数日間、俺と総司はろくに口をきかなかった。
怒っているのか、ここから出て行きたいのか、総司の望みは汲み取れなかったが、二人きりで居たくないのは確かだろうと思い、俺は景気づけに学校の仲間に見舞ってくれるよう頼んだ。
入院していた頃は、記憶喪失なのに見舞いに来られても混乱するだけだろうと控えてもらっていたが、そろそろ外部からの刺激を受けた方がいいかもしれない。
何よりも大事なことは、総司の記憶が戻ることなのだ。
「総司!元気か!」
「うーん、見た目は元気そうだな!」
やってきたのは、俺の同僚の新八と左之、それから総司の友達の斎藤と平助だ。
元々うるさい軍勢のお見舞いに、部屋の中は連日の沈黙が一転し、騒々しいほどの賑やかさになった。
「え、えっと……原田、先生?と、永倉、先生」
「ぶぶー。総司は俺のこと、左之さんって呼んでんだぜ」
「左之、さん」
「それから、俺は新八さんな!」
「俺は斎藤一だ」
「えっと、斎藤、くん」
「違うよ一君だよ。んで俺が平助な!」
「へ、いすけ、…くん」
「平助」
「へい、すけ……」
総司は本当に誰のことも覚えていないらしい。
一々名前を確認するその様子に、誰もが気の毒そうな顔になった。
「ったくよ、総司がここまでしおらしくなっちまうとはな」
「ホントだよー。総司俺のことなんて、チビチビってバカにして、あわよくばパシりにしようとしてたんだぜ?」
「チビ………」
「うわ、"確かに"って目で見んなよな!」
「俺もあんたには散々手こずらされていた。毎朝校門で遅刻の説教をしたり、授業ノートを見せてやったり、」
「は、じめくん、て、もしかして風紀委員なの?」
「あぁ。委員長を務めている」
「うわぁ……じゃあやっぱり遅刻魔って本当だったんだ」
途端にショックを受けてうなだれる総司に、斎藤たちがキョトンとしている。
「すげー、大人しい総司とか!こいつはレア物だぜ。今のうちにたっぷり堪能して、録画して、あとで記憶が戻った時にからかってやらねぇと!」
「おい新八!あんまり傷つけるようなことは言わねえでくれ」
俺は慌てて止めに入る。
総司を見ると、戸惑ったように笑っていた。
「録画はやだけど、…でも、みんなが元気付けでくれるのが分かるから、嬉しい」
総司の素直な言葉に、俺はホッと息を吐いた。
「にしてもよー、土方さんのことまで忘れちまうなんてな!」
「総司、本当に覚えていないのか?」
総司は黙って首を振る。
「そっかー、辛いなー、こいび…んがっ!!ごっ!」
俺はすんでのところで平助の口を塞いだ。
それを見て、大人二人が事情を察したようにその場を取り繕う。
「ま、一番近い存在だったからこそ、ってのもあるんじゃねぇか?」
「俺、前に聞いたことあるぜ。他は何もかも覚えてたのに、大切な人のことだけきれいさっぱり忘れちまったって話」
「でもまぁ、大切なら思い出だってたくさんあるだろ?その分思い出しやすいってこともあるんじゃねぇの?」
新八と左之の話を、総司は何とも言えない顔をしてじっと聞いていた。
それを見ながら、俺は密かに胸を痛めるのだった。
「土方さん……」
夕食を共にし、みんなが帰って、お風呂も済ませた後で、総司が初めて俺に口をきいた。
「ん?どうした?何か困ったことでもあったか?」
俺の精一杯の優しい声を出しながら、総司の頭を撫でる。
総司が驚いたように退いたためすぐに手を引っ込めようとしたが、意外なことに総司にその手を掴まれた。
「……総司?」
顔を覗き込むと、赤くなって逸らされてしまう。
一体どうしたんだ?
「ぼ、……僕……怒ってないです」
「は………?」
「記憶、ないからかもしれないけど、別に、土方さんのこと、怒ってないですから」
「総司………」
「そりゃあ、最初はひどっ!て思いましたけど。でも、土方さんが僕のこと心配して、大事にしてくれてるの、……よく、分かるから…」
「そうか…」
俺は頬が弛むのを堪えられなかった。
初めて聞く、記憶を失った総司の本音。
俺の総司を大事に思う気持ちが伝わっていたなら、それでいいような気がしてくる。
「だから、…あの、……前みたいに、一緒に寝てくれません、か…」
が、総司の口から飛び出した言葉に、俺は思わず固まった。
「え…」
「あんな広いのに、一人じゃ寂しくて……心細くて…」
俺は、総司の心境を考えて、やっぱり一つのベッドで寝るのは嫌だろうと、毎日ソファで寝るようにしていた。
おかげでだいぶ寝不足だが、総司は何も言ってこないし、これが正解だったのだと思っていた。
寂しかったならもっと早く言えばいいのに、意地っ張りなのは記憶を失っても同じらしい。
「なんだ、そんなこと。我慢しないで早く言えばいいんだ」
俺は今一度頭を撫でると、先に行ってろと総司を寝室に促した。
その日から、俺は毎日総司と一緒に寝るようになった。
とはいえ、ひっつきながら寝る訳じゃない。
ほぼ端と端で寝ている。
俺にとっては毎晩が我慢大会で、据え膳を決して食ってはいけないという凄まじい苦行を強いられている。
自分が仕事に没頭していた所為でもあるが、もう、一ヶ月近く総司に触れていないのだ。
いい加減限界だった。
第一、こんなに離れて寝ていて、総司の心細さは解消されているのかと甚だ疑問だったが、総司は同じ部屋というだけでだいぶ落ち着いたらしく、よく眠れるようになった、なんて言われてしまった。
そうなると俺は何も言えないから、黙って一人我慢大会を続けている。
が、毎晩一緒に寝ているうちに、総司が離れて寝る理由が分かってきた。
どうも、声を押し殺して泣いているらしい。
あまりに上手く隠しているものだから、なかなか確信を持てなかったが、寝息にしては不規則だし、微かに肩が震えているし、やはり泣いているのだと気が付いた。
何で泣くんだ。
不安だからか?
