「ねぇ、一君……」
「何だ、平助」
「なんか、総司が気持ち悪いんだけど」
「……………」
平助の言葉に、俺は同感せざるを得なかった。
最近総司は妙に上機嫌で、いつもだらしなくにへらーっと笑い、総司にお熱だった町中のおなごたち…それと、総司に憧れていた隊士たちをドン引きさせている。
その原因は、アレだ。
「じゃ、今日も滞りなく隊務に勤しんでくれ。今日の巡察は…確か、一番組と三番組だったな」
あの、副長だ。
「うぇぇ…ほら、見てよ一君!総司のあの顔!」
青い顔をして、朝餉で隣の席についていた平助が俺に話しかけてくる。
いつもなら食事中だと一蹴するところだが、今回ばかりはそうはいかない。
何しろ、総司の様子が悲惨すぎて見ていられないのだ。
だらしなく下がった目尻。彼らしからぬ、幸せそうな笑みを湛えた唇。
左之も新八も呆れたような顔をして、気味悪そうに眺めている。
このままでは、総司は今に新選組……いや、京中で白い目を向けられるようになってしまうだろう。
それだけは、親友として何とか防いでやりたい。
今は、切った張ったをしている場合ではないのだ。
「何か良い手はないものだろうか……」
思わず呟くと、見ているそばから、総司が気味の悪い笑顔のまま、隣に座る副長に手を振った。
副長は眉を顰めて総司を見て、それから助けを求めるように、総司越しに俺を見た。
な、何故このタイミングで俺を見るのだ。
そんなことをしたらとばっちりが……ほら、きた。
「一君、僕の土方さんに色目使ったりしないでよ」
これでもかというくらい黒くて禍々しいオーラを放ちながら、総司が俺を睨んでくる。
平助は青い顔をして他人のふりを決め込んでしまった。
「お、俺は色目など断じて……」
「いくら土方さんに気に入られてるからって、そんなの絶対許さないからね」
「ば、ふざけたことを言うな!」
「大体さぁ、一君はいつも副長副長ーってひよこみたいにピヨピヨ後をくっついてさー、僕の土方さんなのに横取りしようとしてさー、」
ひよこみたいにピヨピヨくっついているのはあんたの方だ!と言いかけた時、総司の頭に拳骨が命中した。
「うぇっ…いったぁぁい!」
「静かにしねぇか。今が食事中だってことを忘れてんのか?」
副長が、総司に制裁をくだされたのだ。
「ふぁーい。土方さんの愛の鞭なら甘んじて受けますよー」
これまた気持ちの悪い切り返し方をして、総司が俺にあっかんべーをする。
こんな骨のない状態の総司に腹を立てるのは無駄だと、分かってはいる。
分かってはいるが、ムカつくものはムカつく。
「あんたには一度言っておこうと思っていたのだが、確かに副長はあんたのものになったかもしれない。しかし、決してあんただけのものではないことを忘れるな」
「うーー!そんなの分かってるよ!」
総司は頬をパンパンに膨れさせて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
一番言われたくないことを指摘されて、拗ねているのだろう。
総司がこうだから、副長との仲はもはや幹部だけでなく、平隊士まで周知の事実ではあるが、総司だけが独占していられるほど、副長は暇ではない。
「……でもさ…うへへ…」
暫くは拗ねているかと思いきや、また突然気味の悪い音声付きで笑い出した総司に、固まったのは俺だけではない。
平助も左之も新八も、それどころか張本人の副長までもが、口をあんぐりと開いたまま、箸を口に運ぶのも忘れて静止している。
「土方さんが、愛してるとか、そういうことを言うのは僕にだけだよねぇー」
犬も食わない痴話喧嘩、とはよく言うが、こんな惚気ともつかぬ気持ちの悪い発言など、犬どころか蟻だって食わないだろう。
普段、二言目には斬るだ殺すだ言う殺伐とした奴の発言だけに、余計に気味の悪さが目立つのだ。
「俺、思うんだけどよ―――」
新八が、左之にこっそり耳打ちするのを俺は聞いた。
「総司は絶対恋愛なんかしちゃいけねぇ人種だな」
「同感」
「よく今まで他の誰にも惚れずにきたよなぁ…」
平助までもが横から口を挟んでいる。
「俺は、あそこまで過度な愛し方をされている副長が不憫でならん」
俺も便乗して言ってみると、どうやら全員の賛同を得ることができたらしい、皆に大きく頷かれた。
………たった二人、副長ともう一人を除いて。
「………一君?」
ぎこちなく振り向くと、この上なく爽やかな笑顔を湛えた総司と目が合った。
…俺はいつから幻影が見えるようになったのだろうか。
総司の後ろに般若が見える。
「土方さんが不憫て、それどういうことかなぁ」
ギリ、と総司の爪が肩に食い込む。
皆が固唾を飲んで成り行きを見守る中、見かねた副長が助け舟を出してくれた。
「総司、斎藤が困ってるだろう。あまり困らせてやるなよ」
「むぅ〜……なんで一君の肩ばっかり持つんですか」
「今のは完全にお前が悪いだろ」
「そんなことないですよ?一君だって、僕のこと悪者みたいに言った」
「………俺はお前を悪者だとは思ってねぇよ。それでいいだろ?」
「うん、いいです」
副長は、総司を宥めるのが本当にお上手だ。
