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 沖矢さんは携帯灰皿を片手に、外の壁に寄りかかって煙草を吸っていた。
 吐き出された紫煙が立ち昇り、空気に溶けていく。
 沖矢さんとの間に一人分のスペースを空けて、自分の両肘を抱いて、彼と同じように壁に寄りかかった。

「意外。煙草吸うのね」
「子供たちがいたので、遠慮していただけですよ。千歳さんは吸わないんですか?」
「嫌煙家ってわけじゃないけど、自分で吸おうと思ったこともないわね。吸い方知らないし」

 煙草を吸う姿の格好良さとかは感じるけれど、自分が吸うとなるとまた別だ。
 目の前に一本だけ煙草が飛び出した箱を出されて、その腕の主の顔を見遣った。

「一本、試しにどうです」
「あらなぁに、年下の女に悪いコト教える趣味でもあるの?」
「人聞きの悪い言い方をしないでください。意地悪な人だな」

 赤井さんが言っていると思うと笑えてくる。
 上がってしまう口角をごまかすように、差し出された煙草に手を伸ばした。

「冗談よ。噎せても笑わないでよ」
「誰でも通る道ですよ」

 言われるがままに咥えて、落ちないように指を添えた。

「口で留めていいですから、少し吸ってもらえますか。ストローと同じ要領で」
「ん」

 マッチにつけた火を近づけられて、言われたとおりに吸ってみる。少しの熱とともに、苦味のような辛味のようなものが舌を撫でた。
 煙草に火がつくとマッチを遠ざけられて、"もういいですよ"と言われる。
 煙草を口から離して息を吐くと、煙が空気に溶けていった。

「お味はどうです?」
「苦いを通り越して辛いというか、……おいしくはないわね」
「少しだけ肺まで吸ってみましょうか」

 言いながら、沖矢さんは新しい煙草に火をつけた。引き取らないから最後まで吸えと。
 また口をつけて意識して肺まで息を吸った瞬間、噎せてしまった。

「っ、けほ、げほ……!」

 煙草を口から遠ざけて、空いた手で口元を押さえる。
 大きな手で背中をさすられた。
 痛む喉と肺、目に滲む涙。こんなの慣れられるわけがない。

「大丈夫ですか?」
「思ったよりきつかったわ……」
「まぁわかっていて勧めたんですが。初心者には勧められない重い銘柄ですし」

 けろりと言い放つ姿に、苦笑いが漏れる。

「……だと思った」

 溜まった灰を沖矢さんの手にある携帯灰皿の中に落として、また一口吸った。
 先ほどよりもゆっくり吸って、吐いてみる。煙の行き来には慣れないけれど、なんとなくコツはわかった。

「……おや、筋がいい」
「まったくおいしくないけどね。どの辺まで吸えばいいの」
「半分ほどでしょうか。フィルターが混じると余計に不味くなりますから」

 これ以上にまずくなるとか。慣れなんだろうけれど、慣れるまで吸おうと思えない代物だ。

「それで? 何か話があるんでしょう」

 煙草を吸わされて終わるところだった。沖矢さんを追ってきた理由を思い出して、切り出してみる。
 沖矢さんは紫煙を溜め息のように吐き出して、言いにくそうに口を開いた。

「……えぇ、"言い方が悪い"と、灰原さんに怒られまして」
「何の話?」

 煙草の先から立ち昇る煙を眺めながら、答えを待つ。

「その愛想の良さが原因ではないか、と言ったことです」
「あぁ、あれね」
「千歳さんが悪いとは思っていませんよ。原因がそうだとしても、あなたの非ではない。それは僕も重々わかっているつもりです。すみませんでした」
「別に気にしてないわよ」

 事実、溜め息一つで抑えられた程度の苛立ちだった。

「えぇ、あの瞬間こそ苛立ってはいたようですが、あなたは声を荒らげなかった。子供たちがいたからですか?」
「……そんな気遣いをする余裕が、あのときのわたしにあったと思う?」
「どちらとも言えませんね。だから、今ここでも試しました。吸わせている煙草が初心者向けでないと明かしても、あなたは怒らなかった。少しは怒っていい場面をつくれたと思っていたんですがね」
「なぁに、女に怒られたい願望でもあったの?」
「茶化すのはやめてもらいたい」

 強くなった語気に、肩が跳ねる。なんだかちょっと怒らせてしまった気がする。
 そういえば、最後は忠告をのらりくらりとかわして電話を終えてしまったのだっけ。最後どころか彼のすべての説教と忠告を、そうやってかわしてしまった。
 このスタンスを変える気はない。彼の手にある灰皿に煙草を押しつけて、さてどうやってかわそうかと思考を巡らせた。

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