捧げ物 | ナノ


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それから数日が経過しても、沖田の激しい苦しみは終わりを見せなかった。

松本は薬を絶ってから最初の数日が一番辛いと言っていたが、確かに沖田の苦しみ方は常軌を逸していた。


「う……ぅ……」


その日も付きっきりで沖田を見守っていた土方は、突然沖田が痙攣し始めたのを見て慌てて傍に駆け寄った。

上体を起こして背中をさすってやったら沖田が気持ち悪いと訴えるので、急いで木桶を取りに走る。


「ぅ…おぇぇ……」

「待て待て!っ総司!」


土方が慌てて桶を差し出したが一息間に合わず、沖田は胃の内容物を思い切り着物の上に吐き出した。


「ゔ…おぇぇ……」


大して吐くものもなくほぼ胃液だけの吐瀉物は、着物だけでなく布団や畳までをも汚し、おかげで部屋中に独特の酸っぱい臭いが充満する。


「あー………ったく…ほら、次からはここに出せよ」

「ゔ……ぅ…」


土方は雑巾を濡らしてきて、ぐったりと横たわったままの沖田を退かすと、畳をごしごしと拭った。

それから布団を取り替えて、沖田の汚れた着物を脱がそうと帯に手をかけたところで、突然沖田が暴れ出した。


「…僕に触るなっ!近づかないで!!」

「っ……」

「誰か!!この人をどこかへやってよ!」


たまに沖田は、こうして今自分が誰と一緒にいるのかすら分からなくなることがあった。

初めてのことでもないので、土方は眉根を寄せつつ慣れた様子で暴れる沖田を押さえつける。


「総司!しっかりしろ!」

「離せっ!僕を慰み者にするな!」

「俺が分かるか?総司!」

「あっち行け!!僕に触るなって言ってるでしょ!!!」

「総司!ここにはお前を傷つけた奴らはいねぇよ!」


土方は沖田の言葉から、自分が沖田の着物を掴んだことで沖田に何らかの錯覚を抱かせたことに気付いた。

慌てて着物から手を離し、じたばたと暴れる沖田を頭から抱え込む。


「総司、大丈夫だ。誰もお前を傷付けたりしねぇから」

「離せ!もう嫌だぁ………!」


沖田は全身で土方を拒んだ。

相当深い傷を負っているのだろう。

より傷つくことを恐れ、自分を守るために牙をむいている。

その様子が余りにも痛々しくて、土方はただひたすら"大丈夫だ"と繰り返した。


「誰か!誰か助けて!」

「総司、俺がいる。俺が助けてやるから…!」

「この人がいると僕は楽になれない!この人が僕を苦しめるんだ!!」

「総司!」


土方の声が聞こえているのかいないのか、沖田はいくら名前を呼んでも虚ろに視線を彷徨わせ、荒い呼吸を繰り返すだけだった。

が、そのうちにようやく少し落ち着いたのか、沖田は突然我に返ると、今度は一転して土方を求め名前を呼び始めた。


「土方さん…!土方さんどこ!?」

「総司、俺はここだ」

「土方さん…土方さん………」


土方が手を握ってやると、沖田は痛い程の力で土方の手を握り返し、怯えきった目で土方の顔を見つめてくる。


「総司、お前の着物が汚れちまってるんだ。着替えを手伝ってもいいか?」

「あ…………あ、……お願いします……」


ようやく落ち着いた沖田を刺激しないよう、優しい手つきで汗だくになった着物を脱がせ、濡らした手拭いで身体を拭き、新しい着物に着せ替える。

虚ろな目で不自然な方を見つめている総司に、土方は優しく帯を巻き付けてやった。

そのまま締めてやろうとすると、不意に沖田が土方の手を退けた。


「……自分でできるか?」


沖田は何とか自分で帯を締めようとするのだが、上手く力が入らないのか、いつまで経っても締まらない。

その内に沖田の手が震えてきた。


「…ぅ……ぅ…………」


上手くいかないことに憤り、低く唸って貧乏揺すりをし出した沖田を見かねて、土方はやんわりと沖田の手を帯から外した。


「大丈夫だ。俺がやってやるから」


沖田が抵抗する間もなく、土方は素早く帯を締めた。


「よし、……じゃあ後は薬を飲むだけだな…」


すっかり大人しくなって布団の上に座っている沖田に、土方が毎日飲むことになっている薬を差し出すと、沖田はあからさまに顔をしかめて薬を拒絶した。