まぁ恐らくは、副長の言葉なら何を言ったって、総司の機嫌は良くなるのだろうが。
また元通り締まりのない顔になった総司を、皆複雑な心境で見守る。
こんなにだらしなくにやけられるよりは、以前の多少怖いくらいの総司の方がましだったかもしれないと、皆思っているのだろう。
どうしてこの男には、中庸というものが存在しないのか。
「それでは、俺はこれから巡察の準備をしてきます故、先に下がらせてもらいます」
「おう、頼んだぞ」
これ以上とばっちりを受けては適わないと、早々に席を立つ。
すると、ここぞとばかりに総司も立ち上がった。
副長にいいところを見せつけようとしているのが丸分かりだ。
「じゃ、僕も頑張ってきますね」
「おぅ、行ってこい」
「ちょっと、なんで僕には頼んだぞって言ってくれないんですか?」
「………総司、頼んだぞ」
もはやまともに相手をするだけ無駄だと思ったらしい。
副長は望み通りの言葉を口にすると、嬉しそうに広間を出て行く総司を、溜め息混じりに見送っておられた。
それから玄関先でまたぐずぐずと我が儘を言って、無理やり副長に愛してると言わせた総司の愛は、大きすぎて受け止めるのが本当に大変そうだ。
「はぁ」
途中まで一番組と共に京の町を歩いていると、隣で総司がやたら溜め息を吐く。
「どうしたのだ、溜め息ばかり」
「……土方さんが好きすぎて辛い」
「ま、また、……あんたって奴は!」
何を考えているのか、いや、どうせ副長のことに違いないのだが、宙を見つめて幸せそうな溜め息を吐きまくる総司に、こちらまで溜め息を吐きたくなってくる。
「どうしよう、ねぇ、一君」
「どうもしなければいいだろう」
「うー…だって、すっごい好きなんだ」
どういう経緯で恋仲になったのかは知らないが、総司は副長と付き合いだした途端に、それまでの反抗的な態度を一転させ、手の平を返したようにベタベタデレデレするようになった。
ベタベタを通り越して、最早べちょべちょだ。
幼い頃は勿論のこと、ついこの間まで、とても好きあっているようには見えないほど喧嘩ばかりしていがみ合っていたというのに、それらが全て好きの裏返しだったと思うと少しゾッとする。
この男の愛情は、ひねくれすぎていてよく分からない。
副長ほどの深い愛情を持ってしても、少々手に余るほどなのだ。
やはり、成る可くしてくっついたというか、副長でなければ総司のことなど受け止めきれないだろう。
「もうさ、身体中の血液がぶわって沸騰して死んじゃいそう」
「血液が沸騰するわけないだろう」
「たとえ話だよ!一君は、脳味噌溶ける〜、とか思ったことないの?」
「ない」
「やだねー。これだから一君は……あのね、恋ってすごく素敵なんだよ」
「あんたは年頃の娘か」
「いやもう、何かさ、今まで嫌いだった気持ちが全部好きに変わったら、何で今まで嫌いだったんだろうって思うわけだよ」
「……惚気ているのか?」
「それでね、もう土方さん以外のことを考えられなくなるの。僕、変になっちゃいそう」
「すでに充分変だと思うが」
「何だって?」
「……そんな調子で巡察などできるのかと言ったんだ。あんまり上の空だと、平隊士に示しがつかないぞ」
「えー、しょーがないじゃん。土方さんが勝手に僕の頭の中に入り込んでくるんだもん」
「…………」
いい加減、説教する気も失せてきた。
隊士たちは、これを一体どう思っているのだろうと後ろを振り返ると、皆が何とも言えない期待を浮かべて、そわそわしている。
「………?」
一体何なのだと総司を見ると、一番組の者が、不意に総司に話し掛けてきた。
「あの、く、組長!」
「はいはい、なぁに?」
「昨日の夜は、如何でしたか!?」
「なっ!!?!」
此方は驚いて声も出ないというのに、総司も一番組の隊士たちもいつものことなのか、全く動じていない。
いや、むしろ早く聞かせてくれと言わんばかりに、目を爛々と輝かせている。
何だこれは!
総司はいつもこんなことを隊士に話して聞かせているのか?
いや、待て!三番組まで、そう聞き耳を立てるでない!
「何かねー、優しかったよ。疲れてるのに三回も求めてくれちゃって。もーすっきりすっきり。大満足!」
…しかし、いざ総司が話し始めると耳を澄ませてしまうのは、あれだ………不可抗力だ。
「いやー、流石ですね、組長!」
「羨ましいです!」
「ダメだよーあれは僕のだからね」
口々に感想を述べる隊士たちに、総司がどや顔を見せつける。
と、その時突然、脇道から抜刀した男が飛び出してきた。
「新選組、覚悟ーっ!」
瞬時に空気がピンと張り詰め、隊士たちが次々と居合いの体制に入る中、
バキッ
――――――バキッ?
「あのねぇ、君みたいな雑魚に刀汚してる暇なんか僕にはないの。僕は一刻でも早く帰って、土方さんといちゃいちゃしたいんだから。分かったら暫く気絶しててね」
一人敵の鳩尾へと拳を突き出した総司が、愛の力で圧勝した。
「おおーっ!沖田組長ーぉぉぉ!」
「流石です!格好良かったです!」
やんやと囃し立てる隊士たちに、俺が言えることはもう何もなかった。
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