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 きっと赤井さんは呆れている。
 夜も眠れないほど、日常生活に支障をきたすほど異常な状況に置かれておきながら、なぜ誰にも相談しなかったのか、と。
 確かに手はいくらでもあったかもしれない。けれど、犯人がもしもエドたちや白河さん、藤波さんに外国語で相談したことを理解できてしまう人間だったら。それに近いことができる技術を持っているとしたら。
 駅前で写真をばら撒かれることが怖くて、隠しカメラやアドレスの偽造のことを思えば相手が何でもできてしまうのではないかといやな想像ばかりして、結局は誰にも相談ができなかった。

「コナンくんたちは……どうして気がついたの?」
「昴さんと一緒にいるときに、千歳さんを見かけて……栄養補給用のゼリーを買い込んでるのと、時々ふらついているのと……元気もなさそうだったから、おかしいなって思ったんだ。灰原も心配だって言うから、宇都宮さんの会社に行って千歳さんの住所を教えてもらって、それで行ってみたんだよ。部屋の入り口で監視されてることは教えてくれたし、それなら連れ出して話を聞いた方が早いかなって思って」

 なるほど、出かけたときに見られていたのか。
 車の運転も危ないと判断してやめていたから、見つかるのも当然の話だった。

「そう……。ごめんなさい、今日だけ泊めてくれる? 流石に眠くて……仕事でもないのに安易にホテルにも行けなかったから。哀ちゃんがいるなら安心できるわ」
「今日だけ?」

 沖矢さんの声が低くなる。
 怪しまれているのは知っているけれど、そんなに哀ちゃんのそばにいることに過敏にならなくても。警察とやりとりをしていることも知っているはずなのに。

「迷惑はかけられないし、明日からは近くのホテルに泊まるわ。幸いあなたたちの機転のおかげで、数日は家に帰らなくても良くなったし……」
「千歳さん、今日だけだなんて言わないで、しばらくここにいなよ! 新一兄ちゃんのお父さんにはボクから言っておくからさ! 灰原もこっちに泊まってくれるだろ?」
「えぇ、千歳さんがそうしてほしいって言うならね」
「でも……」

 沖矢さんをちらりと見遣る。
 今日泊まることにも難色を示しているのに、しばらくだなんて無理だ。

「千歳さん、そうしてください。幸いこの邸には鍵のかかる客室もありますから、それなら安心して眠れるでしょう」

 なぜか沖矢さんはコナンくんたちに同調した。
 わけもわからず、口を噤むしかない。確かに、現役のFBI捜査官に守られたこの家なら、安心できる。監視される恐怖から逃れて眠れそうなのも、とても魅力的に思えるのだけれども。赤井さんの真意がわからない。

「決まりですね。しばらくまともに食事をしていないのなら、おじやでも作りましょうか」

 強引に話をまとめられてしまった。
 しかも食事まで面倒を見てくれる気でいるらしい。

「そうね。私が作るから、材料を買ってきてちょうだい」
「おや、僕では駄目ですか」
「あなたしょっちゅう生煮えの料理を持ってくるじゃない! そんな人の料理、胃の弱っている千歳さんに食べさせられるわけないでしょ」

 どうやらまだ哀ちゃんは沖矢さんに心を開いていないようだ。わたしの服の袖を握りながら、毛を逆立てた猫のように噛みついている。
 コナンくんは苦笑いでそれを眺めていた。

「……コナンくん」
「なぁに? 千歳さん」
「本当に、助けてくれるの?」
「もちろん! 千歳さんは何も心配しないで待ってて。大丈夫だよ、千歳さんは知ってるでしょ? ボクも灰原もホントは飛び級狙えるぐらいだって。昴さんも頼りになるし、絶対に守ってくれるよ」
「おせっかいなのよ、彼。私はあの時控え室まで送り届けてくれた恩返し。この人は……子どもに優しいのよ」

 沖矢さんにまでなんだか雑な理由をつけて、助けてくれようとしているのか。
 監視の目で雁字搦めにされていた状況から抜け出すことができて、あまつさえ助けてもらえそうだなんて。
 あの時は仕方なしに哀ちゃんを助けただけだというのに、コナンくんも哀ちゃんも義理固い。

「……ありがとう」
「それは解決してから聞きたいな。とりあえず、部屋に案内するから少し寝てきなよ」
「あのスマホは……」
「適当に出して近くで会話しておくから。ほら、千歳さんは何も気にしないで寝てきて!」

 コナンくんにぐいぐいと手を引っ張られて、客室に案内された。
 部屋の片隅にキャリーバッグが置かれていて、それに気を取られているうちにコナンくんはカーテンを閉めてくれた。

「眠れないかもしれないけど、少しでもリラックスしてね。ボクが出たら鍵も閉めていいから」

 そう言い残して、コナンくんは部屋を出て行った。
 お言葉に甘えて鍵をかけさせてもらう。バッグを備えつけられたテーブルの上に置いて、薄暗い部屋の中でベッドに仰向けに寝転がった。
 ベッドはふかふかで、深く息を吐くと体の力が抜けた。

「……相談できる相手、かぁ」

 家族。こちらの世界では、エドとヘレナ、そして宇都宮さんたちが近いだろうか。
 恋人。元の世界でもつくらなかったし、こちらに来てからはそういうこととは無縁の生活だ。一人で生きていくのがやっと。いずれ帰るつもりなら、別れなければならないなら、都合よくそんな存在をつくる気にもなれなかった。
 友人。風見はもちろん当てはまる。いつか訪れる別れを理解していながら、気楽に接することのできる相手になってくれようとした優しさに、いつも感謝している。白河さんにも嘘のつき方を教えてもらって、異性である風見に相談しにくいことも相談させてもらっている。いま忙しそうでさえなければ、きっと今回のことも相談できていたと思えるぐらいには、信頼している。面倒を見てもらうことの方が多いけれど、砕けた態度で接してもらっていると思っていい。藤波さんも、電話で話すことの方が多いけれど、時間があれば雑談をする程度には、親しくなったと思っている。
 沖矢さんに挙げられたどれにも当て嵌まらないのが、降谷さんだ。
 エドたち以上にわたしのことを知っていて、わたしが一番信頼していて。けれど連絡を取るのに気後れしてしまう、そんな距離の人。
 解決したら、ちゃんと報告しよう。迷惑をかけていないことを伝えれば、きっと安心してくれる。迷惑がかからないように。それだけがわたしにできることだ。
 眠るときに見られている感覚がないのは久しぶりで、瞼が重くなる。
 ここは安全、眠っても大丈夫。それだけを考えて目を閉じると、ここ数日間頭を重たくしていた睡魔が押し寄せてきた。

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