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 宇都宮さんのマンションは入り口が東側にある建物で、東西に渡る廊下を挟んで、四室ずつある設計だ。北側に偶数の部屋、南側に奇数の部屋。東側から部屋番号は大きくなっていく。そんな構造の、十階建ての建物だ。
 宇都宮さんがたまたま空いていたからと貸してくれているその部屋は、北側だし陽も入らないしと、あまり条件が良くないので避けられがちな5号室だ。向かいの406号室については、確かに大学生くらいの男性が住んでいるけれど、玄関口で会えば会釈する程度の認識しかない。

「……どうやってわかったの?」
「インターネットに繋がっていれば、大概の端末には侵入できます。千歳さんの部屋にあるルーターから入って、微弱ながら繋がっている隠しカメラを特定しました。そこから映像を送っている先が、向かいの部屋のパソコンだったというわけです」
「……そう」

 彼については、あまり印象というものはない。
 会えばわかるけれど、顔をはっきりと思い浮かべられるほど記憶しているわけではない。

「面識はあるけど関わりはないの?」
「えぇ、出かけるタイミングが同じなら会釈ぐらいはするし、エレベーターで居合わせることもあるけれど……」
「そっか。部屋の前でクライアントが騒いだりとかは?」
「そもそも家に呼ぶことの方が稀だし、騒ぐような人もいないわ。……むしろ、彼の友人が酔って騒ぐことの方が多いわね。防音もしっかりしてるし、そんなに気になったことはないけど」
「ご近所トラブルってわけでもなさそうだね。となると……」

 コナンくんは言いにくそうにちらちらとこちらを見た。

「……盗撮する理由は、メールに書かれていた通りだって言いたいのね」
「うん……」

 ――どうしてこんなことをするのかって あいしてるからだよ

 ひらがなで綴られた気味の悪い言葉を思い起こして、息を呑む。

「犯人がわからなければ、衰弱した千歳さんを心配する人間として近づくこともできます。そこまでしなくても、千歳さんが誰にも頼れなければ、誰のものになることもありません」

 ありがちな話だ。自分のものにならないのなら、他の誰のものにもならないように。その手段に殺害を選ばれなかっただけ運がいいと言うべきなのだろうか。
 けれど、彼にそんな歪んだ愛情を向けられるような何かがあるわけでもない。

「どうせ悪戯よ。異常に執着されるほど深い関わりを持った覚えはないもの」
「本当にそうでしょうか」

 いやに突っかかるような物言いに、つい怪訝に思っていることを表に出してしまう。

「……何が言いたいの?」
「千歳さんは誰にでも愛想よく笑いかけるきらいがあるようですし、会う度にそうやって振る舞われれば、"好意を持たれている"と勘違いしてしまうのも無理はないと思いますよ。彼の所属する大学は女子学生の割合が非常に低い。加えてこんな犯罪を実行に移せるほど"勉学"に熱中しているのなら、それこそ愛想の良さと好意の区別をつけるのも苦手なのでは?」

 単なる世渡りの手段がこんな状況を引き起こすなど、誰が予想できるだろうか。
 沖矢さんの言葉に責められているように感じてしまい、ささくれ立った心が苛立ちを発散したがる。
 何の心配もなく生きている風に見せなくてもいい状況なら、どんなに良かったか。
 感情任せに声を荒げたくなる気持ちを、溜め息とともに吐き出した。

「……理由はどうでもいいわ。どうやって解決するつもりなの?」
「どうでもいいって……知りたくないの?」
「わたしが彼に何かひどいことをしていて、その恨みのせいだっていうなら省みるけれどね。沖矢さんが言うとおりの勘違いが理由なら、それこそわたしにとってはどうでもいい話だわ」

 盗撮と盗聴、そして脅迫をされた。
 それが誰から見てもわたしに非があると言える理由でだというなら、気にするべきだとは思う。
 けれども本当に、近所付き合いとも言えないような会釈だけの関係の中から、そんなものが生まれているとは到底思えないのだ。 

「わたしが望むのは、写真をばら撒かれないように盗撮も盗聴もやめさせることだけ。それ以外のことは知る気もないし、知ってもどうにもできないわ」

 もう考えるのも疲れてしまった。はじめこそ、どうにかしなければとか、どうしてこんなことにとか、懸命に考えていたけれど。
 食事も睡眠も満足に取れなくなって、考えることが億劫になった。
 あの窮屈な部屋から連れ出してもらって、少しの間だけでも深く眠れて、おいしいものも食べられて、気分は確かに上向いた。だからといってすぐにこんな事態に陥った経緯にまで思考を巡らせられるほど、回復したわけでもない。

「疲れきって何も考えたくないだけよ。もう休ませてあげたら」

 片づけを終えた哀ちゃんが、エプロンをダイニングチェアの背凭れにかけながら呆れたように言った。
 願ったり叶ったりの助け舟に、ほっと息を吐く。

「……そうですね、もう休んだ方がいい。これからどうするかは明日話しましょう」
「お風呂も入れてあるわ。ゆっくり温まってきて」
「……ごめんなさい。そうさせてもらうわ」

 コナンくんの頭を撫でて、ソファから立ち上がった。
 言いたいことはわかる。理由を知って、可能なら後腐れのないように処理すべきなのだと。けれどここまで苦しめられて、許せる気がしないのも事実。
 借りている部屋に戻って着替えを持ち、哀ちゃんに脱衣所まで案内してもらった。タオルの場所なども教えてもらって、哀ちゃんが出ていくと一人になる。
 本当に誰かに相談したことがバレていないか、心配になってざわつく心を深呼吸で無理矢理落ち着かせた。

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