僕は正式に土方家に迎え入れられることとなった。
とは言え何か仕事を与えられたわけではないし、変化と言えば、斎藤君と山崎君の物腰が更に柔らかくなったことくらいだけど。
僕は彼らとよく話すようになり、怪我が良くなってからは、たまに一緒に土方さんの仕事を手伝ったりもした。
聞けば、斎藤君も山崎君も、繰り返される抗争やテロなどで家族を失い、行く宛をなくして土方さんに雇われた身なのだという。
テロが起きているのは、権力者、即ち自分の所為でもある。
土方さんにはそういう責任感があるらしく、犠牲者である彼らのことを自ら進んで引き取ったそうだ。
今土方家で働いている人の殆どが、そうして土方さんに忠誠心を捧げるようになった人たちだとか。
先代の時に土方さんも悩まされた身分制度なんかは、土方さんが当主になってすぐに撤廃してしまったらしい。
いわば、屋敷にいる人たち全員が家族。
土方さんは、何とかしてそういう雰囲気を作り出そうとしているようだ。
「それ、要は体よく手懐けられたってことでしょ?」
そう言ったら、違うって猛烈に抗議された。
「土方さんは、ご自分でも無意識のうちに人を惹きつける能力のようなものを、生まれながらにして持ち合わせているのだと思う」
ある日土方さんの留守中に、斎藤君と土方さんの部屋を掃除していたら、斎藤君が話してくれた。
「いわゆる、天賦の才というものなのだろうな」
「てんぷのさい?」
「あぁ。別に土方さんが仕向けなくとも、周りの人間は土方さんのために動く。土方さんのために働きたくなる」
そうかな、と僕は思う。
確かに、土方さんの命を守ろうとしたことも一度ならずあったけど。
実際のところ、僕は土方さんに対して、未だに完全には気を許せていなかった。
それこそ危険因子の僕のことを手懐けようとして、懐に誘い込んだのかもしれないし。
でもそれだと、わざわざ僕を捜してくれたことの説明がつかなくなる。
どこまでも疑心暗鬼になったり、土方さんを信じてみたいと思ったり。
様々な感情がせめぎ合い、葛藤を繰り返す。
その中で僕は、穏やかな日々に少しずつ少しずつ慣れようとしてきた。
こうして斎藤君と一緒に掃除をするなんて、つい数ヶ月前までは想像もしていなかったのに。
家族ができたり、敵が敵じゃなくなって、味方が敵になったり、目まぐるしいことだ。
「あぁ、総司。ここに居たのか」
椅子に座りながら黙々と本棚を整理していると、不意に部屋のドアが開いた。
「土方さんおかえりなさい」
斎藤君が律儀に頭を下げる。
「掃除してくれてたのか。ありがとうな」
「いえ、これも仕事のうちですから」
「総司もすまねぇな」
「……………」
斎藤君にはありがとう、僕にはすまねぇ。
その微妙な差が、僕の不安を掻き立てる。
「……僕に用があったんじゃないんですか?」
そっぽを向いてそう言えば、土方さんは僕に松葉杖を渡してきた。
「今から庭でも散歩しようと思ってな。一緒に行かねえか?」
「え?」
僕は狼狽えて土方さんを見上げ、それから振り返って斎藤君を見た。
「ここはもういいから、行ってくるといい」
至って穏やかに言う斎藤君に、僕は益々どうしていいか分からなくなる。
ここに住むようになってから、実は土方さんと必要以上に接触することを避けるようにしていた。
まぁ多分、土方さんが気付かない訳はないから、とっくにバレてはいるんだろうけど。
いまいち距離感が掴めないのと、色々負い目を抱えているのと、理由は山ほどある。
何を話したらいいのかも分からないしね。
「ほら、立てるか?」
おろおろしていると、土方さんは足の傷が完治していない僕の脇の下に手を入れ、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。
