73

 スターリング捜査官との話の後、杯戸市まで行って買い物をした。
 新作の服に目移りばかりしてなかなか捗らなかったけれど、これはこれで楽しかったのでよしとしよう。
 ショッピングモールの上の階にあるレストラン街で昼食を取って、スーパーで食材や日用品の買い物をしてからマンションに帰ってきた。
 荷物はそんなに多くないし、往復する必要もないだろう。服は大きなショップの袋にまとめて、買い物も大きいエコバッグだから、数としてはそんなにない。
 ポストも一応チェックしておこうとエントランスに向かうと、管理人さんが何かしていた。

「こんにちは」
「! あぁ、穂純さん、こんにちは」

 妙に驚かれた。白髪交じりの髪を掻きながら愛想笑いを浮かべている。
 不規則に出かけているのはいつもと変わらないのに。首を傾げつつ、ポストを開ける。ダイレクトメールだろうなぁと思いながらすべて手に取って、ショップの袋にまとめて突っ込んだ。

「何か探しものですか?」
「え? いやぁ、なんでもないよ。ダイレクトメールを捨てる箱でも置こうかと思って、ちょっとエントランスを眺めて考えていただけなんだ。ポスティング禁止の貼り紙、ちっとも効果ないから」
「それはあると助かります。ぜひ前向きにご検討をお願いしますね」
「あぁ」

 管理人さんに頭を下げ、カードキーでエントランスを抜けて、エレベーターを作動させた。
 箱はあれば確かにありがたい。といっても、すぐに捨てられるのはカラフルなすぐにチラシとわかるものぐらいだろうけれど。郵送で書類を受け取ることもあるので、迂闊に捨てられない。
 食材をしまって、服のタグを切って着られる状態にしたら、あとは翻訳作業に打ち込もう。
 自分の部屋のある階に着いて、管理人さんの様子が少しおかしかったことは思考の外に追いやられた。


********************


 宇都宮さんが暇だと連絡を寄越したある日、会社に行ってメールサーバーのセキュリティについて相談させてもらった。
 見てもらうと確かにハッキングの痕跡があったそうで、おそらくは赤井さんとかだなぁと思いながら、なんとなく気になっただけで心当たりはないと伝えておく。
 とはいえ、セキュリティに脆弱性があるのは問題だと、宇都宮さんは気合十分に内線をかけていた。

「手強いハッカーもいるなぁ……。また気になることがあったら言ってね。僕も開発室に行って対策を考えるよ」
「えぇ、お願いね」

 宇都宮さんの秘書に送られて、会社を出た。
 赤井さんは東都大学の院生、それも工学部の人間に扮することができるほどの人らしいから、鼬ごっこになる気がしないでもない。あの人は截拳道に銃にハッキングにと、得意な分野が多すぎやしないだろうか。
 今回は仕方がないと割り切っているのでいいけれど、セキュリティを強固なものにしておくのは必要なことだから、相談できて良かったと思う。
 帰ってきてポストをチェックすると、いつものダイレクトメールの他に、ずっしりとしたA4サイズの書類が入る茶封筒が入っていた。
 藤波さんからの依頼だろうか。何だろうと思いながら、部屋に戻った。
 カードキーで自室に入り、リビングのソファにバッグを、テーブルの上にダイレクトメールの束と茶封筒を置いた。
 ひとまずバッグを寝室にしまって、スマホだけ取り出してテーブルに置く。それからダイレクトメールを一通一通確認して、電気料金がちょっと高くなったなぁと思いながら料金のお知らせだけ分けて、他に大事な書類がないか確かめた後、ごみ箱に放り込んだ。
 さて、残るは茶封筒だ。テーブルに底をとんとんと当てて、中身を下に動かした後、上をハサミで細く切った。
 ハガキサイズのものがたくさん入っているようだけれど、なんだろうか。
 中に手を入れて、数枚を取り出した。
 それは写真だった。撮られた覚えのない、自宅の、寝室やリビングでの、わたしの生活の一部を切り取ったような。

「な、に……これ」

 ヴー、と、封筒の中で何かが振動した。
 一秒だけのバイブ音は、おそらくメールを知らせるもの。
 おそるおそる封筒に手を入れて、硬いものを取り出した。古い型のスマートフォンだ。メールさえできればいいかのような、シンプルなデザイン。
 電源ボタンを押すと画面がついて、案の定メール受信を知らせていた。それをタップすると、メール画面が開く。

『だれかにばらしたら べいかえきまえでばらまくよ』

 その文面の意味を理解して、すぐさまスマホをソファに放って封筒の中身をまた数枚取り出した。
 キッチンで料理をする写真や、食事をする写真なら、まだ良かった。寝室では当然着替えているし、脱衣所では――……。
 想像した通りの写真が入っていて、体が震えた。
 こんなものを、ばら撒かれたら。
 そうだ、書斎は? 独立したカードキーと暗証番号方式の機械に不自然なところがないか、念入りに確認した。すると、またメールが一通。

『とくべつなかぎはあけられない しかたがないね しごとだからおこらないよ』

 今の行動を見られている。
 恋人気取りのような文面に、気味の悪さが増す。
 メールの送り主は、アドレスを偽装しているらしい。アルファベットと数字記号の羅列が、ランダムで並べられているようだった。二通とも、異なるアドレスだ。
 書斎のドアの前に座り込んで、じわりと滲む涙を拭う。

『ひっこしはだめ かくしたらだめ こわしたらだめ』

 引っ越しはするな、これまで通りに生活しろ。隠しカメラも、壊してはいけない。
 こんな、監視をされている中で普段通りに生活することなんて、できるはずがないのに。
 入浴の前後にバスタオルで体を隠すという手段も、書斎で着替えるという手段も、封じられてしまった。
 何が狙いで、こんなことを。――また、メールが来た。

『どうしてこんなことをするのかって あいしてるからだよ』

 あんまりにも異常な"愛"の文面に、堪えきれなくなって溢れた涙がぱたぱたと落ちた。

[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -