「分かってた、よ………この世の中、欺瞞と裏切りばかりだって。僕が、土方さんに教えてあげたんだもん……そんなの、知ってたよ…」
自分に言い聞かせるように、震える声を抑えながら言葉を紡ぐ。
それからふと、あることに思い当たった。
「……ていうか、井吹君は何で逃げてきたの?」
「お、俺?」
「まさか、井吹君まで殺されそうなの?」
「いやいや、俺は違……わねぇな、もう。勝手に出てきちまったし、多分今頃は、俺も暗殺リストに載ってんじゃねーかな」
「だから、何で逃げ出したのさ?」
「逃げ出したっつーか、俺は、お前を探しに来たんだよ」
「僕…………?」
「だって、命を狙われてるって教えてやらねーとさ、うっかり戻ってきたりしたら殺されちまうし」
「だからって……僕があのテロの日に逃げ出したの、知らなかった訳じゃないんでしょ?」
「あぁ……まぁ、テロ以来姿見かけなかったし、別働隊とか特別任務とか、そういうわけでもなさそうだったしな。もしかしたら、沖田も暗殺計画のことを知って、逃げたのかもって思った」
「いや……今まではっきりとは知らなかったけどね」
「じ、じゃあ、何であの時逃げたんだ?普通に銃撃戦に持ち込めば、沖田なら簡単に切り抜けられたはずだろ?」
もっともなことを聞かれて、僕はぐっと答えに詰まった。
けど、井吹君には隠す必要もないだろう。
「実はさ、……僕に支給されたライフルがね、暴発するようになってたんだ」
「は?!」
「ちょっと見ただけですぐ分かったよ」
「そ、それって………」
「うん、多分その時すでに、僕を殺すように命令が出てたんだろうね」
「沖田…………」
「だから、僕逃げたんだ。ライフルは単なる偶然だったかもしれないけど、誰を信用していいか、分かんなくなっちゃったから」
仲間が僕を殺そうとしているかもしれない。
それは本当に小さな疑惑だったけど、一度芽生えたら決して拭えないものだった。
何で、僕が。
戦場で取り乱すのは、自殺行為にほぼ等しい。
撃ってくれと言うようなものだ。
あの時僕は、決して撃てないライフルを握り締めて、我を忘れないようにするので必死だった。激しく混乱していた。
だから、最前線で、過激派の連中に銃を向けられた瞬間、逃げ出す以外の選択肢を見つけられなかった。
「…僕思うけどさ、あの日のテロは、やっぱりちょっとおかしかったよ」
「え?」
「誰か権力者を殺そうとしてたなら分かるけど、早朝の誰もいない広場に爆弾仕掛けるなんて、一般人だって一人も殺せないじゃないか」
「俺は、あれは一種の警告っつーか、権力者たちに対する脅しみてぇなもんかと思ったんだけど……」
「……何だ。雑用係のクセに頭いいんだ」
「なんだとっ!!」
「僕もそう思ってたよ、今までは。だけど、君の話を聞いてたら、同じレジスタンスの中で、邪魔な奴を消そうとしてたようにしか思えなくなった」
「た、確かに…………」
井吹君が、重々しく口を閉じる。
……そうか。
もはや、敵は権力者と政治家だけじゃなくなったってことか。
というか、権力者たちが敵とは限らないというか…。
脳裏に、土方さんの顔が浮かんで消えた。
彼は、誰の味方だったんだろう。
「………で、井吹君はこれからどうするつもりだったの?」
「え?えーと俺は、取り敢えず沖田を見つけようと思ってたから…」
その後のことは何も考えてなかったと、井吹君は言った。
「はぁ?君ってやっぱり馬鹿なの?野垂れ死んでるかもしれない奴のために組織抜け出して、何の計画もないなんて、ふざけてるわけ?」
「それは沖田だって同じだろ!」
「違うね。僕にはちゃんと土方さんを利用しようっていう計画が…」
「それだって行き当たりばったりじゃねぇか!」
「んな、雑用係のクセに生意気言わないでよ!」
「俺は!……俺は、お前を信じてただけだ!」
「は……?」
信じる、という言葉に過敏になっている身体が、不信感を全面に押し出す。
「沖田、前に言ってたじゃねぇか。探してる人がいるから、見つけるまで死ねないって」
井吹君の言葉に目を見開いた。
そんなことを覚えて、僕が死なないと信じていたなんて……有り得ない。
だけど、井吹君からは僕を騙そうとするような気配が感じられない。