もう一度だけ斎藤君を見ると、彼はもう此方を見てはいなかった。
行ってこいということなのだろう。
仕方なく松葉杖をついて、土方さんに続いて執務室を出る。
そのまま庭に出るのかと思ったら、土方さんは真っ直ぐ僕の部屋に入っていった。
土方さんの執務室と寝室は繋がっていて、僕はその寝室に隣接した一部屋を与えられている。
何事かとドアのところに突っ立っていると、土方さんは上着を片手に戻ってきた。
「ほら、寒くねぇように着ていけ」
僕は黙って上着に腕を通した。
高級そうなカシミアのコートは、肌触りがとても良い。
僕の部屋にある服は全部、土方さんが用意したものだ。
僕には洋服のことなんかよく分かんないけど、センスがいいんだろうなってことは何となく感じている。
「今日は車椅子を用意したからな。そいつはここに置いてけ」
そう言って、土方さんは僕から松葉杖を取り上げた。
ふらりと均衡を崩した体を、土方さんがすかさず支えてくれる。
車椅子なんてヤだって言ったのに。
多少不満を込めて土方さんを見ると、さらりと流されて微笑まれた。
そのまま、一体いつから用意していたのか、部屋に置いてあった車椅子に座らされ、膝にはブランケットをかけられて、庭までゆっくりと運ばれた。
一言で庭と言っても、何ヘクタールあるのか分からない敷地内。
散歩ではなく最早ちょっとした散策だ。
「昔、お前のお守りをしながらよく庭を歩いた。まぁ、お前は覚えてないんだろうが…」
「そりゃあ、覚えてたら奇跡ですよね」
だけど、見渡す景色が何となく懐かしい気がするのは、きっと気のせい。
何も言わない土方さんを、僕は微かに首を捻ってちらりと見上げた。
こんな言い方をしたから、土方さんは傷ついたんだろうか。
今まで、土方さんみたいな金持ちたちは、ちょっとやそっとのことでは感情なんか動かされないんだと思っていた。
人情のにの字もないような、そういう冷徹な人たちなんだと。
だから貧しい民衆のことなんか顧みもしなくて、お金にしか目がないような生活をしているんだと、実態を知ろうともしないで勝手に決めつけていた。
まぁ、本当にそういう権力者が多いのは否めないと思う。
だけど、土方さんは、土方さんだけはやっぱり違う気がする。
僕に優しくしてくれたからというのも確かにあるけど、この前土方さんの涙を見てから、土方さんも僕と同じなんだって、少し分かったから。
車椅子はゆっくりと芝生の上を横断して、小さな池の畔で止まった。
一体誰が提案したのか、そこにはあまり使われていなそうな木のベンチが作り付けられていた。
土方さんは車椅子をベンチの横に近づけると、自然な動作で自分はベンチに腰掛けた。
遠くから鳥の鳴き声がして、少し肌寒い風が頬を撫でていく。
水面がゆらゆらと揺れて、午後の斜めった日差しを反射している。
そんな長閑な景色を前にしても、僕の心はどこかざわめいて、落ち着かないままだった。
「ねぇ、……土方、さん」
「何だ?」
「土方さん、なんでこの前、泣いてくれたんですか?」
泣いてくれた、という僕の表現に、土方さんは微かに息を詰めた。
「さぁな………嬉しかったからかな…」
「じゃあ、なんで今日は突然散歩しようと思ったんですか?」
「それは…………」
親睦を深めるため、なんて言われたら殴ってやろうかと思ってた。
だけど。
「総司、俺はな、お前に何でもしてやりてぇんだ。お前のためだったら涙だって流すし、散歩にだって連れて行く。お前が望むなら、命だって捨ててやる」
予想を遥かに上回った答えに、僕は何も言うことができなくなった。
何で?
何で僕のためにそこまでしようとしてくれるの?
