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 スマホを持ったまま降谷さんのそばを離れて、向かいのソファに戻る。
 グラスの横にスマホを置いて、降谷さんと目を合わせた。

「これで満足してもらえた?」

 赤井さんとの長電話ですっかり薄まってしまったカルーア・ベリーで喉を潤して問えば、降谷さんは口元を手で隠し、堪えるように笑った。

「ふ、はは……っ、これはまた可愛げのない」
「トドメよね。"とんでもない女に関わっちまった"って思ってくれたんじゃないかしら」

 あの赤井さんが渋い顔をしているのを想像するのが余程愉しいのか、降谷さんは機嫌よく目を細めた。
 ガトーショコラを勧められて、素直に手をつける。

「最高だよ、よくできました。しかし……予備持ってたのか」
「いつでも切れるようにしておきたい人用に、古い型のやっすいやつ。しかも一番安いプランだけどね。いる?」
「いや、特に使う用事もない」

 知ったところでどうするか、という話である。
 直接会わない限り……もしくは、赤井さんが"死ぬ"までは、降谷さんも無理をして二兎を追うことはしないだろう、たぶん。

「でしょうね。一週間ぐらいしたら解約してくる」

 それと同時にまた似たような役割のスマホを用意しなければなるまい。
 マカロンも一個もらって齧っていると、降谷さんが訝しげな顔をした。

「……明日解約するというのも嘘だったのか?」
「え? うん。携帯ショップの近くで一日待ち伏せする赤井さんは見たかったけど、明日は絶対にショップには近づかない」

 絶対に捕まりたくないので見に行くことだってしないけれども。
 自宅に来たところで通報されるだけだということも、赤井さんはわかっているはず。
 わたしなんかに気を取られて、無駄足も踏みたくないだろう。極秘で捜査をしている今は特に。

「それは見たいな。いやそうじゃない、嘘が上手くなったな」

 降谷さんは感心したように嘘の上達を褒めてくれた。
 どうでもいいところでついた嘘だったけれど、隣にいた降谷さんにも気づかれなかった。これはちょっとした進歩だ。

「本当? よかった。白河さんと会う度ひとつだけ嘘をつくって約束して、ずっとやってたの」

 はじめは嘘をついた瞬間にばれていたけれど、次第に一緒に行動した後、別れるときに答え合わせをすることが多くなってきた。
 嘘をつくときの癖を見抜いて教えてもらい、それを意識して直したからだろう。
 本当のことのように聞こえる嘘と、嘘のように聞こえる本当を織り交ぜることができるようになったのも、白河さんが嘘を暴くのに時間がかかるようになった理由のひとつだ。

「そうか」
「でも、降谷さんたちに嘘はつかないから安心して」
「あぁ。今はそれを信じさせるためのものでもあるんだろう? 預けてくれたものは」
「無条件に他人を信じられる人たちじゃないでしょう?」
「……そうだな」

 本物の身分証は、帰れることになったら絶対に必要なものだ。
 これだけ時間が経った今、帰ったところでどうなるのかもわからないけれど。

「何か、進展はあった?」
「悪い、さっぱり見当がついていないんだ」
「……そう」

 時間が経ちすぎて、もう無理なのではないかとすら思えてくる。
 いざ帰ってみて浦島太郎のような状態だったら、きっと耐えられない。

「必ず穂純さんを帰す。今は上司のところで、君がどんな言語も解せるという情報は止めているが……もしもどこかからそれが広まれば、どんな争いに巻き込まれるかわからない。後継者暗殺の件と、今回の件。どちらもその力が発端だ。どれだけ危険か、わかっているだろう」
「……わかってる」

 現代では情報がものを言う。
 暗殺計画を知っていると悟られれば、きっと口封じに殺された。会話を理解していると気がついたのが赤井さんでなく、あの二人組だったとしても同じ結末が見える。
 もしも、このことを悪意ある誰かに知られたら。利用しようとする人間が現れるかもしれない。
 警備企画課の人たちとだって、ある意味では身分証を握らせて、偽った身分のことを隠してもらって、情報を差し出しているような状態だ。別段それを"利用されている"とは感じないし、それ以上に報酬ももらえているから気にしてはいないけれど。その水面下でどんな思惑が渦巻いていようと、わたしには気づくことができない。

「赤井が接触してくるなら、必ず僕……でなくてもいいから、連絡してくれ」
「うん」
「……身の回りに変わったことがあっても、連絡してくれ。些細なことでもいい、心配なことは潰しておきたい」
「うん、何かあったら連絡するね」

 最後に新しい仕事の依頼が入ったUSBメモリを受け取って、先に部屋を出た。降谷さんは時間つぶしも兼ねてバーボンとマカロンを楽しんでから帰るらしい。
 馴染みのバーテンダーには支払いは安室さんがするということを伝えて、バーから出る。
 周囲をぐるりと見渡したけれど、赤井さんの姿は見えなかった。これ以上直接探られることはなさそうだと安心して、帰路についた。

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