窓の外で完全に日が上ったのが見えた。
鳥の鳴き声も聞こえてくる。
もう朝か。起きなければ。
そう思うのに、体は全く動かなかった。
目は厚く腫れているのか、重くて痛くて開きやしない。
鼻詰まりと喉の痛みと頭痛も尋常ではない。
床に無造作に投げ散らかされたティッシュのゴミが、白く視界にちらつく。
このまま死んでもいい。
そう思えるほど、暗く憂鬱な朝。
「好きです、………」
震える声で、幾度も悩み、幾度も思いとどまったその言葉を告げたのは、つい昨日のことだった。
告白を決めるまでに数ヶ月、告白の言葉や場所を考えるのにさらに数週間。
散々迷って考えて考えて考え抜いた、人生をかけた告白だった。
何しろ相手は年上で、教師で、男性だ。
しかもその顔面偏差値の高さから、女子生徒という女子生徒が片っ端から告白しているような、超がつく伊達男。
そんな三重苦を抱えてまで告白する意味がどこにあるのかと、どれほど悩んだか分からない。
それだけの覚悟を決めて決行したことだったのだが、結末から言ってしまえば、そう、断られた。
正直驚いた。
いつも甘えて我が儘ばかり言って、散々からかってきた相手だ。
自分の融通が効かないことなど決してないと、心のどこかで思ってしまっていた。
今まで、満更ではない関係を築いてきたつもりだった。
全く脈もないのに告白したりしない。
だからこそ、彼の口から出た言葉が意外すぎて、現実として受け入れられなかった。
「……そう、か…」
好きだと言ってから数十秒、土方は驚きを隠そうともせずに目を見開いて、ずっと黙ったままだった。
いつものからかいではないことはすぐに分かってくれたらしいが、とにかくかなり驚いていた。
体が震えそうになるのをじっと堪えて待っていたその数十秒間は、総司にとって永遠だった。
「…ありがとな」
やがて聞こえてきた言葉に、総司はびくりと肩を跳ね上がらせた。
その時点で、何となく結末が見えた気がしたのだ。
「……けど、俺はお前の気持ちには応えてやれねぇ」
言葉を紡ぐ土方の口を、総司はスローモーション再生のように眺めていた。
無情な台詞。
足元からがらがらと崩れ落ちそうな絶望感。
「どうしてですか…?他に……好きな人が…いるんですか?」
「…………まぁ、そんなところだ」
「うそ………」
そんなの、知らなかった。
誰だろう。
この人の心を射止められる人って、どんなだろう。
思わず涙が溢れそうになった。
「そんなの……聞いてない………」
土方は眉尻を下げて、明らかに困ったような顔をしていた。
それでも土方は優しいから、なるべく総司を傷つけないように、柔らかい言葉を選んでくれているのが分かって、それがまた辛かった。
中途半端な優しさほど残酷なものもない。
「いや……俺も、お前のことは好きだ……けど、今のお前じゃ駄目なんだ」
土方はそう言った。
「それ……、どういうことですか…」
そこからの総司はすごかった。
今の僕じゃ駄目ってどういうことですか。
僕が貴方の生徒だからですか。
それともまだ未熟だからですか。
それとも…男だからですか。
次から次へと思い当たる理由を口にして、その度に土方が首を横に振るのを見て益々混乱した。
「だから、言っただろ。俺には、好きな奴がいる。けどそれは、今のお前ではねぇんだ」
お前の気持ちは、すっげぇ嬉しい。
けど、俺が言えるのはそれだけだ。
そう言ったきり土方は黙ってしまった。
そんなことをきっぱりと言われてしまったら、総司ももはや認めざるを得なかった。
自分にはもう勝算は一切ない。
初めての恋が終わったのだ。
「そ、ですか……聞いてくれて……ありがとう…ございました……め、…わく……かけました…ごめんなさ……」
その時の総司の頭には、"泣くもんか"というその一言しかなかった。
すぐにでも逃げ出したかったのに、よくあそこまで耐えたと思う。
やっとの思いで礼を言って、脇目もふらずにその場から立ち去った。
勿論、その時土方がどんな顔をしていたのかなど見ていない。
一度も顔を上げられなかったのだ。
それから、今まで。
よくもまぁこんなに涙が出るものだと思わず感心するくらい、一晩中泣き続けた。
女々しいことは、自分が一番よく分かっている。
だが、現実を受け入れるためには泣いて忘れてしまうしかなかったのだ。
(今日は学校行けないや…………)
とてもこんな醜態は晒せない。
総司は重い体を起こして、やっとのことで学校に欠席の連絡を入れた。
こんなことで休むなんて、馬鹿みたいだ。
だが、翌日には何もかも綺麗さっぱり忘れてけろりと学校に行けるような、そういうおめでたい性格はしていないのだ。
総司は再びベッドに寝転がった。
どうして、受け入れてもらえなかったのだろう。
土方には、少なからず好かれていると思っていたのに。
あれは一体何だったのだ。
あの、土方が見つめてくる時の情熱の籠もった視線は。
「わかんな……わかんない、よ………」
