アニメ黎明録11話後の話
丑三つ時、というものが過ぎていく。
傾いて沈みかけた月が、障子越しに薄明かりを投げかけていた。
体力は既に限界を迎えている。
泥のように眠ってしまいたい、けれど気分は妙に高揚していた。
やはり、人を斬るという行為は神経をおかしくしてしまうのだろうか。
目を閉じれば、闇の中に鋭く光るあの赤い目が浮かんできて………とても眠れそうにはない。
俺は意味もなく弄っていた筆を起き、静かに立ち上がった。
屯所に帰ってきてからずっと後始末に追われていたため、ろくに体も綺麗にしていない。
水でも被ってくるかと庭に出ると、井戸端に先客がいた。
「総司……」
見たところ、体を洗っていたような様子はない。
そもそも水浴びなど、俺があれこれ始末をつけている間に、とっくに斎藤と済ませているはずだ。
となると、総司は俺がここに来るのを見越して待っていたことになる。
「どうした。寝たんじゃなかったのか」
着物を寛げながら言うと、総司は井戸に腰をかけたままふっと笑った。
「眠れないんですよ。妙に気持ちが昂っちゃって」
「………」
黙ったまま桶を引き上げ、頭から水を被る。
夜半の冷たい風と冷水に、体から一気に熱が奪われた。
「無視ですか?酷いなぁ」
再び水を汲み上げようとした手を取り、総司が体を擦り寄せてくる。
「ばか、離れろよ。濡れちまうじゃねぇか」
「いいじゃないですか」
俺は顔を上げて総司を見据えた。
口にこそ出さないが、その目は情欲を色濃く湛えている。
妙にそそられた。
俺は強引に総司を引き寄せると、後頭部を抱え込んで深く口づける。
くぐもった声を上げなけなしの抵抗をみせる総司だったが、酸素を奪うように舌を吸い上げれば、やがて従順にもたれ掛かってきた。
「こんなところで、誰かに見られたら……っ」
一瞬離れた隙に文句を言う口を再び塞ぐ。
下唇を食み、くちゅくちゅと水音を響かせて、得体の知れない苛立ちをぶつけるように舌を絡める。
「…抱いて欲しいのか」
口の端から垂れる唾液を親指で拭いながら、低い声を耳元に吹き込むと、総司はびくりと背筋を震わせ、耐えきれないとでも言うように肩へと顔を埋めてきた。
ーーーお前は、いつも口には出さないな。
微かに落胆を覚えつつ、俺は総司の手を引いて部屋へと戻った。
半ば強引に総司を部屋に連れ込み、組み敷いてから早半刻。
体の相性だけは抜群で、心が籠っていようがいなかろうが、総司を気持ち良くしてやることだけはできる。
どこを愛撫し、どこを舐めてやればよいのかは目を瞑ってでも分かった。
しかし総司は単調な愛し方が気に食わないらしく、始終此方を睨み上げている。
「…何か怒ってます?」
「別に普通だ」
「嘘」
半ば開き直って、平たい胸に掌を押し付ける。
そのまま、手の下で熱を持ち硬く凝っている飾りを指先でくりくりと捏ね回した。
いたずらにピンと弾けば総司の背中が弓なりにしなる。
唇を寄せて吸い付けば、口からはあえかな吐息が漏れ出でる。
「あっ…、ぁ、ッン……」
総司は狡い。
「はぁ、ぁ、土方さぁっ…!」
いつも総司は綺麗で、此方だけが汚れているような気にさせられる。
だから抱くのが嫌だった。
「総司、俺が欲しいか」
「っ…!」
俺は中がずくずくにとろけるまで解していた指を抜き、濡れてべたべたする粘液を総司の頬に塗り広げた。
総司は嫌そうにそっぽを向き、布団を引っ張りそこに顔をうずめようとする。
「なぁ、総司」
「……」
総司は絶対に口には出さない。
自分から誘うだけ誘っておいて、後は知らんぷり。
まるで蜘蛛のようだ。
美しい巣を張るだけ張って獲物を待つ。
悪いのは、捕らわれた獲物の方。
「総司」
死ぬほど欲しいくせに。
早く中を突き上げかき混ぜて欲しくてたまらないくせに。
自分を堕とすような言葉は、決して言おうとはしない。
いくら此方が足を引っ張り高嶺から引きずりおろそうとしても、決して総司はここまで堕ちてきてはくれないのだ。