「………それは、僕に見返りを求めているからですか?」
僕には分からなかった。
だって、愛なんて知らないんだ。
これが愛というものなら、僕はそれを受け入れてしまうのが怖い。
受け入れたら、僕は弱くなってしまう気がするから。
「……それは、否めねぇな」
「……………」
「そう言ったら、お前は満足するのか?」
僕はギクリとして、土方さんの顔を見た。
「人間なんざ、皆飢えているものだろう。誰だって愛されたい、必要とされたいって、心の底では渇きを覚えてるはずだ」
「誰でも?」
「あぁ。世界のどこかで、誰かが自分を必要としてくれてるって、そう思わないと生きていけねぇだろ?少なくとも、俺はそう思ってる」
土方さんの言うことは、僕にも理解できる気がした。
僕は………組織に用済みだって言われた時、どうしていいか分からなかった。
自分は何のために生きてるんだろうと思って、死にたくなった。
「俺は小さい頃からずっと、土方家を継げば必要としてもらえるんだと思って生きてきた。おかげで今は、斎藤にも山崎にも会えた。俺のことを憎んで殺してぇと思ってる連中もいるが、反対に俺を必要としてくれてる奴らもいる」
全人類から愛されるなんざ、神様だって無理だからな、と土方さんは小さく笑った。
「誰か、たった一人でもいいんだ。自分を必要としてくれる奴がいれば、それで生きていける」
「……………」
僕は、土方さんを必要とする大勢の中の一人なのか。
だけど、それでもいいと思う自分もいる。
じっと見つめていると、土方さんの髪が風に揺れて顔にかかった。
僅かに俯いた横顔は何を物語っている訳でもないけれど、無性に手を延ばしたくなった。
「………けどな、総司。俺はお前に再会して、それだけじゃねぇって分かったんだ」
「それだけじゃないって…?」
「…………愛してみたい、守ってやりたいと思ったのは、お前が初めてだ」
「…え……」
「お前に会って初めて、生きていてよかったと思えた。生きる喜びを感じた」
「生きる、喜び………」
口の中で、小さく反芻してみる。
生きる喜びって何だろう。
今まで、どういう時に嬉しかっただろう。
任務を遂行した時?
誰かを殺して、リーダーたちに褒められた時?
ううん、みんな違う。
みんな虚しいだけだった。
「………………」
土方さんがすごく嬉しいことを言ってくれているのはよく分かる。
だけど、僕には実感が湧かない。
「………僕は、怖いです」
「怖い?」
「土方さんはそう言ってくれるけど、僕には自分が嬉しいのか、喜んでるのか分からない」
「総司………」
「………ここで暮らすようになって、自分がどんどん変わっていってるのはよく分かります。だけど、僕は……それが怖い…自分が弱くなってるみたいで……」
柔らかいブランケットがかけられた膝の上で、僕は拳を握り締める。
目を懸命に開いて、ブランケットに吸い込まれていく水滴をじっと見つめた。
「………成長すれば、強くなるってよく言うだろ?」
暫しの沈黙の後、ぽつりと土方さんが口を開く。
「よく、…言われました。大人になれば、強くなれるからって」
「…俺は、弱さを知ることこそ成長だと思う。誰だって、成長するにつれて弱くなるんじゃねぇのか」
子供なんてみんな新しいことに貪欲で、無邪気だろう。
大きくなればなるほど保守的になって、自分の知らないことが怖くなるんだ。
土方さんは、穏やかな声で淡々と語った。
「だから、お前が怖がるのは自然なことだよ」
僕は顔を上げられなかった。
土方さんが僕のことを見ていたかどうかは分からないけど、土方さんは僕の頭を引き寄せて、自分の肩に乗せてくれた。
「総司、お前は俺に何を思う?何を望んでる?」
耳元で聞こえる優しい声に、僕は目を閉じて考えた。
僕は…………あなたに愛されたいと思う。
ぽつりと呟いた声は小さすぎて、土方さんに聞こえていたかどうかは分からない。
だけど土方さんは、返事の代わりのように優しく頭を撫でてくれた。
僕たちは、僕がくしゃみをするまで、ずっと二人きりで寄り添って座っていた。
穏やかで幸せで、でもこんな時間がずっと続く訳がないと思うと、僕はやっぱり怖かった。
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