「総司、飲まねぇわけにはいかねぇだろうが」

「やだ……飲みたくない…そんなの……」

「これはお前から毒を抜く薬だ。何と言おうが飲んでもらう」


土方は無理やり沖田の身体を抱え込んだ。


「っお願いだからやめてください…!嫌だ!薬は嫌だ!」

「おい、勘違いするな。これは松本先生がくれた薬だ」

「勘違いなんかしてない!…いやなんだぁ……もう苦しいのはやだぁ……!!」


再び興奮し出した沖田を、土方は慌てて宥めすかす。


「違ぇよ、これを飲むと苦しみが和らぐんだ。分かるか?」

「和らがない…ちっとも楽にならない…そんなの嘘っぱちだ……!!」

「なるんだ。もう少し我慢すりゃあきっと…」

「もう少しってどれくらいですか?!僕はもうどうせ二度と立ち直れないんだ!もう刀だって振るえないんだ!どうせ切腹なんだからもう辛いのは嫌だ!!」

「っ総司!!甘ったれるんじゃねぇ!」


どこまでも否定的なことしか言わない沖田にいい加減に痺れを切らして、土方は大声で怒鳴り散らした。


「誰が切腹だ!そんなこといつ言った!何で二度と立ち直れねぇんだ!ふざけたことを言うんじゃねぇ!!」


土方の怒号に沖田は可哀想なほど肩を震わせて、ぽろりと涙を流す。


「ったく…怒鳴られたからって泣くなよ……それでもお前は男か?」


土方は怒鳴ったことへの後ろめたさもあって、ついそんなことを言った。

それがいけなかった。


「僕は………僕は男だ!淫売なんかじゃない!」

「っ………」

「甘ったれてなんかない!!嫌なものは嫌なんだ!」


再び沖田が暴れ出した。

土方は、あの日の夜に見た全身の痣や、時々沖田が発する"慰み者"や"淫売"などの言葉から、沖田がどんな目に遭わされたのかを何となく予想していた。

それはもちろん土方にとっても決して認めたくない事実であり、想像するだけでも反吐が出そうなものだった。

だからこそ、触れてはいけない一線というものを土方は分かっていなければならなかったのだ。


「………もういい。口開けろ、総司」


土方は謝ることもできずに恐ろしく低い声で言うと、また何か反抗しようとして開かれた沖田の口に無理やり薬を流し込んだ。


「うっ…げほげほっ!いきなり何するんですか!」

「…………もう寝ろ」


土方は、沖田が酷い目に遭っていることに気付いてやれなかったことへの、せめてもの罪滅ぼしのつもりで沖田の看病をしてきた。

が、いつまで経っても自分を責める気持ちは消えてくれない。

それどころか、こうして失言を繰り返したり、つい怒鳴ったりする度に、その気持ちはますます大きく重く成長していく。

やりきれなさに溜め息が出る。


そんな土方の様子を、沖田はじっと眺めていた。

自分の所為で、土方に迷惑を掛けている。

麻薬の毒に侵された頭でも、それくらいは理解できた。


ごめんなさいと言いたいのに、それを言葉にすることができない。

沖田は仕方なく素直に横になることにした。

土方が、自然に手を出して支えてくれる。

不器用にしか動かせない身体を何とか布団に押し込むと、土方は沖田の頭を優しく撫でてくれた。

それが気持ちよくて目を閉じる。


「……もう少しの辛抱だからな。そしたら、何もかも良くなるさ」


沖田は虚ろな目を土方に向けた。

それは、土方自身に向けられた言葉のように聞こえた。

沖田は何とか伝えたいことを言おうとするのだが、上手い言葉が見つからず、あえなく口を閉じた。


「…ほら、ここにいてやるから。もうおやすみ」


そう言われてしまったら、沖田はそれに従うしかなかった。

ただ言いたいだけなのだ。

ありがとう、そしてごめんなさい、と。











ようやく寝付いた沖田の髪を、土方は緩慢な動きで梳いていた。

もう何日こんな夜を明かしただろう。

土方の仕事も沖田の仕事も、ずっと他の幹部たちに肩代わりしてもらっている。

付きっきりで沖田の面倒を見ている所為で、土方は毎日ろくに睡眠も取っていない。


が、そんなことは全く気にならないほど、土方の心は沖田への不安で埋め尽くされていた。

もう二度とあの天才的な剣術を見ることはないのでは、もう二度と笑うこともないかもしれない…ともやもやした黒い不安ばかりが湧き上がる。

