その日の夕食は、総司の好きな甘いカレーを作った。
俺がキッチンに立っている間、総司は落ち着かない様子でずっとリビングをうろうろしていたが、夕食ができる頃には、疲れたのかソファで眠ってしまっていた。
あどけないその寝顔を見て、長い前髪をかき上げながら、目を覚ました時には記憶が戻っていないだろうかと馬鹿なことを考える。
駄目だ、焦ってはいけない。
俺の焦りは、総司を不安にさせるだけだ。
俺が不安になってどうするんだ。
自分にもう一度喝を入れてから、総司を起こす。
「総司、夕飯ができたぞ」
「ん………」
「総司………」
寝起きが悪い体質は健在らしく、身体を揺さぶってようやく総司は目を覚ました。
「あ……僕眠って……」
「カレー作ったんだが、食えるか?」
「す、すみません、」
「謝るこたぁねぇだろ」
「はい………」
何なんだ、この素直な総司は。
気味が悪い……なんて言ったらやっぱり失礼だろうか。
「あの………」
二人揃ってテーブルにつき、食べ始めたところで総司が口を開く。
「僕のこと、色々教えてくれませんか?」
「お前のこと?」
「はい。生活環境は何となく分かりましたけど、友達とか、学校生活とか、聞けば何か思い出せるかも…しれないし……」
「確かにそうだな…………えーと、どこから話せばいいか……名前は沖田総司で、高校二年生で、…」
「それは…もう聞きました」
「あぁ、そうだった。あー、えー……生活態度、は、あまり褒められたもんじゃねぇ。遅刻常習犯で風紀委員のブラックリストに載ってるし、授業は当たり前のようにサボる。ただし、俺の授業限定でな………あっと、一緒に住みだしてからは真面目に出るようになったんだが」
総司の理論では、付き合うまでは気を引くためにサボリまくり、付き合ってからは顔を見ていられるからきちんと授業を受けるようになったということらしい。
筋が通っているんだかいないんだか、どちらにしろそれを今の総司に言うわけにはいかない。
「僕って、そんな問題児なんですか」
総司は、スプーンを動かすのも忘れて、驚いたように俺を見つめている。
「いやそんな…不良ってわけじゃねぇし、問題児の中では可愛い方だが、…まぁ、筋金入りだな」
「嘘………ひじ、かた、さん、僕に、嘘吐いてるんじゃないですか?」
「いや、残念ながら…」
「嘘だ!僕が遅刻魔でサボり魔なんて、そんな訳ない!ひじかた、さん、僕に嘘吐いて楽しんでるんでしょ!」
「おい、落ち着けよ。俺が楽しむ訳ねぇだろうが。つーか、どっからそんな優等生だっていう自信が湧いてくるんだよ」
「…僕の全身から」
「…………………」
今のは聞かなかったことにしよう。
「まぁ、とにかく、先が進まねえから今はその件は保留だ…………えーと、次は何を…」
「そうだ!僕、頭は?良かったですか?」
「あぁ、勉強はよく出来てたな………古典以外は」
「古典…?」
「あぁ、俺の担当教科だ」
「………なんか、僕って、何がしたいのか分からない子なんですね」
それは俺のセリフだ!と叫びたいのを我慢して、面倒なことにならないように、プラス面だけをかいつまんで話すことにした。
カレーを頬張る総司を横目で見ながら、長所、長所、と頭を回転させる。
「そうだ、総司はな、剣道部のエースなんだぞ」
「剣道…?」
「あぁ。校長の近藤さんの道場に昔から通ってて、大会で一位になったこともある」
「えっ、それってすごくないですか?」
「すげぇよ。家に帰ったら、トロフィーとかあるはずだ」
「へぇー。僕やるねぇ」
総司はスプーンを置いて、自分の手を見つめ、開いたり閉じたりしてみている。
その後突然立ち上がって、空気刀でいきなり素振りをしてみせた。
思い出したか?と思ったが、文字通り空振りだったようだ。
「……うーん………よく分かんないや」
「まぁ、でもやっぱり太刀筋が綺麗だな」
「え、ひじかたさん、も剣道をやってるんですか?」
「あぁ、俺は副顧問だ」
「へぇー、じゃあ巧いんだ………あ、そういえば、さっき言ってた近藤さん、って…?」
すぐに俺から話題が逸れたことにがっくりし、話題の先が近藤さんであることに二度がっくりし。
でもまぁ、段々饒舌になってきたのはいい兆候かと気を取り直す。
「近藤さんってのはな、…」
できれば記憶が戻るまで、近藤さんには触れたくなかったと少し後悔した。
何を隠そう、近藤さんは、総司が恋愛を抜いて一番大好きな人で、俺よりも古くからの付き合いがある。
元はといえば、近藤さんの道場に通っていたのがきっかけで、俺たちは知り合ったのだ。
だから近藤さんには大変大きな恩があるし、俺の大切な親友であることは紛れもない事実だ。
が、それと総司のこととは話が違う。
俺は誰にも、総司の一番にはなってもらいたくない。
「………近藤さんは、総司が一番大好きな人だよ」
なのに口から出たのはそんな言葉で。
「やっぱり、そんな気がしました。近藤さんって聞いたら、何だか胸のあたりがぽかぽかしましたもん」
総司のセリフを聞いて、死んだ方がましだと思った。
近藤さんには気持ちが反応するくせに、俺には何の反応も示さねえっていうのか?
