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コナンくんが背負っていたリュックサックに、"中はまだ見ないでほしい"と強くお願いしてから、棚にしまっていた写真の束を入れさせてもらった。
それから仕事部屋を出て施錠し、哀ちゃんを入り口に残してリビングに向かう。
「千歳さん、急に泊まり込みの仕事なんてお願いしてごめんね! 昴さんも提出する論文を少しでも進めたいからって来てくれないし」
「気にしないで。院生も大変ね、海外の本まで読まなくちゃいけないなんて」
コナンくんの遠い親戚である工藤さんの家に居候している大学院生の沖矢昴さんが、論文作成のために参考にする海外の文献を読める人間を探していて。コナンくんはその手助けをしている、という設定だ。
ちょうど翻訳家のわたしが知り合いにいたから来た、そんな調子で話を合わせればいいと指示してくれた。
時間もないので泊まり込んでつきっきりでという話にすれば、外泊も筋が通ったものになる。
数日分の衣類と旅行用品をキャリーバッグに詰め込んで、久しぶりにドラッグストアでの買い物以外で外に出た。
連れ立ってマンションの前に行くと、赤い軽乗用車が停まっていて。そのそばに、外見からして沖矢さんと思しき男性が立っていた。
「昴さん! どうしたの?」
「息抜きに迎えに来ました」
しゃあしゃあと言ってのけるのを見て、なんだか脱力してしまう。
沖矢さんはわたしを見るなり眉を寄せて、"話は車の中で"と言って、キャリーバッグをトランクに載せた。
コナンくんは助手席に、哀ちゃんとわたしは後部座席に座り、シートベルトを締めると車が走り出す。
「はじめまして、穂純千歳さん。沖矢昴といいます」
「……よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
哀ちゃんが名前を呼んできて、そちらを見ると人差し指で自分の耳を指していた。
貴重品とポーチを入れたバッグから、送りつけられたスマホを出す。可能性があるとすれば、これだけれど。
「すぐに着きますので、話はそれからでもいいでしょうか」
「えぇ」
工藤邸に着いて車を停めると、沖矢さんはキャリーバッグを下ろして家の中に運んでくれた。
リビングに通されて、品のある家具で統一された室内を見回す。
パソコンを持ってきた沖矢さんに促されてスマホを渡すと、沖矢さんはそれを繋いでなにかし始めた。
設定に合わせて世間話をするのに答えながら、向かいのソファに座ってその作業が終わるのを待つ。
コナンくんはタオルをたくさん持ってきて、箱に詰め始めた。作業が終わってコードを外したスマホを箱の半ばまで積んだタオルの上に置いて、またタオルを重ねて。盗聴機能を壊さず、かつ聞かれないように。そういう処置をしているのだとわかった。
コナンくんはその箱を持ってどこかへ行き、すぐに手ぶらで戻ってきた。
「どうだったの?」
わたしの隣に座る哀ちゃんの問いに、沖矢さんが答える。
「やはりスマートフォンのマイクから音を拾うアプリが入っていました。応急処置のようなものですが、ひとまずはこれでいいでしょう。コナン君、部屋に行ってみた感想は?」
「リビングに隠しカメラが二つ。でもあれだけじゃないと思うよ。千歳さん、ボクのリュックの中のもの、見てもいい?」
横に置いてもらったリュックサックを見て、息を呑む。
見せられるわけがない。コナンくんの中身は思春期真っ只中の少年だし、沖矢さんだってこちらは初対面の大学院生としか認識していないことになっているのだ。警察官だと認識している相手に見せるのならまだしも、初対面の異性にあの写真を見られて平気でいられるほど強くはない。
「……だめ」
「え?」
「お願いだから、見るのは哀ちゃんだけにして……」
「……そういうことね。二人とも部屋から出ていてくれる?」
事情を理解してくれたらしい哀ちゃんはしっしっと手で二人を追い払う仕草をした。
「わかりました」
沖矢さんはコナンくんを促して、リビングの外に出てくれた。
ほっと息をついて、哀ちゃんにリュックサックを渡す。
「見るわね」
「えぇ……」
哀ちゃんはリュックサックを開けて、中身を取り出した。
カメラのアングルと送られた日付ごとに分けて輪ゴムで留めてあるから、束は結構な数だ。
その一部を見て、哀ちゃんはさっと青褪めた。
「なによ、これ……! 千歳さん、あなたこんな中で生活していたっていうの!? どれくらいの期間?」
「……二週間、くらい」
「そんなに……!」
わたしより辛そうな声を上げてくれる哀ちゃん。
我が身に起きたことなのに、どこか遠くのことのように思ってしまっていた。そういう風に思わないと、気がおかしくなってしまいそうだった。
隠し持ってきたものが何なのか、当然外の二人も気にしているだろう。見せなくても、話す必要はある。
哀ちゃんが写真をしまって二人を呼びに行くのを横目に、普段は飲まないブラックコーヒーの苦みで眠気を軽減しようと試みた。
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