しんしんと雪が降り積もる。
物音一つせず、静かで、孤独な夜。
僕は一人縁側に腰掛けて、酒を飲むわけでもなく、ただじっと、とうに真上まで昇りきった月を眺めていた。
ついこの間までちゃんとまん丸かったのに、欠けた半分は一体どこに行ってしまったんだろう、なんて思って。
それから、落ち着きなく屯所の入り口の方を伺った。
もちろん、僕のいるところから直接入り口が見えるわけではないけれど。
それでも、気配がすれば分かる。
そのまま暫く動かずに居たら、とうとう寒さに耐えきれなくなった。
雪も降ってるってのに、そんな薄着してんじゃねぇ!なんていう怒鳴り声が頭の中で響き渡って、僕は仕方なく重い腰をあげた。
真後ろの部屋に戻り、綿をたっぷり詰め込んだ半纏を羽織って、また元の場所に座り込む。
後ろについた手で身体を支えながら、足をぶらぶらさせていると、不意に廊下の向こうからドタバタと足音が聞こえてきた。
無言でそちらを眺めると、いつもはだけっぱなしのお腹をきっちり隠して、寒そうに身を屈めた左之さんが、いそいそと歩いてくるのが見える。
「左之さん、こんばんは」
「総司、どうしたんだよ」
左之さんは驚いて僕を見下ろした。
「お前、こんなところで油売ってる場合じゃねぇだろう」
「ううん、いいんですよ。だってまだ着かなそうだし」
「こりゃ驚いたな。総司が真っ先にすっ飛んで行って、この上なく不機嫌な顔して、屯所の前を右往左往するもんだと思ってたのによ」
「へえ、そんな風に思ったんだ」
僕は眉を吊り上げて、左之さんにねっとりとした視線を送った。
「あ、いや、まぁ……その、な」
「ふん、別に怒ってないですよ?だって、慌てたってどうしようもないでしょ。過ぎたことは、僕には変えられません」
「そんなつれねぇこと言うなよ」
「だけど、ほんとのことじゃないですか。だいたい、あんな人にしてあげる心配なんかないですよ。心配するだけ無駄っていうか。ちょっとやそっとのことで死ぬようなタマだと思います?」
「……なんか、珍しいな。大人しい総司ってのは」
「そんなことないのになぁ……まぁいいや。僕はここにいますから、左之さんは早く、行ってくださいよ」
左之さんは分かったと頷いた。
誰よりも騒ぎ立てるはずの僕が、目くじらも立てずにのんびりと雪見をして、こうして一人になりたがっているその理由を、何となく察してくれたのだろう。
左之さんは大人で、理解があって、そして寛容だ。
僕はなかなかこうはなれない。
「それより、寒くねぇのか?なんなら、毛布でも取ってきてやろうか?」
「大丈夫。寒いのには慣れてるんだ」
「そうか、じゃあ、後でな」
左之さんは寒い寒いといいながら、深く干渉することなく去っていった。
辺りはまた静寂に包まれる。
雪の積もる音が聞こえてきそうだ。
それは確かに重みのあるものなのに、いつの間にか積もっていて、気付かないうちに一面を真っ白に染め上げてしまう。
そしていずれは跡形もなく溶けて、何もなかったかのように失われていくのだ。
「さむ………」
僕は半纏を引き寄せると、ぶらぶらさせていた足も中に引き込んで、小さく丸くなった。
*
「へっくしゅ!」
疲れの所為か、そのまま暫くうとうとしてしまったらしい。
自分のくしゃみで目が覚めた。
雪の中、外で眠りこけるなんて自殺行為だ。
僕は慌てて辺りの様子を伺った。
もう、帰ってきた?
そう思って耳を澄ませるが、屯所は相変わらず静寂に包まれている。
僕は静かに立ち上がった。
何となく、頃合いのような気がした。
半纏をその場に脱ぎ捨てて、屯所の玄関先までゆっくり歩いて行く。
上がり框(かまち)のところには、幹部連中が屯して、みんなして小難しい顔をしながら、腕組みをして立っていた。
静かに歩いてきたとは言え、僕にも気がつかないなんてちょっとおかしいんじゃないの。
その様子が余りにも滑稽で、思わず僕は笑いを零した。
すると皆が一斉に振り向く。
それがまたおかしくて、僕は場違いながらも笑い転げる。
「っ総司!」
「ようやく来たかと思えば、一体何が可笑しいのだ」
一君が険しい顔で僕を見た。
「あはは、ごめん、でも、あは、だって…みんなして難しい顔して突っ立ってるから、可笑しくて……」
尚も笑い続ける僕を見て、みんなは顔を見合わせる。
左之さんが言ったかどうか分からないけど、そりゃあ、一人で雪見してた僕の、あの静けさを知らなければ、何でこんなに明るいのかって、不気味に思うだろうね。
と、その時。
門のところで見張りをしていた隊士が、「副長!」と鋭い叫び声をあげた。
その声をかわきりにして、みんな一斉に玄関から出ようとする。
が、僕はみんなよりほんの少しだけ早かった。
玄関先に数個しか転がっていないつっかけ用の下駄を、争奪戦になる前に奪い取った。
それから、みんながぎゃあぎゃあやっている間に、もう土方さんの元へと走り出していた。
「土方さん!土方さん!」
「総司、か……」
隊士二人に両脇から支えられて、この上なく情けない格好で、土方さんは帰ってきた。
馬鹿だよこの人、寝不足で疲れてるっていうのに、接待に出たりして。
