「……で?夏だから?海で?泳ぐんですか?」
目の前には、最早毎度お馴染みになった仏頂面の沖田。
と、沖田が注文した、生クリームたっぷり三段パンケーキ。
「そうだ。海パン履いて、ビーチフラッグだのビーチバレーだので競い合って、勝ったら海の家でご馳走が食える」
「何それー何それ何それ何それ」
沖田はブスッと頬を膨らませながら、フォークをパンケーキにぷすぷすと突き刺している。
「こら、行儀悪いことをするな」
「ぶー…だってだってなんだもん」
「…てめぇは今時流行りの女の子かよ」
沖田の機嫌は、今や日常茶飯事のような気もするが、この上なく低迷している。
この前土方が旅行に連れて行ってやったことももう喉元を過ぎてしまったのか、けろりと忘れて、あそこに行きたいだの、何が食べたいだの、また我が儘放題言うようになった。
今日は、これから夏休みの特番の収録があるのだが、その内容や共演者を知らせてやったら、途端に機嫌が急降下した。
沖田は海が嫌いだというのを一度聞いたことがある。
今回はテレビ番組の収録だから、人混みということはないだろうが、人で海が芋洗い状態なのも、砂がざらざらするのも、海水でべたべたになるのも嫌らしい。
ただ、ろくに泳げもしないシーズンオフの時期に、波打ち際で遊ぶのは好きだとか言っていた。
本当に、変わった奴だと土方は思う。
「何が嬉しくて、僕が海パン一丁でビーチスポーツを満喫しなきゃいけないんですか。別にご馳走なんかいらないし、せめてTシャツを着させてくださいよ」
「仕方ねぇだろ。これもファンサービスなんだから」
土方は、声のトーンを落として言う。
沖田には、ボサボサ頭と眼鏡で簡単な変装をさせ、店の人に頼んで、一番奥の目立たない席に通してもらったが、ここはれっきとした公共の場、ファミリーレストランだ。
平日の、昼時を過ぎて多少は閑散とした店内であっても、沖田は知らない者はいないくらいの有名人なんだから、目立つ言動は避けるに限る。
「お前の望み通り、パンケーキ食いに来てやったんだから、海で楽しく遊んできてくれよな」
「………別に、いいですけど、…」
「…………?」
土方は手元のコーヒーから視線を上げて、沖田の顔を盗み見た。
何かがおかしい。
沖田は素知らぬふりをしてパンケーキを口に運んでいるが、その瞳は少し動揺したように揺れている。
何だ?と思いながらも、仕事はやると言ってくれた沖田に、土方は黙って引き下がった。
土方は、あの日キャンプ場で自分の想いに気付いてから、以前にも増して、沖田の言動に敏感になっていた。
一見図太い神経をしていそうで、その実人一倍繊細な沖田は、昔からそうしてきたからなのか、自分の感情を隠すことにも長けている。
注意して見ていないと、知らない内に傷付いて、落ち込んでいたりするから危ないのだ。
結局全部は食べられなくて、最後の一段を寄越してきた沖田に苦笑しながら、土方はそれをペロリと平らげた。
「よし、じゃあ、頑張ってくるか」
「はぁい……」
どこか危険な匂いがするものの、曖昧な笑みを浮かべて歩いて行ってしまう沖田に、土方はそれ以上、何も不可解な点を見つけることはできなかった。
*
事務所の社長からかかってきた電話に応対しながら、少し離れたところで収録中の沖田を見守る。
共演者の若い男の子たちと一緒に海パン姿になった姿は、病的なまでに白い。そして細い。
こりゃあもっといっぱい食わせねぇと…なんて思いながら、電話口で声を荒げる。
「だぁからっ芹沢さん、ちゃんと連れて行くって言ってんだろうが!」
『社長に向かってその口の聞き方はどうかと思うが、土方よ』
「それはあんたが何回言っても分かってくれねぇからだろ」
『貴様がきちんと沖田を連れてくればいい話だ』
「そうは言っても、総司だって疲れてんだよ!少しは休ませてやりてぇじゃねぇか!」
『だが、夕食くらい食べるだろう?それを一緒にと言っているのが、何故悪い』