総司が愛していたのは紛れもなくこの俺なのに、総司の中では全くなかったことにされてるとでもいうのか?
ふざけるな。
これじゃあすべてが俺の妄想みたいじゃねぇか。
この上なく落ち込みながら、それでも総司の「美味しかったです」に少しだけ立ち直って、やっとのことで総司をお風呂に入れた。
微かに聞こえるシャワーの音をBGMに、ソファに座って一人悶々とする。
どうしたら、総司は元に戻るんだ。
「……あがりました…」
その時総司が、髪の毛から水を滴らせながらリビングに入ってきた。
こういうところは相変わらずなのかと思いながら、総司を手招きする。
ここに座れと自分の足元を指差し、座ったところで髪の毛を拭いてやった。
こんなことは日常茶飯事だったから、俺としては手慣れたものだったが、総司は酷く新鮮に感じたらしい。
「僕っていつも、拭いてもらってたんですか?」
「まぁ、ほぼ毎日だな」
「そうですか………」
力なく俯く総司の頭をぽんぽんと叩き、早く寝ろと促して、立ち上がらせた。
「ねぇ、土方さん」
総司の呼ぶ声に、初めてすんなり名前を呼びやがった、なんて小さくはしゃぎながら顔を上げると、おどおどした視線と目がかち合った。
「あの、病院で、看護士さんとか、警察の人とかに教えてもらったんですけど、僕って、ここから僕の家に向かう道で事故に遭ったんでしょ?」
「あ、あぁ……」
「僕って、事故に遭う前、ここに居たんですか?」
総司の質問に、俺は喉を詰まらせる。
その質問には、非常に答えにくい。
でも、俺は隠さずに真実を伝えることにした。
「あのな、……お前は、ここに来たんだよ、一回。でも、追い返されたんだ」
「え?追い返されたって、……土方さんに?」
「あぁ。俺は根っからの仕事人間でな。仕事があると、つい周りが見えなくなっちまう。それに、生徒には見せられねぇ仕事だってあるから、総司には、期末テストが始まる頃から、自分の家に戻れと言ってあった。けど、もうとっくに夏休みだ。俺だって分かってたさ。けど、ずっとお前をほったらかして、仕事してたんだ」
「……………」
「総司は、そんな俺に痺れを切らしてここまで来た。すげぇ剣幕でどっかに連れて行ってくれってまくし立ててた。でも、その時俺はだいぶ先の仕事にまで手を着けていて、あと少しで終わるところだった。だから、あと一日でいいから待ってくれと言って、お前を追い返した」
「………………」
「その結果、俺はお前を事故に遭わせちまったんだ……」
「………………」
総司は何も言えないようだった。
俺の後悔や罪悪感が伝わっているのかは分からないが、ずっと黙って床を睨みつけている。
「……総司、すまねぇ。謝って許される問題じゃねぇのは分かってるが、……」
そこまで言ったところで、総司は走って寝室に駆け込んでしまった。
バタンと大きな音を立てて閉められたドアを見て、俺は頭を抱え込む。
ダメだ……これじゃあ、例え記憶が戻ったところで、総司に嫌われるのは目に見えている。
いや、もう既に嫌われただろう。
今更ながらに何であの時追い返したのかと、自分の行動を激しく悔いた。
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