そもそも井吹君には、人を騙せるほどの脳なんかないはずだ。
「沖田が俺だけにこっそり話してくれたことだから、本当なんだと思って、ずっと覚えてたんだ」
「君、バカだね……」
「馬鹿で構わねぇよ!実際にお前は生きてたんだからな!」
正論を述べられて、ぐうの音も出ない。
「何なの……君、ホント………」
黙って俯き、立てた膝に顔を埋めると、井吹君がこちらを向く気配を感じた。
「なぁ、俺、もう行く場所がねぇんだ。沖田と一緒にいてもいいよな…?」
顔を上げると、真剣な顔をして唇を噛んだ井吹君と目が合った。
……あぁ、……ほんと、何なんだろう。
「………雑用係、いたら便利だしね…仕方ない、なぁ」
僕の言い草が不満らしく、ブツブツと文句を垂れている井吹君を見ていたら、不覚にもジワッときた。
僕はまだ、一人じゃないみたいだ。
「でも、どこへ行こっか…」
「どこでもいい。なんなら、沖田の人探しを手伝ってやるよ」
「……君、もう地下運動はやめたわけ?」
「だって、元々拾われたから居ただけの場所だぜ?やめるもなにも、最初っからやる気なんてない」
「うわ……悠長な御身分だね」
「沖田だって同じようなもんだろ」
組織からも終われる身となった今、僕が地下運動を続ける理由はどこにもない。
ただ、僕はそれ以外の生き方を知らない。
働き方も、お金の稼ぎ方も、何一つ分からない。
まるっきり自由となったはずなのに、何故か今までの人生に束縛されている。
「どうしよう……僕、人殺し以外、何もできないや……」
思わず呟くと、井吹君は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「まぁ、そんなことだろうと思ったよ。何だ、俺の方がよっぽど有能じゃんか」
「ふ、ふざけないでよ」
「へん、食いもんの入手法も知らねえ奴に言われたかねぇよ」
「そんなことないし!」
「じゃあ、どうすんのか言ってみな」
「盗む」
「はぁ?」
「盗むんだよ!……そうだ!また、土方さんのとこに侵入すればいいんだよ!」
「はぁ!?」
井吹君は、今度こそ幽霊でも見ているような顔になってしまった。
ちょっと失礼じゃないの?
「お前、何でそこまで土方家に固執するんだ?」
「だって、頼れる相手なんて他に知らないし」
「だからって……」
「じゃあ言ってみなよ。他に行く宛があるわけ?今日食べるものは?どうするつもりなの?」
「う…………わ、分かったよ、くそ。行こう、土方んち」
「分かればよろしい」
行き先を決めたところで、僕らは木のうろから這い出た。
お尻についた土を払い、立ち上がる。
「あ、そうそう。君今さ、土方って呼び捨てにしたよね?」
「あ?いけねぇのか?」
「うん。大いにマズいね。きっと、土方さんの番犬二匹に噛み殺されるよ。死ね馬鹿者が、土方さんを侮辱する奴は許さん!とか言って」
親切に怖い怖い秘書たちのことを教えてあげると、井吹君は怪訝な顔をして首を捻った。
「番犬?」
「うん。すっごく怖いの。僕なんて…………そう、僕なんて、疫病神って言われて……それで、土方さんのとこから出てきたんだから…」
「疫病神?!それってすげぇ……」
「お前にお似合いの言葉だな、沖田」
突然背後から、凍りつくような声がした。
次いでカチリと嫌な音がして、ご丁寧に銃の安全装置まで外される。
きっと、その銃口は僕の頭に向けられているはずだ。
いや、僕たちの、かな。
「…くそっ……………」
一、二、……人の気配は複数分だ。
ここまで接近されても気付かなかったなんて、不覚すぎる。
まさかこんなところで捕まるなんてね…。
チラリと横目で井吹君を見ると、可哀想に、頭からつま先までかちんこちんに固まっていた。
「沖田……手を挙げてこっちを向け。そこの井吹もだ」
「っ………」
仕方ない。どうせ僕は丸腰だ。
勢いよく振り返り、両手を顔の横まで挙げて、相手を見る。
「あ、あんた………!」
そう言ったのは井吹君だった。
まぁ、僕も驚いたけど。
僕を引き取り、ここまで育て上げた張本人、組織のリーダーが、そこに立っていたんだから。
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