万歩譲ってそれは許すとしても、泊まらずに中座して護衛もつけずに帰ってくるなんて、どういう神経してるんだろうね。
ほんと信じられないよ。
しかも機会とばかりに襲いかかってきた浪士たちと、ろくに戦うこともできずに、こうして斬られてご帰還したわけだ。
それでも敵は全て仕留めたと言うんだから、やっぱりこの人は強いなぁなんて思うけれど、普段散々人に不注意だとか意識が足りないだとか、酸っぱいことを色々言ってくるくせに、酷く身勝手ではないだろうか。
僕は文句の一つでも言ってやろうと、開きかけた口をすぐに閉じた。
土方さんの姿を見たら、文句なんか一つも出てこなくなってしまった。
土方さんが息をする度に雪の上にポタポタと散る、紅い血。
真っ白な雪に、それはよく栄えた。
今まで土方さんが通ってきた道を点々と続いている。
そしてその上を、雪がまた、冷たく覆っていく。
出どころを辿れば、土方さんの左胸の少し上、肩の少し下辺りがざっくりと切れていた。
心臓をかすかに外れているのが不幸中の幸いだ。
苦しそうに肩で息をし、苦笑いしてこちらを見ている土方さんに、僕は無言で歩み寄った。
それからずっと肩を貸していた隊士を退かし、自ら土方さんを支える。
僕が終始無言なのがよほど怖かったと見え、隊士は何も言わずに引き下がった。
「総、司……すまねぇ…」
「ふん、謝るくらいなら、最初から無茶しなけりゃいいんですよ」
門から玄関まで戻ると、途端に幹部連中がわらわらと土方さんを取り囲み、布団を敷いてきたという用意周到な山崎君が、一君と共謀して僕から土方さんを取り上げようとした。
そうはさせないと阻むように土方さんを後ろに庇うと、強く引きすぎたのか、土方さんが小さな呻き声をあげた。
しかしそれを聞き逃さない山崎君は、とうとう僕から土方さんを引き剥がして、応急処置をします、と副長室まで連れて行ってしまった。
その後を一君がひょこひょことついて行く。
まったく、僕も医学の知識を持ち合わせていればよかったよ。
僕だって、きっと立派に看病してみせるのに。
だけど、刀傷はきちんと消毒しないと、化膿して大変なことになるのを僕は知っていたから、それ以上山崎君たちを引き止めることもできず、がっくりとうなだれた。
そんな僕の肩を、ポンポンと叩いてきた者がある。
「……左之さん」
「ほら、拗ねてねぇで早く見に行ってやれよ」
「うん……」
僕は何となくいじけた思いをしながら、すたすたと廊下を歩いて行った。
「土方さん」
スパンと襖を開けると、枕元に侍っていた一君がこちらを胡散臭さそうに見上げた。
「総司、怪我人に騒音は障る。少しわきまえろ」
「そんな怪我人怪我人って、重傷扱いしたら嫌がるのは土方さんじゃないの」
僕は不貞腐れてどっしりと腰を下ろした。
「沖田さんは部屋で休んでいてください。ここは二人もいれば充分手が足ります」
なのに、山崎君までそんなこと言うんだから。
「なに、僕は邪魔もしてないのに、ここにいることすら許されないわけ?」
「すでに邪魔だ」
「駄目だよ一君。君が石田散薬なんか押し付けないように、見張ってなきゃなんないから」
段々と殺気立ってきた僕たちの言い合いに、土方さんが薄目を開ける。
「おい……」
「っ副長!申し訳ありません」
一君がすぐにおべっかを使う。
彼の場合、目論んだ訳ではない自然な媚び売りだから、余計に腹が立った。
「……もういい。土方さん、せいぜい野垂れ死なないようにね」
「総司!」
僕はもやもやした気分のまま、廊下に出た。
それから自分の部屋に戻って、縁側に腰掛ける。
そこには放置したままで冷たくなった、半纏が落ちていた。
気休めにそれを着て、暖をとる。
火鉢も用意せずに、襖を開け放していた部屋の中は冷え切っていて、外にいようがいまいがどのみち同じことだった。
先ほどより僅かに積もった雪が、夜目にまぶしい。
じっと見つめていたら、今にもあの紅い、鮮やかな、血の跡が見えてきそうで、心の奥が寒々しくなった。
「総司、あんな風に出ていったら、副長が心配なさるだろう」
すると、僕の一番聞きたくない声が聞こえた。
「うるさいよ」
あんな風に出て行かせたのは誰だと言わんばかりに、僕は一君を睨み上げた。
「心配したと、一言言えばいい話ではないか」
「別に、心配してないし」
僕がつんとそっぽを向くと、一君は暫し凍るような空気を醸し出して、その場を更に寒くした。
「俺は、もう知らん。意地っ張りには付き合っていられぬ」
「誰が意地っ張りだよ」
「副長があんたを呼んでいると言いに来たが、どうやらあんたには不要な情報だったようだな。もう勝手にしろ」
それっきり一君は、不愉快そうに、彼らしからぬぴりぴりした態度で、ずんずんと歩いて行ってしまった。
彼も、副長様様が斬られて、気が立っているのだろう。
だけど、重要なことをちゃんと教えてくれた。
彼なりの優しさだと思う。
僕は腰を上げて、再び副長室への道のりを辿った。
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