記憶がないことが辛いのか?
なら、何で俺に頼らねえんだ。
ある晩、俺はとうとう耐えきれなくなって、今まで死守されてきた距離を詰め、こちらに背を向けて泣いている総司を抱き締めた。
「ひっ…!土方さん!」
「総司、どうして泣いてるんだ」
「…泣いてません………」
「はぁ……あのなぁ、泣いてる奴を放って置けるほど、俺は冷酷じゃねぇんだよ」
「……泣いて、なんか…」
「お前、俺が気付いてねぇとでも思ってんのか?毎晩毎晩泣きやがって。理由を言え、理由を。俺がいるんだから、頼ればいいだろう」
「だって……」
「だって?」
後ろから抱き締めながら耳元で囁くと、総司の体温が一気に上昇したのが分かった。
「……………?」
何だ?この反応なんて思いつつ、辛抱強く総司の答えを待っていると、やがて蚊の泣くような声が聞こえてきた。
「………………土方さん、全然求めてくれないから」
「………………」
たっぷり五秒以上の間があってから、俺は吃驚して総司を離した。
「………お前、何言ってんだ?」
「だって!………僕たち、って………恋人同士、なんでしょ?」
「な!……誰から…それを!?」
「別に…誰からも教えてもらってません。でも、…すぐに分かった」
「な、何で………」
「だって、土方さん僕のタイプだもん」
「タイプ…………」
総司から高速直球を受ける日が来るとは思ってもいなかった。
好きの一言を言わせるのにも、いつも大変な労力を注ぐというのに、素直な総司は心臓に悪い。
「最初は確信なかったけど…でも、ご飯作ってくれたり、髪の毛拭いてくれたりして、ずっと、この人が恋人だったらいいのにって思ってました」
心音が聞こえそうなほど、心臓がバクバクする。
まるで、もう一度恋に落ちたような感覚。
「それで、みんな来た時に確信して……」
「……………」
「だから……一緒に寝れば、恋人なら、何かしらしてくれるんじゃないかって…思ってたのに……」
「何だよそれ……」
俺は額に手を当てて、深々とため息を吐いた。
気付かれていたことも驚きだが、何よりも、俺がどんだけ我慢してたと思ってるんだ、こいつは。
「お前なぁ、俺が手ぇ出すとでも思ってたのかよ?」
「だって、恋人、なら……」
「あのなぁ、考えてもみろよ。お前は、何もかもが完全にリセットされた状態なんだぞ?俺のことを好きでもねぇ奴を、俺が抱けると思ったのか?」
「僕は、……嫌いじゃないもん………」
「はぁ…………」
俺の溜め息に、総司がびくっと震える。
「……もう、土方さんは、僕に興味ないの…?」
「お前は……」
顔を覗き込むように俺に乗り上げてくる総司に、俺は覚悟を決めて、逆に総司を組み敷いた。
上から見下ろすと、総司は今にも泣きそうな顔をしている。
それだけで、ぐっとくるものがある。
「ぼく………不安、なんです…もう、二度と思い出せないんじゃないかって……」
「そんな訳あるか」
「でも…記憶が戻っても、完全な記憶じゃなくて、でも完全な記憶じゃないすら分からなくて、忘れてること自体を思い出せないような思い出がたくさんあったらって思うと……辛い……」
「お前は、そんなことを考えてたのか」
「僕、早く思い出したい…土方さんのこと……きっと、すごく好きだったんだって思うから………」
そう言うと、総司はぎゅっと抱きついてきた。
離さないでとでもいうように、全力でしがみついてくるので、若干苦しい。
それを引き剥がすことなく、俺は暫し考えを巡らすと、総司の額に小さく口付けた。
「大丈夫だ。俺が必ず思い出させてやる。それに、もし思い出せなかったら、その時はまた、一からやり直せばいい」
「一から?」
「そうだ。俺はどんな総司でも愛してる」
「土方さん……」
「なぁ、総司。もう一度、俺を好きになってくれるか?」
俺の全身全霊をかけた、人生二度目の告白に、総司はコクリと頷いた。
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