それからすぐにまたとないチャンスが巡ってきた。
土方さんが担当していた少し大きめの商談が決まって、お祝いに部署全員で飲みに行くことになったのだ。
僕は何とかして土方さんと接触しようと試みたんだけど、生憎と近いとは言えない場所に席が決まってしまった。
んで、望んでもいないのに僕の隣には斎藤一が座ってるというね。
平助はどんよりしている僕を見て下手くそな励ましを寄越してくれたけど、それきり仲のいい永倉さんと話し込んでしまって、僕は放っておかれている。
手持ち無沙汰にぼんやりと土方さんの観察をしていると、不意にバッチリと目があった。
おや、という顔をする土方さんに、僕は素知らぬ振りを装って内心ドキドキしながら目を逸らす。
土方さんと目があった!
心の中はそんなくだらない歓喜でいっぱい。
そのまま土方さんの観察を続行できる訳もなく、僕は仕方なく斎藤一に話しかけてみることにした。
「ねぇ、……さ、斎藤君」
「呼び捨てでいい」
返事は案外すんなり返ってきた。
え、ていうか呼び捨て?まさかの斎藤とか?
「は、はじめ、君……」
「………総司、でいいか?」
「っ……う、あ、はい、いい、けど、」
いきなり名前呼び捨てにされた!びっくりした!
え?なにこの子。別に初めて話したわけでもないけど………いや、よく考えたら話すの初めてでした。
「話すの、初めてだね…」
僕は斎藤一じゃなくて土方さんと話したかったのに。
「あぁ。あんたはいつも平助とばかり一緒にいるからな」
「え?そ、そう?」
それは君が優秀で、しかも土方さんにべったりだからでしょ!!
というセリフが喉まで出掛かった。
「それに、あんたはいつも俺を睨むように見てくる」
「へ?」
「俺が土方部長と話していると、いつも刺すような視線を感じる」
「……えー、気のせいじゃない?」
「いや、それならいいのだが……何か悪いことでもしたのかと気にしていた」
「あ、そ、そう?」
あれ?斎藤一って思ったよりも悪い奴じゃない…?
むしろなんかこっちが罪悪感でいっぱいになるんですけど。
「ごめんごめん。じゃあ今度からは一緒にお昼食べに行ったりしようか」
「あぁ、俺はあまり人付き合いが上手くない故、そうしてもらえると嬉しい」
よし、と僕は心の中でガッツポーズを作った。
何でもっと早くこうしなかったんだろう。
土方さんから早いとこ斎藤一を引きはがしとけばよかった。
そうすれば僕だって無駄なヤキモチなんか焼かずに済んだのにさ。
少しだけすっきりして僕は視線を上げ、奥の方で原田さんたちと談笑している土方さんを再び見た。
だいぶ酔いが回ってきたのか、赤い顔でご機嫌そうな表情をしている。
そのままずっと見ていたら、またバッチリと目が合った。…………気のせい…じゃないと思う。
僕は大慌てで目を逸らした。
「ねぇ、土方さんとご飯食べる時ってどんな話してんの?」
誤魔化すように斎藤一に話しかけると、斎藤一はおや、という顔で僕を見返してきた。
「………あぁ、あんたはあまり一緒に食事をしたことがなかったか」
………ムカつく!ムカつく!!
何この人!ど天然なの?!それともわざとイヤミを言ってるの!?
ムカつく!イヤミな奴に見えないとこがまたムカつく!
「…だ、だから総司……そのような無表情な睨まれ方をされると…お、俺は……」
「そうです僕は一君とは違って非常にできが悪いのでご飯に連れて行ってもらったことなんか数えるほどしかありません」
「総司………、」
「頭良いならどうして分かってくれないの!?この分からず屋ー!!」
突然大声を上げた僕に、普段大人しい僕しか知らない先輩たちが、皆驚いてこっちを見た。
「沖田、もう酔っちまったのか?」
「え!?い、いえ…酔ってなんか…!」
「んー、それにしちゃ随分顔が赤ぇよな」
中でも永倉さんのたちが悪くて、平助の向こう側から覗き込むようにして僕を見てくる。
「ぼ、僕は大丈夫ですから!」
「総司、酔っているなら早く帰った方がいい」
あーもう斎藤一!ほんっと君って邪魔しかしないよね!
そのうちにどんどん僕が酔っているという流れが成立していって、先輩たちにこれ以上悪酔いする前に帰れとまで言われてしまった。
何これ。僕のこの半分も残ってるジョッキのどこをどう見たらそうなるの?
「沖田ぁ、お前家どこだっけ?」
「………へ?え、えっと、さくら駅の方ですけど」
ほらほら、僕はしっかり住所も言えるんだ。酔っ払ってる訳がないじゃないか。
ところが。
「誰かー!さくら駅の方に住んでる奴はいねぇかー?」
「わ、わ!ちょっと!な、永倉さん!」
「沖田総司くんが酔っ払っちまったから、誰か一緒に帰ってやってくれー!」
ご丁寧にそんな仕打ちまでしてくれた。
僕は訂正する気力もなくなって、ぐったりと椅子に沈み込んだ。
「総司、大丈夫か?具合が悪いのか?」
「………いや、大丈夫だから」
斎藤一の目はすっとこどっこいだってことがよく分かった。
僕のどこが具合悪そうに見えるの?
