったのと、土方さんがいるのと、嬉しいのとホッとしたのとで、頭は混乱状態だ。
「総司お前、家まで送ってやるから、とりあえず道を教えろ」
しかし、聞こえてきた土方さんの言葉に頭は更に真っ白になった。
「だ…ダメです、それは……」
「何でだよ」
途端に不機嫌そうな空気を纏う土方さんを、ひたすら懐かしいと思う。
「……っ大体、何で土方さんがここにいるんですか」
「お前のことが気になって、つけてきたからだ」
「……っ…じゃあ土方さんも犯罪者じゃないですか」
「お前なぁ、助けてやったってのにその言い方はねぇだろう」
「それは……その、まぁ…ありがとうございました…助かりました……感謝してます…けど」
思いつく限りのお礼の言葉を羅列してから、でもそれとこれとは話が違うと、土方さんを睨んだ。
「でも…さよなら」
僕は緩んでいた土方さんの腕からするりと抜け出すと、制止も聞かずに走り出した。
「あっ、馬鹿!おい!待てよっ!」
もう無理だ。
これ以上堪えられない。
あのまま土方さんの傍にいたら、ついうっかり"土方さんのことが忘れられない、ずっと好きだった"なんて言ってしまいそうで、言う前に離れようと思った。
今更そんなことを言っても、土方さんは困るだけだしね。
彼女がいて、幸せ絶頂の土方さんの足を引っ張るようなこと、絶対にしちゃいけない。
そんなことをしたら、二年間の僕の苦しみが灰燼に帰することになる。
その思いだけで、焼け付くように痛む胸には気付かないふりをして、必死に足を動かした。
「総司っ!待ちやがれ!」
追いかけてくる土方さんの声が、徐々に小さくなっていく。
全速力で走り続けて自宅のアパートが見えた時、僕はようやく足を緩めた。
もう大丈夫だろう。
そう思った時、後ろから大声で名前を呼ばれて、それと共にどたばたというものすごい迫力の足音が近づいてきた。
「総司っ!逃げるんじゃねぇ!」
あれ。
もしかして逃避行失敗?
僕は溜め息をつくと、諦めて立ち止まった。
「ったく、大人を走らせるんじゃねぇよ…」
ようやく追いついてきた土方さんは、肩で荒い息をしている。
そりゃあ、デスクワークばかりのこの人にとっては、かなり辛い運動だっただろう。
だったら、追いかけてこなければいいのに。
「おじさんにはキツかったですかね」
「っ…その減らず口は相変わらずみてぇだな」
自分でも、どこに冗談を言う元気が残っていたのかと驚いた。
「で?お前の家はどこなんだよ」
何だ。
まだ諦めてなかったのか。
「嫌です。教えません」
「教えないっつったって、どうせこの近くなんだろ?俺はお前が家に帰るのを見届けるまで、絶対帰らねぇからな」
「…っ…何で…」
二年前、僕は土方さんにこの上なく酷いことをしたはずで、しかも土方さんはさっきまでこの上なく素っ気ない態度を取っていたというのに、どうしてこんなに構ってくるのかさっぱり分からなかった。
が、僕が今ここで粘ってみたところで、土方さんが引かないのも確実だろう。
あんなにもひた隠しにしていた住所がこんなに簡単にバレてしまうというのも何だか虚しかったが、仕方なく僕はアパートを指差した。
「あそこです……あそこの206号室…」
二階建てのおんぼろアパートを、土方さんがまじまじと見ている。
「気が済んだら帰ってください…僕も…ちゃんと帰りますから…」
「…それは聞けねぇ相談だな」
「っ何言ってるんですかっ!?早く帰ってくださいよ!」
真夜中に大声を出すのも憚られて、僕は小声で鋭く叫んだ。
「のこのこ帰れるわけがねぇだろうが!ようやくお前に会えたってのに!」
「……っ…!」
土方さんにがしっと腕を掴まれて、僕は怯えるようにその顔を見た。
土方さんの剣幕が怖かったのではない。
土方さんに心が流れそうになっている自分が、怖かった。
「頼む……話ぐらい聞かせてくれよ…」
しかし、切なそうな声で言われてしまえば、感情がぐらつくのはどうにもできないことだった。
「なん、で……さっきはそんな素振り…微塵も出さなかったくせに…今更…どうして…」
淡々と事務的な話ばかりしていたじゃないかと、土方さんを睨みつけた。
「馬鹿。あんなところでお前に詰め寄ってみろよ。警察沙汰になってたかもしれねぇぞ」
警察沙汰になるほど、僕を問い詰めていたかもしれないってこと?
「だから、こうしてお前を追いかけてきたんじゃねぇか。理由が知りてぇんだよ…どうしても。お前がいなくなった理由が」
何だ。
土方さん、全然淡々となんかしていなかった。
ちゃんと、気にしてくれていたんだ。
それが嬉しくて、僕はつい首を縦に振りそうになる。
「でも………駄目」
「あぁ?何でだよ?!」
「………土方さんは帰らなきゃ。彼女さん、待ってる、でしょ?」
ここで自分に負けてはいけないと、僕は必死で言い返した。
「違ぇよ……あれは……あの女はそんなんじゃねぇぞ?」
土方さんの言葉に、僕は思わず耳を疑った。
「……どういうことですか?」
「はぁ…やっぱり誤解してやがったな」
「は?誤解?」
「あぁ。俺もきちんと説明してやる。だから総司も訳を話せ」
「う………」
土方さんに言われて、僕は二つを天秤に掛ける。
今まで二年間、散々自制してきた気持ちと、今この瞬間に流されそうになっている自分の気持ちとを。
その時、頭の中にある台詞がフラッシュバックしてきた。
―――また会ったのも何かの縁でしょ?
ああそうか。
これもまた運命ってやつか。
天秤は、片方にがくりと傾いた。
「分かりました………僕の家狭いけど、それでよかったら」
土方さんが顔を上げる。
すごく安堵したような、嬉しそうな顔をしていた。
僕は渋々土方さんをつれて、自分のアパートの階段を上った。
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