(どうしよう………どうしよう……)
副長室を出て早足で廊下を歩きながら、総司は自分の発言を逐一思い出しては、その度に後悔の念を強めていた。
(…どうしよ……嫌われた、かな…)
土方に、俺のことはどう思うと聞かれた時は本当に焦った。
まさか、今更大好きです、だなんて答えられるはずもなく。
仕方なく誤魔化したものの、おじさんだと言われたら土方ではなくても怒るだろう。
(おじさんだなんて、思ったこともないのにな……)
素敵な副長ですとか、尊敬してますとか、もっとマシな誤魔化し方があっただろうに。
総司はいざという時に口ごもってしまう自分が情けなくて、溜め息を吐いた。
(でも、…でも、今更言えるわけないよ。好き、だなんて……)
あんな質問をした土方が悪いと、全てを土方の所為にしてみたり。
そんなことを堂々巡りに考えながら廊下を歩いていると、不意に声がかかった。
「そーうじ」
「あ……左之さん」
広間から姿を現したのは、原田だった。
「あれ、今日は非番なの?」
「まぁな。おかげで暇で暇で仕方ねえよ」
「へーえ。左之さんが暇なんて珍しい」
「ちょっと話していかねえか?」
総司は、原田の問いかけに、一つ返事で頷いた。
「いいですよ、僕も暇してたところだから」
総司は原田に招かれるまま広間に入り腰を下ろした。
「平助と新八さんはどうしたの?」
「あぁ、あいつら今日見回り組なんだよ」
「へぇ……」
「で、斎藤はいつものように土方さんの使いだろ?だから話し相手すらいなかったんだよ」
「なら稽古でもすればいいじゃない」
「まぁまぁ、そう連れねぇことを言うなよな。折角の非番なんだから、ゆっくりしてぇんだよ」
「ふぅん……そっか」
原田は苦笑して、四肢をだらりと投げ出した。
「一君、また土方さんの使いっ走りかぁ」
「ん、さっき出掛けて行ったぜ」
「なんか………一君って、土方さんに信頼されてますよねぇ」
溜め息混じりに総司が言うので、原田は真意を計りかねて総司に目をやった。
「それが、どうかしたのか?」
「………ううん、別に。何でもない」
総司はつまらなさそうにそっぽを向いた。
「おい、何でもないような顔をしてねぇじゃねーか。何かあるなら話してみな、俺で良けりゃあ聞いてやるぜ?」
「うーん………」
「大体、さっき廊下歩いてた時だって、総司すっげぇ思い詰めたような顔してたぜ?」
「そうですか……?」
「あぁ、だから放っておけなくて声かけたんだ」
総司は原田のことをちらちらと盗み見ながら、話すべきかどうかを決めかねていた。
話したところで誰の得になるわけでもない。
第一、ここで話して土方の耳に入りでもしたら取り返しがつかない。
総司は曖昧に笑って誤魔化すことにした。
「ただちょっと、信頼されてるんだなって思っただけです。……ほら、僕は一度もお使いを頼まれたことないし」
「何だよ、総司もしかして妬いてんのか?」
からかい半分に言う原田に、総司はすぐさま顔を真っ赤にして声を荒げた。
「違いますよ!何で僕が嫉妬しなきゃならないんですか!」
「ふーん……まぁ、いいけどよ」
総司の理不尽な怒号に怒ることもなく、原田は軽くそれを流した。
土方には決してないその反応に、総司は困り果ててどう言い返せばいいのか分からない。
居たたまれなくなって、総司は抱えた膝の間に頭を埋めた。
「……はぁ」
口から出るのは溜め息ばかり。
それが嫌で、また溜め息が出る。
その繰り返しだった。
「総司、元気ねぇな」
原田はそんな総司の心境が分かっているのかいないのか、穏やかな声色で総司に言った。
「まぁね………」
「あんまり思い詰めるなよ?」
「うん……」
それからまた沈黙。
原田は平気な顔をしているが、総司はいよいよ居心地が悪くなって、原田に話しかけた。
「ねぇ、左之さん」
「んー?」
「さっきね、僕、土方さんに、俺のことをどう思うかって聞かれたんです」
「はぁ?……何だ?その変な質問」
原田が思い切り眉を顰める。
あの土方がしたとは思い難い質問だ。
「うーん……僕にもさっぱり」
「で、総司は何て答えたんだ?」
「……………おじさん」
「は?」
「だから、おじさん」
ボソッと呟く総司に、原田は呆気にとられてぽかんと口を開けた。
「お、おじさん、ってなぁ………」
「はぁ……何で僕って素直になれないんだろ………」
そう言うなり、総司はまたがっくりとうなだれてうずくまってしまった。
開いた口が塞がらない、とはこのことだろう。
総司の様子からして、普段のように売り言葉に買い言葉でおじさんと言ってしまったわけではなさそうだし、質問されて、その上で総司が答えたのならば……土方は相当こたえているはずだ。
原田は、土方が総司に向ける特別な感情に気付いていた。
そしてまた、総司が土方に抱いている感情にも、うっすらとではあるが、感づき始めていた。
最も、総司は元来自分の感情を隠すことに長けている上、何か、本人が思い切れずにいるところがあるらしく、その真意を確かめることはなかなか出来ていないのだが。
しかし、今の総司の落ち込んだ様子からしても、お互いに片想いをし続けていることに間違いはないだろう。
いや、もしかしたら、相手の想いにお互いに気付いていながら、それに気付かぬふりをし続けているのかもしれない。