え?恋患い?
……あ、ちょっと上手いかも。
ってそうじゃなくて、とにかく困ったことになった。
僕はまだ帰りたくないんだ!
土方さんのこと観察してたいんだ!
もはや僕の願望は話せる話せないの次元ですらなくなっていた。
「ねー、僕まだここにいたいよー。帰りたくなんかないよー」
誰にともなくそんなことをぼやき続ける。
すると。
「あぁ、さくら駅なら俺んちの方だ。俺が送っていく」
そんなことを名乗り出る者があった。
僕は心臓が止まるかと思った。
だってそれは他でもない、土方さんだったから。
*
言わば部長が主役みたいなものなのに、二次会も出ないでどうするんですか、みんなが盛り上がらないじゃないですか、そんな、部長に送っていただくわけにはいきません、大丈夫です、僕なら全然酔ってないので一人でしっかり帰れますから、不祥事なんか起こしませんから、だからどうかお気遣いなさらないで宴会を続けてください、ほんと、ご迷惑をおかけしてしまうので、僕は大丈夫ですから。
並べた御託は全て一刀両断された。
「お前、得意先回る時もそれくらい口達者になれよ」
そんなことまで言われる始末。
あれよあれよと言う間に、僕は土方さんにタクシーに押し込まれていた。
僕と同じくらい呆気に取られていた平助と、僕が酔っていると本気で勘違いしていた斎藤一と、いい先輩面を見せつけていた永倉さんが忘れられない。
土方さんが僕の財布から免許証を見つけて住所を告げて、そこまで僕はされるがまま。
タクシーが動き出して初めて、僕はようやく我に返った。
……何この状況。
確かに土方さんともっと話してみたいとかふざけたことを望んだのは僕だけど。だけどまさか二人っきりになれるだなんて、そんなこと誰も想像してなかったんだからね!
実はかなり酔っていて悪い夢を見ているとか。そんなんだったら頷けるんだけど。
「…あ、あの…ひ、土方部長のお家も、こっちだったんですね……」
僕は沈黙に耐えられなくなって言った。
ちらりと盗み見れば、土方さんは窓の外を流れていく景色を眺めている。
その横顔がまた格好良くて、何だか泣きそうになった。
胸がきゅん、なんて音を立てちゃって、ホントにもう……やだ。
「ん、あぁ………」
土方さんは想像以上に素っ気ないし、僕のことなんか一度も見ないし、やっぱり新人のお守りなんて嫌だったんだ。
部長としてのメンツとか(そんなものがあの場で必要だったかは疑問だけど)、きっと土方さんなりに考えることが色々あって、仕方なく僕を送るなんて言ってくれたんだ。
それとか、後で家が近いことがバレたら厄介だから、とか。
考えればネガティブな理由は山ほどあった。
ちょっと嬉しいな、なんて調子に乗った僕がバカだった。
「………………」
車内にはずっと沈黙が流れている。
気になってちらちらと土方さんの様子を伺うけど、全く僕のことは気にしていないようだ。
そのうちに運転手さんがラジオなんかかけだしちゃって、僕は居たたまれなくなって俯いた。
*
俯いていたら、疲れていたこともあってか、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。
ふっと浮上した意識に、僕は慌てて目を擦った。
うわ、ここどこ?
あ、なんだ、まだタクシーの中か。
そこまで思って初めて、僕は自分の妙な体勢に気が付いた。
何か身体が傾きすぎっていうか、こんなに倒れてるのに座席にも倒れていないし、窓にも寄りかかっていないのはおかしいっていうか、何か温かいものが頬に当たってるっていうか………
ふと視線を上げたら、想像以上の至近距離に土方さんの端正な横顔があった。
「あーっ!うわあっ!ぎゃあ、すいません!ごめんなさい!」
僕は慌てて跳ね起きた。
土方さんは全く動じずに、何だ、起きたのかっていう目で僕を見ている。
タクシーに乗ってから初めて目があった。
だけど今は全然嬉しくない。むしろ見ないでくださいと言いたい。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「そんなに慌てなくても……」
「っすみません!ほんと、ご迷惑おかけして…」
「大丈夫だ。肩くらいいつでも貸してやるよ」
僕は寝ているうちに、ついうっかり土方さんの肩に寄りかかっちゃってたらしい。
慌ててタクシーのメーターを見ると、いくら深夜で二割り増しとは言え、五分や十分の距離ではないくらいに金額が上がっていた。
うわ、相当土方さんの肩を借りちゃってたみたいだ。
「叩き起こしてくれてもよかったのに……お、重かったですよね!」
「いいって言ってんだろ。それともお前、男に肩枕されんのは嫌だったか?」
僕はぶんぶんと首を振った。
いやいや、逆です!
男が寄りかかってきて嫌だったのは土方さんでしょ?
微かに眉を寄せた土方さんを見る限り、嫌だったようにしか見えない。
そのまま、手の甲で口を押さえてそっぽを向いてしまった土方さんに、僕は大いに落胆した。
やっぱり迷惑だったんだ。
あぁ、現実って苦すぎる。
だけど土方さんがこんなに近くて、こんなに格好良いから少し甘い。
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