「あんたが一緒じゃ、休みたくても休めねぇんだよ」
苛立ちを隠そうともせずに土方が怒鳴っていると、一際大きなホイッスルの音と共に、わぁっと歓声が上がった。
どうやら、ビーチフラッグが始まったらしい。
一組目は、芸人と、番宣で来ている別の若手俳優が、猛攻を繰り広げている。
ザシュッと派手な砂埃が舞って、勝ったのは、若手俳優の方だった。
こういうのは、大抵芸人が上手く立ち回って、俳優を立てると相場が決まっている。
電話越しに聞こえてくる耳障りな芹沢の声を聞き流しつつ、土方は次に控えている沖田をじっと見守った。
競うのは、駆け出しのバラエティタレントのようだ。
笑顔で何か冗談を言い場を盛り上げている沖田に、思わず土方も笑顔になる。
『……おい土方、聞いているのか?』
「あ?……あぁ、聞いてる…」
沖田が砂浜に寝そべる。
隣にタレントも寝そべる。
ホイッスルが鳴って、二人が一斉に起き上がり、走り出す。
ハラハラしながら見守っていると、中盤に差し掛かったところで、突然沖田がよろめいた。
「っ!!!!」
ああっと周囲がどよめく中、バランスを崩して、沖田は思い切り横に倒れる。
何で前に走ってたのに、横に倒れるんだ?
土方は収録中だということを忘れて駆け出しそうになる自分をぐっと抑え、沖田の様子を見守った。
『い……おい、土方!』
「……芹沢さん、悪い、後でかけ直す」
未だにうるさく何かを怒鳴っている芹沢を無視し、土方は電源ボタンを押すと、声が聞こえるところまで歩いて行った。
「総司くん、大丈夫〜!?」
司会者たちが集まって、沖田を取り囲む。
「あっはっは。転んじゃったー残念」
辛うじて笑顔を作ってはいるが、沖田の顔は青ざめ、時折痛そうに歪む。
足を見れば、派手に擦りむいたらしく、赤く血が滲んでいた。
「ちょっと!血が出てるよ!」
そう言ったのは、沖田を打ち負かしてフラッグを手にしているタレントだ。
「あ、ほんとだ」
沖田は今気が付いたとでもいうように、自分の足を見下ろした。
「大丈夫?続けられる?」
「はい、これくらい全然大丈夫ですけど」
沖田は、険しい顔で見つめていた土方のことを、ちらりと見てきた。
土方は黙って首を振る。
本人が大丈夫と言ったところで、砂を払い、傷口を消毒しないと、テレビ的にも印象が悪い。
それでも沖田は大丈夫だと言い張っていたが、編集部が上手く編集してくれることになり、やむなく撮影を中断して、簡単に傷の手当てをすることになった。
真っ直ぐ土方のところにやってくる沖田の頭を軽く撫でてから、椅子に座らせる。
近くで傷口を見てみると、皮膚が向けて赤くなり、見るからにひりひりして痛そうだ。
「これは、痛いヤツだな」
「うー…ほんとに大丈夫なのに」
ぶうたれる沖田を黙らせて、しみるー、と騒ぎ立てるのも一蹴して水で傷口を洗っていると、他のマネージャーやスタッフたちがわらわらと集まってきて、口々に大丈夫かと騒ぎ立てた。
「へへ。ちょっと力入れすぎたんですかね。派手に転んじゃいましたよ」
沖田はへらへらと笑っているが、土方はどうしても不安を拭えなかった。
何故、総司は突然転んだんだ。
遠くてはっきりとは見えなかったが、沖田は確かに横に転んだ。
あれは、一緒に走っていた奴に、突き飛ばされたからじゃねぇのか?
そんなことばかりが頭に浮かぶ。
「総司、本当に大丈夫なんだな?」
土方が沖田の耳元で囁くと、沖田はこくりと頷いた。
「あのタレントに、突き飛ばされたんじゃねぇのか?」
注意深く顔色を伺いながら聞くと、沖田の瞳が一瞬確かに揺れた。
土方は、それを見逃さない。
「ち、違いますよ……やだなぁ、もう…縁起でもない…」
沖田は慌てて取り繕っていたが、やはり何か隠していそうだ。
これはきちんと調べた方がよさそうだなと、土方は密かに決心した。
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