原田はそう判断した。
となると、いくら総司が答えに紛糾していたとはいえ、意中の相手におじさんだと言われたら、土方はかなり自信をなくしているだろうと思ったのだ。
「そりゃあ…まぁ、随分なことを言っちまったもんだな……」
「だって……………僕、困って……」
「困ったって、何で困ることがあるんだよ」
「そ、それは……」
原田が突っ込んだ質問をすると、総司は墓穴を掘った、とでも言うように黙り込んでしまった。
(…これなんだよなぁ…………)
と原田は思う。
総司は、なかなか自分の想いを認めたがらない。
きっと、自分の抱く感情は間違っている、とでも思い込んでいるのだろう。
だから想いを抑え込んで、いつもどこか湿気たような顔をしている。
土方との違いはそこだ、と原田は思う。
土方は自分の気持ちを認めてはいるが、総司のことやら自分の立場やら余計なことばかり気にしている所為で、想いをぶつけられずにいるだけだろう。
だが、総司は違う。
想いをぶつける以前に、どうも自分の気持ちを認めていないような気がするのだ。
副長、それも男相手に何を考えているのだと、そんなことを思っていそうだ。
そういう邪な想いは封じてしまおうと躍起になっている―――実はうぶな総司ならそんなこともありえるなと、原田は一人合点した。
が、抑圧された総司の気持ちを開放してやるのは、原田の役目ではない。
それができるのは、土方だけだろう。
「なぁ総司」
原田は囁くように言った。
「……何ですか?」
「たまには素直になってみろよ」
「だ、だから、それができないって言ってるんじゃないですか」
総司はムッとして反論する。
「違うって、自分に素直になるんだよ」
「じ、自分に?」
総司のいまいち理解していないような反応に、もし総司が自分の感情に気づいてすらいなかったらどうしたものかと原田が危惧していると。
「そんなの………無理です」
やがて、萎れたような総司の声が聞こえてきて、原田はほっと胸を撫で下ろした。
取りあえず、認めているかいないかは別として、総司は自分の感情に気付いてはいるようだ。
総司は悔しそうに唇を噛んで俯いていた。
その煮え切らない態度に、原田は大きく溜め息を吐く。
二人の関係は、傍から見ていてもどかしいものでしかない。
色々と制約や世間体などがあるのは重々承知しているが、しかし好き合っているのならそれでいいじゃないか、と原田は思ってしまうのだ。
……がしかし、当人たちにとっては、自分の抱いている感情は、そんなに生易しく割り切れるものではないのだろう。
二人は、長いこと近くに居すぎたのだ。
その所為で、あと一歩がなかなか踏み出せない。
(ま………二人の性格を考えりゃあ、それも当然、か……)
原田は今一度総司を見やると、意を決してはっきりと言った。
「まぁ、別に俺はいいんだぜ?困るのは総司だろ。何時までも迷ってると、横から出てきた奴に持ってかれちまうぜ?」
「え、横から出てきた奴って?」
途端に焦ったように顔を上げる総司を、原田は呆れ顔で見つめた。
そんな奴いねぇだろ、少なくとも土方さんにはお前しか見えちゃいねぇぜ、と言いたいのを我慢して、例えば、と適当な例を挙げる。
「斎藤、とかな。総司は、斎藤が信用されてるのが気に食わねえんだろ?」
可愛い嫉妬だよな、と内心思いつつ原田がそう言うと、総司は見る見るうちに血相を変えて叫んだ。
「やっぱり!やっぱり一君って土方さんが好…………」
「俺が、何だ」
総司が好きと言いかけた時、不意に斎藤が姿を現した。
「は、一君………」
恋敵だと思い込んでいる斎藤の出現に、総司は困ったように居住まいを正した。
「よお斎藤、お使いは終わったのか?」
「あぁ。大した用ではない。それより総司、そろそろ巡察の時間ではないのか?平助たちが戻って来ていたぞ」
「……え?もう?」
総司は慌てて立ち上がった。
「そっか、じゃあ行かなきゃ」
「何だ、総司は非番じゃなかったのか」
「ん、午前中だけ非番」
「そうか。じゃあ、気を付けて行けよ?」
「うん、左之さん話聞いてくれてありがとう」
「なぁに、気にすんなよ。それより、素直になるんだぞ?自分に」
「うーん…………考えとく」
うなだれたまま出て行く総司を、原田は苦笑しつつ見送った。
「左之、総司が素直になるというのは一体何の話だ」
広間に残された斎藤が、原田に聞く。
「んー。土方さんとのことだよ」
「あぁ、それは常日頃俺も思っていたことだ。あの二人は、お互いにもう少し歩み寄ってみれば、より上手く付き合えるようになるのではないかと思うのだが」
斎藤の言葉に、原田は呆気にとられて立ち尽くしている斎藤を見上げた。
「何だよ………斎藤も気付いてたのか」
「当たり前だ。あそこまで露骨に想い合われると、どうして未だに関係が変わらないままなのか、こちらが焦れてくる」
色恋事には疎い斎藤にまで感づかれているというのに、何故当事者同士は気付かないのか。
いや、本当は気付いているのかもしれない。
ただ、お互い先に進むことを臆しているだけで。
(なら、案外あともう一押しくらいかもな…)
原田は一人、思案するのだった。
▲ *mae|top|tsugi#