陽が沈んで随分経ち、船員達もそれぞれの部屋へ戻るものがほとんどで甲板からも人の数が随分減った。
少し静かな船内を進み食堂へ入る。
食堂も例外なく、人がまばらで随分静かだ。この独特の雰囲気が不思議で好きな時間でもある。

厨房が覗けるカウンターへ行けば、予想通り、サッチが厨房で何やら仕込みしていた。
おれに気づいたサッチは「どうした?」と手を止める。



「コーヒー頼む、後ホットミルクも」
「なんだ?今日は徹夜か?」
「そんなとこだ」
「おー、ちょっと待ってなぁ」



すぐに鍋を火にかけ、奥にある棚からコーヒーを取り出して準備を始めた。



「ミルクは名前か?」
「そうだよい」



なら、はちみつもいれてやろっかな。と鼻歌混じりに作り始める。

さっきまでも、明日の仕込みをしていたのかと思いきや、新作デザートの試作らしい。



「名前に食べさせたらすげー可愛い反応するからさぁ、ちょっと懲りたくなっちまって」



ここ最近のサッチのスイーツのレベルが上がった気がしていたのはそのせいか。
この様子からサッチも名前を相当気に入ったんだとわかる。

おれが最初に名前のことで料理を頼んだ時は「まだ家族にもなっていないやつにそこまでする必要があるのか?」って不思議がってたくせに。

あの時の様子とは随分違う、楽しそうなサッチを見れば自然と口角が上がった。



「そういや、名前の部屋ってどうなった?あん時のナース達すごかったからなぁ」



サッチはあの時のことを思い出したのか、なんとも言えない表情をする。

ちょうどサッチと名前の部屋のことを話していた時、大人数で食堂に入って来たかと思うと、おれ達のところに来て、テーブルにバンッ!と手を叩きつけ「あの子に部屋を与えていないってどういうことですか!!」と。
やはりこの船で敵に回してはいけないのは彼女達だったと再認識した。

この質問をしてくるってことはサッチもあれから気にしていたんだろう。



「空いてる部屋がとても使える状況じゃなかったんで、一時的におれの部屋を使わせてるよい」



カランッ……



音が響きそちらを見ればサッチが目を見開いてこちらを見ている。
おそらくサッチの手から、何かが落ちた。

大丈夫かと声をかけようとしたところで、静かな食堂にサッチの大きな声が響いた。



「はああぁぁ!?」



今にも飛び出さん勢いで、カウンターから身を乗り出してくる。
おかげでリーゼントが顔にぶつかり、おもわず眉が寄る。



「はっ!?名前のやつ、今お前の部屋にいんの!?」
「あぁ」
「二人で!?同じ部屋!?」
「まぁそうだが、夜はおれが仮眠室に行ってるよい」
「あぁ、そうか。なら…、って、でもおかしいだろ!」



少しうざい反応だが、まぁ、サッチの言いたいことはわかるから、言い返せない。


ブクブクブクッ!!!!



「噴いてるぞ」
「あぁッ!」



火にかけていた鍋とミルク、どちらも沸騰しグツグツと泡立っていた。
サッチは慌てて火を止めると、それぞれをカップに注いでいく。



「えー、なんか、それやばくね?てか、お前がそこまでするのに驚いてる」
「おれもそうは思ったが…、仮眠室よりはおれの部屋の方が安心だろい」
「あー、まぁ、そうかぁー、いや、お前だって、んー」



何を考えてるのか器用に表情を七変化させたサッチはパッと目を開けた。
何か閃いた風だが、絶対碌なことではないだろうと、ジト目を送る。



「おれの部屋に…!「却下」なんでッ!」
「お前が何かするだろい」
「しねぇよ!!」



名前が嫌がれば話は別だったが、そういう反応でもなかった。

正直、今まで仮眠室でいて何もなかったことが奇跡だ。

この船に乗っている連中は家族は何があっても大切にする。この船で仲間を傷つけるのはご法度だ。
しかし、名前は家族ではない。それにおれ達の尊敬する親父に攻撃を続けるエースの仲間でもある。親父の考えを汲み取っている連中は親父なら大丈夫だと手を出さず、ただ見守っているが、そうでなくエースに対し怒りを覚えている者もいる。そんな中、いつその矛先が弱い名前へ向いてもおかしくはなかった。

一度でも名前と関わった者は彼女が悪い奴ではないことがわかるだろうが、他の連中からすれば自分たちの船長を攻撃する奴の仲間、という風に見えているのかもしれない。

これまでに、何かが起こっていてもおかしくはなかった。

ま、あそこにいることを話すような人物もいなかったということなのかもしれないが。



「お前こそ変なことすんなよ?」
「するわけねぇだろい」
「んー、まー、他の野郎と同室じゃなかっただけよかったか」



サッチはミルクの方もカップに注ぎスプーンではちみつを掬って入れると数回かき混ぜた。
そして「はいよ」と二つのカップを差し出す。それを受け取ると、スンとコーヒーの香りが鼻に届く。ミルクの方も湯気が立って美味そうだ。きっと名前も喜ぶだろう。