そして俺は、自分の存在が酷く汚れているように錯覚させられる。
いや、或いは錯覚などではないのかもしれないが。
「言えよ」
「ひじ、かたさ…」
「ほら、強請ってみろよ。俺が欲しいって」
いつもならとっくに挿入して、優しく揺すり上げているところだ。
変に粘るのが不思議なのだろう。
どうして?とでも言いたげな顔で総司が見上げてくる。
そんな目で見るな。
お前が言わないのがいけないんだろう。
俺は冷たく見つめ返した。
「土方、さん」
「呼んだって無駄だぜ。どうして欲しいのか、何が欲しいのか、ちゃんとその口で言ってみな」
「っ…なん、で……」
総司は辛そうに眉を寄せた。
焦れったそうに腰を揺すり、唇を震わせる。
だが、此方の欲しい言葉は一つも言わない。
「土方さん、今日は何だか変ですよ…?」
「だから何だ」
平気でいられる総司の方が変なのだ。
「お前は、変じゃねぇって言うのかよ?」
火照った頬を指先で撫でながら訊くと、総司は荒い息を吐き出した。
「ほんとに、っ変ですよ土方さん、っ」
「あぁ、そうかもな」
淫らに乱れる総司を見下ろしながら、思考は深いところへ沈んでいく。
……血を見ると、無性に誰かを貪りたくなるのだ。
誰かを抱くことで縋りついて慰めてもらいたいのか、温かい――生きている人肌が恋しいのか、単に生存本能が働くのか。
おそらくどれも正解で、どれも間違っている。
俺は、総司が欲しいだけだ。
そしてまた、総司に欲されることを望んでいる。
「新見の野郎、お前を殺そうとしやがって…!」
今でも目に焼き付いている。
斎藤の突きをかわされ、総司が突き飛ばされ。
新見は床に叩きつけられた総司に、刀を一直線に振り下ろしやがった。
「土方さんだって、殺されそうになってたじゃないですか」
総司は呆れたように笑う。
「僕だってひやひやしたんですから。まさか新見さんが変若水を飲むとは思わなかったし」
――正直言って、俺はあの時新見を斬ることに抵抗があった。
新見が血に狂ったり、総司や斎藤が斬られそうになったりしなければ、殺しはせずに終わらせていたはずだ。
新見という近しい人物を斬ることも、いつか自分が彼のような化け物になり果てる日がくるかもしれないことも、何もかもが恐ろしかったのだ。
そんな、まだどこか迷いを残している己に腹が立つ。
そして、そうやって鬼になりきれずに葛藤する俺を、嘲笑っているであろう総司にも。
きっと総司はこう思っているはずだ。
未だに綺麗なままでいたいと思うのか、往生際の悪い奴だ、お前はとっくに汚れきっているではないか、と。
「でも、土方さんが無事で良かったです。今土方さんに死なれたら、近藤さんが困りますし」
総司の口から出た名前に、思わず顔が引きつった。
こんな時にまで近藤の名を出す総司が憎らしい。
何故、お前は平気でいられるんだ。
お前は、壊れるほど貪り合いたくはならないと言うのか?
その孤高さが、お前と俺との間に隔たりを作るのか?
総司にとって、体を繋げる行為には、ただ快楽を分け合う意味しかないのだろうか?
「……ふざけるなよ」
「何がです?」
無性に腹が立った。
確かに総司は、昔から他人に無関心で、ほんの一握りの人間しか自らの内に住まわせないような奴だ。
だが、恋仲になったことで俺もその一握りの内に入り、総司に許されている人間になれたと思っていた。
それなのに、どうしてこうも総司との間に隔たりを感じるのか。
埋まらない間隙に、一体何があるというのだろう。
否……俺はその答えを知っている。
総司はたとえ何人斬り殺そうとも、心までは汚れない奴だ。
だが俺は、総司と違って綺麗なままではいられない。
いつかは己の犯した罪や選んだ鬼の道に赤黒く染められ墜ちていき、二度と総司の横には戻れなくなりそうな気がする。
そして永遠に総司を失ってしまいそうで、それが無性に―――怖いだけなのだ。
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