いっそのこと、結婚の予定があるとかお前のことが嫌いだとかはっきりと告げられた方が、潔く諦められたのに。
自分に何かが足りないが故に自分を選んでもらえない、つまりその何かが分かればまだ脈はあるかもしれないというその中途半端な可能性が、また総司を苦しめるのだ。
再び嗚咽を漏らしながら、総司は枕に顔を埋めた。
何が"今のお前じゃない"のか、総司には全く分からなかった。
今じゃないなら、一体いつがいいのか。
過去か、未来か。
土方が自分に何を求めているのか、さっぱり分からない。
僕の、何がいけないんだろう。
僕には、何が足りないんだろう。
そんなの、言ってくれなきゃわからない。
総司は不貞腐れたようにベッドに突っ伏した。
*
ピンポーン。
夜の静寂にその音はよく響いた。
びっくりして総司は飛び起きる。
「だ、だれ…………?」
一人暮らしの総司の家に、来訪者など滅多にない。
斎藤と藤堂がたまに来るくらいで。
……サボることはあっても欠席は少ない総司が休みだったから、心配して来てくれたのだろうか。
総司は首を傾げながら玄関に向かった。
一日中寝ていた所為で、頭はボサボサ、顔も酷い。
着ているのも、皺の寄ったジャージという有り様だ。
……そんな格好で、まさか涙の原因張本人と顔を合わせることになろうとは、露ほどにも思っていなかった。
まず覗き穴からドアの外を確認して、そこに土方が立っていたので慌てふためいた。
ヤバい、そう思って抜き足差し足部屋に戻ろうとした瞬間、靴箱につま先を思い切りぶつけた。
辺りに派手な音が鳴り響いて、思わず泣きたくなる。
これで居留守作戦はパアだろう。
「……総司?いるんだろ?」
案の定ドア越しに聞こえてきた土方の声に、総司はどうするべきか決めかねて、おろおろとその場にしゃがみ込んだ。
とりあえず、つま先が痛い。
「おい、総司」
苛立ちを含んだ土方の声に、総司は仕方なく頑ななシカト作戦を決め込むことにした。
このまま黙っていれば、いずれは土方も諦めて帰っていくだろう。
大体、土方はどういうつもりでここに来たのだ。
無神経にも程がある。
一度フられた相手に翌日会いたい奴が、一体どこにいるだろう。
ところが、だ。
土方は一向に帰る気配を見せなかった。
それどころか、彼らしからぬ稚拙さで、インターホンを連打し始めたのだ。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン……
永遠に鳴り続けるチャイムの音に、総司は肝が冷えるのを感じずにはいられなかった。
これではまるでストーカー被害を受けているみたいだ。
総司は堪らなくなってにわかに立ち上がると、怒り任せにドアを思い切り押し開いた。
「一体何なんですか!!何のつもりでここまで来たんですか!近所迷惑なんで帰ってください!!」
安アパートの二階に、総司の怒鳴り声は実によく響きわたった。
「…は、やっと出てきやがったな」
土方は偉そうに構えて立っていた。
総司は再び込み上げてくる涙を怒りで誤魔化しながら、きりりと土方を睨み付ける。
「…………僕に何の用ですか」
「…具合はよくなったか?」
「先生は、自分がフった相手の体調を気にするんですか」
「当たり前だ。お前は俺の生徒だろうが」
「……………用件はそれだけですか」
「………」
「………もう帰ってください」
総司は力任せにドアを引っ張り閉めようとした。
が、間髪入れずに土方が、長い足をドアの隙間に差し入れてくる。
「っ!」
がん、と鈍い衝撃が走り、土方が微かに顔を歪める。
「や…、やめてくださいよ!一体どういうつもりですか!もう帰ってくださいってば!貴方に話すことなんか何もありません!」
「俺はあるんだよ!」
土方にぐい、とドアを引かれ、総司は勢い余って玄関の外に飛び出した。
「うわっ………」
よろける総司を、土方がすかさず抱き留める。
そしてそのまま、総司が離せと暴れるのを無視して、土方は問答無用で家に入り込んだ。
「なに勝手に上がってるんですか!帰って!…帰って!!」
総司は半ばヒステリーを起こしながら、怒り狂った声で叫んだ。
が、その願いが聞き入れられることはない。
「離せ!離せってば!先生の変態!アホ!」
「うるせぇな…近所迷惑になんだろ」
土方は総司の首根っこを掴んだまま台所を抜け、奥のワンルームに上がり込むと、床に散らばっているティッシュの山を見て目を剥いた。
「お前……まさか一日中泣いてたのか?」
「………何か悪いことでも?」
「あ……いや…」
咄嗟に緩んだ土方の腕からやっとのことで逃れると、総司はそそくさと土方から距離を取った。
そのまままた無性に泣きたくなってきて、力なくその場に座り込む。
「もう、ほんとやだ……」
何故、こんなに惨めな思いをしなければならないのだ。
総司は恨めしそうに土方を見上げた。
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