「怖がらなくてもいいんだよ?さあ、おいで。家に帰ろう。私は君の父親だったんだ」
男は猫撫で声で両手を広げる。
それが妙に胡散臭く見えて、とてもついていきたいとは思わない。
それどころか、夢の内容が本当ならば、とてもこの男のもとへ歩み寄りたいとも思わない。
自分を犯した者なら特に。
男の顔が禍々しいものに見えて、体が震える。
「…い、いやだ」
総司はぶんぶんと顔を横に振った。
思わず後ずさる。
「なぜためらう?私は君の父親だよ?義理といえども、ずっと一緒に暮らしてきた」
「う、嘘だ。あんたなんか僕は知らない!勝手なこと言うな」
「ははは。お前が警戒するのも無理はない。記憶喪失になってしまって、他人に畏怖しているようだからね。でも、父親だというのは本当だよ。嘘はついていない」
「………」
その言葉通り、嘘を言っているようには見えなかった。
「さあ、おいで。総司」
「…いや、です。そんな声で言ったって、僕は信用しない。たとえあんたの言っている事が本当でも、僕が信じられるのは僕自身だけ。薬を飲ませて…記憶を消したあんたなんか信用できるはずがないんだから!」
「ふふふ、そうか。そんな態度をとるんだな、お前は。義理の父親に向かって…本当にいけない子だ」
「父親なんて言うな。たかが義理の父親なくせに」
「ふふ、やはり記憶を消しても…お前は私から逃げるんだな。毎日の食事に思考力を鈍らせる薬と催淫剤を微量に混ぜ、お前の記憶をすべて抹消してから料理してやろうと思っていたのに」
いつも私から逃げ、おびえたような顔で睨んでくるその顔が疎ましかった。
義理の父親である自分に反抗した態度をいつもとり、私の愛に応えようとしなかった。
それらが気に食わなくて、なんとかして自分にすがらせる方法はないかと考えた。
考えた結果、記憶を抹消する薬を思いついた。
どうせなら、自分以外の存在全てをなかった事にすれば、自分に縋ってくれる。
総司の心を支配できる。
そう思い、食事にに薬を入れ、味を慣らしつつ、段々と投与する量を増やしていった。
「その結果が、今のがお前だよ」
記憶を忘れた哀れな自分がその被験者。
「っ…ひどい…!」
「ひどいだって?お前が僕になつかないからだろう!せっかく愛してやろうというのに…お前というやつは…!来なさい」
男の表情が豹変した。
総司は思わず尻込みし、逃げようとしたところを腕で引っ掴まれた。
「っ…は、はなせ。放してっ」
不幸なことに、周りに人はいない。
助けを呼ぼうにも、声が出ない。
小さくて非力な自分は無力。
冷たいアスファルトの上に組み敷かれ、口をふさがれる。
必死で暴れようにも、大人の男の力には到底かなわない。
恐怖と生理的な嫌悪感に、頬から涙が伝う。
怖い。
怖くて体が震える。
まるで、あの時と一緒だ――…。
あの時と…
かすかに忘れたはずの記憶が、こんな時に限って蘇ってくる。
自分はこの男に犯されながら、記憶を抹消させられる薬を飲ませられて、それで命からがら逃げてきたんだ。
この義理の父親である男からの異常な溺愛から逃れるために。
できることなら、こんな事だけ思い出したくなんてなかった。
「っ…やだ…ひじかたさ…土方さんっ…助けてっ!助けてっ!!」
泣き叫びながら、総司はたった一人の親の名前を呼んだ。
決して来ないとわかっていながらも。
「っやぁあああ!」
つんざく悲鳴をあげた。
そんな刹那、男の力が抜けていくのを感じた。
うっすら男の顔を見つめると、驚愕な顔をうかべていて、真横に倒れた。
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