僕は数回目を瞬かせた。
「総司くん、こちらが新しい先生の…」
「土方だ」
看護士が頬を染めた理由も、今ならよく分かる。
何故ならその人は、男の僕でも惚れ惚れするような容姿だったから。
だけど、僕が驚いたのはそんな理由からじゃない。
強烈な既視感に襲われたからだ。
初めて会うはずなのに、何故かそんな気がしない。
射すような冷たい紫色の瞳を、どこかでいつも眺めていたような気がする。
懐かしいような、嬉しいような。
久しぶりに感じるそういった暖かい感情に、僕はひたすら戸惑った。
どこかで……会ったっけ?
僕は土方というその名前を、口の中で密かに反芻した。
僕のカルテを見ながら、土方先生はベッドの横に置かれた椅子に腰掛ける。
「沖田総司…くん、か」
「……は、い」
後ろに控えていた看護士は、僕が口を開いたことに吃驚したようだった。
確かに僕は今まで、診察やカウンセリングで素直に口を開いたことは一度もない。
「お前、随分と荒れてるみてぇだな」
カルテから目を離さずに、土方先生は言った。
僕はだんまりを決め込む。
それは僕が話したいことじゃない。
…最も、なら何を話したいのかと聞かれても、答えられることなんて何一つないけれど。
「……その手の拘束、嫌じゃねぇのか?」
不意に土方先生が言った。
「え?」
口を開いたのは看護士だった。
少なからず論旨を外れている土方先生の言葉には、もちろん僕も驚いたけど。
「せ、先生?だって、総司くんは放っておけばすぐ自殺しようとする子なんですよ?とても野放しにはできません!」
「でも、普通嫌だろ」
「先生、総司くんは普通では……」
そこまで言いかけて、看護士は自分の失言に気付いたようだった。
土方先生の凍るような睥睨に萎縮して、看護士は顔を真っ赤にした。
「……すみません」
小さく謝って、ぺこりと頭を下げる。
僕はそれを無関心に眺めていた。
「これ、外してやってくれ」
土方先生は、僕の拘束具を指していった。
「え、でも……」
「俺がいる間だけでいい」
「でも総司くんは…」
「平気だ。俺が目を光らせてりゃ、こいつもうかうか自殺なんざできねぇだろうからな」
有無を言わさぬような土方先生の物言いに、看護士がとうとう折れた。
恐る恐る手を伸ばして、僕の拘束具を外しにかかる。
斯くして数ヶ月ぶりに、両手に自由が戻ってきた。
痺れて思い通り動かない両手を、顔の前まで持ってきて動かしてみる。
触ってみても感触が伝わってこないのは、昔から同じことだけど。
まるで自分のものではないかのような感覚に、僕は思わず顔をしかめた。
そんな僕の様子を見て、土方先生が苦笑する。
「久しぶりか、手を動かすのは」
僕はじっと土方先生を見つめた。
するとぽん、と頭を叩かれた。
「まぁ、そのうちに慣れるさ」
僕は吃驚しながらも、何故か僕の拘束具を外してくれた土方先生に、ほんの少しだけ好感を持った。
ほんの、少しだけ。
「悪いが、二人だけにしてくれねぇか?」
不意に看護士に向かって、土方先生が言った。
「え、それは……」
またも看護士を困らせている。
なかなか破天荒な先生なのかもしれない。
「もし、総司くんが暴れたらどうするおつもりですか?…一人ではとても無理ですよ」
本当に土方先生が心配だ、というように話す看護士を、僕は冷めた目で見た。
「俺なら大丈夫だ。患者の扱いには慣れてるからな」
「……分かりました。では、診察が終わったら呼んでください」
強情な土方先生に渋々ながらも看護士が折れて、拘束具を持って出て行った。
部屋には、僕と土方先生だけが残される。
「さて、と」
尚も自由になった手で遊んでいた僕は、土方先生に視線だけ合わせた。
感情が読み取れない目をしてる。
医者なんてみんなそんなものかもしれないけど、でもこれじゃあまるで、刑事や暗殺者みたいだ。
「お前、何だってそんなに死にたがるんだ」
早速本題に入られて、僕はふぃ、とそっぽを向いた。
そんな話はしたくない。
「…ほぉ……俺を無視するたぁ、いい度胸してやがる」
余裕綽々な様子で言う土方先生を、僕はきっと睨みつけた。
「お前は、痛覚が欠乏してっからな。だからか?」
僕にはまるで無頓着にカルテを捲りながら、土方先生が言った。
僕はぎゅっと唇を噛む。
「なぁ、だからなのか?痛みを感じてぇから、自分を傷つけるのか?」
……そんなこと、今更聞かないでほしい。
僕は、包帯が巻かれた、傷だらけの両手を見つめた。
この傷全てに重たい痛みがあったら、どんなに嬉しいことか。
「…言わない気か。まぁ、それならそれでいいさ。まだ初日だし、最初から首尾よく口を割らせようなんざ思っちゃいねぇからな」
そんな抵抗は屁でもないと言うかのように、土方先生は鼻で笑った。
僕は無性に苛々して、シーツの中で足をばたつかせる。
「お前の病気を治すのが俺の仕事だ。職務だけは全うさせてもらうぜ?……例えお前にその気がなくても、な」
その上から押さえつけるような言い方に、僕は思い切り顰めっ面をした。
なんて先生だ。
今まで何人もの精神科の先生に診てもらってきたけど、みんなもっと優しくて、もっと柔らかい態度だった。
それがすごく嫌だったのもまた事実だけど、こんな威圧的な態度を取られるのもまた癪だ。
「は……何が気に食わねえんだかな」
僕の顔を見て、土方先生は鼻で笑った。
僕が何も言わないでいると、土方先生はやれやれというように溜め息を吐く。
そして、何事もなかったかのようにまた話し始めた。
「このカルテによると、お前は過去に飛び降り二回、リストカット多数、首吊り一回、あと入水自殺も一回図ってるらしいな」
聞いていて、我ながらすごいと思った。
こんなに頑張ったのに、まだ生きているなんて。
「お前すげぇな。何回生死の境目をさ迷ったんだよ」
感心したように言う土方先生を、僕はまじまじと見つめた。
決して褒められたものじゃないのに、何でそんな言い方するかな。
「………死ねない僕がおかしいんだ」
「お、喋ったな」
土方先生は嬉しそうにおどけてみせる。
…そういうの、すっごく苛々する。
「別に…………」
僕はムスッとして視線を逸らした。
別に、喋れない訳じゃないんだから。
言いたいことがあればちゃんと言う。
「お前、死ぬのが下手くそなんじゃねぇか?」
「なっ……」
馬鹿にしたように言われて、僕は目を剥いた。
「…まぁとにかく、俺が、すぐにここから出してやるさ。お前は安心して寝てればいい」
そう言って、土方先生は微笑みすら浮かべてみせた。
…つくづく変な先生だ。
熱いのか冷めてるのか分からないし、第一時々訳の分からないことを口走る。
ずっと精神科医をしてた所為で、先生の方が狂っちゃったのかもしれない。
大体、僕のこの態度に太刀打ちできる先生なんて初めてだ。
大抵は向こうの方から、僕の面倒は見切れないって願い下げてくるのに。
ほんと、変なの。
僕が嫌悪感を込めた目で土方先生を見上げると、先生は再び溜め息をついて、ナースコールのボタンを押した。
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