とは言え、毎日のように様子を見に来てくれている松本の見解では、幸い元に戻らないほどの重態ではないらしい。

これでも一応回復に向かってはいるようだが、一体夜明けはいつ来るのか、それは誰にも分からない。

また明日の朝になれば沖田は夢も現も分からなくなって、錯乱状態で泣きじゃくるだけだ。

そう思うと、土方の思考はどこまでも沈んでいくのだった。


「………副長」


土方が沖田の横に座ってうとうと微睡んでいると、不意に襖の向こうから小さく声がかかった。


「山崎か………いいぞ、入れ」


土方は立ち上がるのも億劫で、腕を組んで座ったまま答えた。


「失礼します」


山崎は沖田を起こさないよう、静かに土方の傍に座る。


「副長、今永倉組長たちが敵を捕らえて帰ってきました」

「なに!?…犯人をか!?」


驚きの余り土方が思わず大声を出すと、沖田が小さく呻いて寝返りを打った。


「……外で話そう」


暫くは沖田も眠っているだろうと踏んだ土方は、山崎を急かすようにして縁側へと出た。


「それで……本当に捕まえたのか?」


土方は半信半疑で今一度問う。


「はい。斎藤組長と手分けして、怪しい薬を服用している、あるいは押し付けてくる奴らがいないかと聞いて回っていたら、ようやくアジトが分かりまして」

「本当か!よくやった…!」


土方は興奮して身体を震わせた。


「数名その場で斬って、残りは捕縛して今原田組長と藤堂組長が見張っています」

「永倉は?」

「恐らくは、返り血を落としに湯浴み中かと……」

「そうか………本当にご苦労だった。報奨は後できっちりさせてもらう」

「いえ、当然のことをしたまでです」


山崎が軽く頭を下げる。

二人の間を、生暖かい風が吹き抜ける。


「なぁ……山崎………」


土方は少し逡巡した後に口を開いた。


「は、何でしょうか」

「………俺は、総司があんなことになっていたのに、気付いてやれなかった。副長としても、仲間としてもあるまじき失態だ」

「…仕方ないと思います。沖田組長はあのように誤魔化したり強がったりすることに長けてらっしゃいますから」


少し皮肉めいた山崎の言い方に、土方はふっと笑みを漏らした。


「いや、だからこそ、というか………俺は、その償いをしようと思って、こうして仕事をほっぽりだしてまで、あいつの看病をしてやってる。だが、あいつは何時までも俺を拒絶する。睨んで、嫌がって、暴れて、まるで俺を恨んでるみてぇだ」

「そんなことは……!」

「結局俺は………大切な奴一人守れねぇ弱い男なのかもしれねぇな…」


疲れきった土方の台詞に、山崎は言葉を失う。

こんなに弱気な土方は初めてだった。


「…沖田組長は、…沖田さんは、きっと副長に感謝なさっていると思います。いつも怒鳴り声が聞こえてきて、荒々しいけれど、決して副長が沖田さんを見捨てないことに、隊士たちは皆感服していました」

「は………あいつらに感服されてもな…」

「俺も、副長のことを尊敬します。沖田さんを立ち直らせることができるのは、副長を置いて他にはいないと思います」

「まぁ……あの手に負えねぇ餓鬼の面倒を見るのは、昔っから俺の役目だったしな……」


土方は遠い目をして月夜を見上げた。


「沖田さんはきっと大丈夫です。あの人なら、きっと乗り越えられます」

「あぁ………俺もそう思ってる」


土方は自分に言い聞かせるように言った。

沖田は大丈夫だ、そのうちきっと元気になる。そういう確証が欲しかったのだ。

そのまま土方が唇を噛みしめていると、山崎が気分を変えるようにはきはきとした声で言った。


「それより、奴らのことは、副長が拷問なさいますか?」


山崎の言葉に、土方の目がきらりと光った。


「……あぁ、そうだったな………もちろん、俺がやる」

「でしたら、その間俺が沖田組長のことを見ていますが」

「…頼んだ」


言いながら既に拷問部屋の方へと歩き出している土方の目は、興奮と怒りでギラギラと燃え上がっていた。




*maetoptsugi#




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