そこでふと思い出した。彼女が一番気にしている人物について。



「そういえば、エースの様子はどうだ?」
「まぁ、随分落ち着いたな、最近はからかい甲斐がなくなってきたぜ」
「今度一緒に出るんだろい」
「おー、そうそう、ま、ちゃっと終わらせてくるぜ」



領海での問題はよくあることだが、今回の件は隊長クラスが行かなければならないようなことで、それにエースを同行させることになった。
サッチはさっきまでしていたスイーツ作りの続きを再開したようで腕まくりをし直し手を洗い始めた。



「エースの方もそろそろ考えがまとまってそうだぜ。この遠征が終わったらそろそろかもなぁ」
「…そうか」



ここ最近は見かけても以前のような鋭さはなく、毒気を抜かれているように見えた。
自分の答えを探りながら過ごしているんだろう。今回ので決断を下せればいいんだがな。

キュッと蛇口を捻ると、そういえば!とサッチはこちらを見た。



「エースと名前ってさ、絶対何かあるよな」
「あぁ?」
「エースの前で名前の名前出すと表情変えるんだよ」
「仲間なんだから普通じゃねぇのかい」
「いやそれでも二人が話してるのみたことねぇし、幼馴染って割には距離があるんだよなぁ」



んー。とせっかく洗った手を気にせず腕を組んで考える素振りをする。
ったく、こいつは意外とこういう下世話な話が好きなやつだ。
まぁ、そういうところが人をよく見てるってことなのかもしれねぇけど。



「人のことばっか気にしてる場合か、ちゃんと出る前に隊員達に指示出してけよい」
「あー、そういうのすっか忘れてたってのに、思い出させんなよー」



そういうサッチの言葉を背にカップを二つ持って食堂を出た。
あんまりあいつの話に付き合ってたらせっかくのミルクが冷めちまう。




部屋へ戻ると、部屋の前で立つ名前の姿があった。
おれの姿を確認すると、遠くから小さく会釈した。
急いでそばへ行けばおれを見て微笑む。



「待ってたのか」
「はい」
「入ってていいのによい」
「さすがに勝手には入れないですよ」
「次からは気にせず入ってろよい」
「えぇ…」



これまでは一緒に部屋に戻ることが多かったから気づいてやれなかったな。
彼女の性格上、気を遣うなというほうが難しいのかもしれないが、部屋の前で待たれる方が変な噂が立ちそうだ。
次からは部屋の中で待つように言い聞かせると、名前は戸惑いながらも了承した。

彼女を中へ通すと、落ち着かない様子でおれの動きを見てる。
もう何度も入っている部屋だというのに、全く慣れる気配がなくて、微笑ましい。
ソファに座らせ、ミルクの入ったカップを手渡す。



「これ、サッチが入れてくれたんだよい」
「わ、ありがとうございます」



少し驚いたようだったが、素直に受け取り「いただきます」と口をつけた。
おれも椅子に腰掛け、コーヒーを一口含む。



「おいしいです」
「そうか、はちみつも入れたってよい」
「だから…!甘くて、温まります」



はちみつミルクを堪能する様子は確かに見ていてとてもいい気分になる。
サッチがスイーツ作りに凝る気持ちがわかるな。

つい緩んでいた頬を少し締めて、彼女に言っていなかったあのことえを伝えようと口を開く。



「エースのやつ、今度サッチと出るみたいだよい」



おれの言葉を聞いて動きを止めたかと思うとこちらを見て不思議そうな表情を浮かべる。そして、「出る?」と小さく聞き返した。



「時々な、おれたち隊長が出向かなきゃならないことがあるんだよい、それにエースを同行させるって」
「そう…ですか…」



あからさまに表情が曇っていく。



「それに…、今回ので決まるかもしれねぇよい」



何が。とは言わなかった。きっとそれでも名前には伝わっている。
「次で…」と呟きながら顔を俯かせる。

手を伸ばし、その小さな頭に手を乗せる。



「エースなら大丈夫だろい」



名前は少しだけこちらを見てまた俯かせ、そのまま頷いた。


この間、名前に一番隊にきて欲しいとは言ったが、返答はもらっていない。
きっと、今の彼女に返事をさせることはまた、名前を追い込むことになる。

名前の姿を見る。
そういえば最近ナースたちにもらった服を着ていないなと気になったが聞くことはしなかった。

エースの決断で、名前の迷いもなくなればいいんだが…。

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