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 赤井さんからの依頼を終えてから三日が経ち、予備のスマホには一定時間おきに着信が入っていた。どうやら調べ終えたらしい。
 バイブ音ですらうるさいので、サイレントに切り替えてある。
 また、バイブ音。こっちはプライベート用か。
 いつでも応じるつもりで教えている番号だから、クラウセヴィッツ夫妻と宇都宮一家、そして安室さんと黒川さん、風見の番号だけが登録されている。プライベートの友人が少なすぎる気がするけれど、これはまぁ仕方のないことだ。
 テーブルの上に放置していたスマホを手に取って表示された番号を確認する。登録はしないでほしいと言われている、白河さんのものだ。
 何かあったかなと思いながら通話ボタンをタップして耳に当てた。

「はい、穂純です」
『今日の夜七時に、いつものバーでいつもの注文をしてくれ。――いいな?』

 聞こえてきたのは降谷さんの声だった。
 威圧感のある低い音に、思わずソファの上で正座をしてしまう。

「……はぁい」

 何か言い訳が思い浮かぶわけもなく、か細い声で返事をして通話を終えた。


********************


 昼間は何を言われるやらと悩みながら過ごしたけれど、時間は等しく流れるものである。
 待ち合わせの時間ぴったりにバーに着いて、馴染みのバーテンダーに声をかけた。

「カルーア・ベリーとガトーショコラを、部屋にいる安室さんにお願いできるかしら」
「はい、ご案内いたしますので少々お待ちください」

 絶対に喉を通らないであろうカクテルとケーキを注文して、トレイに並べられるのを待つ。
 すっかり待ち合わせに慣れたバーテンダーは、手際よく準備をしてしまった。
 覚悟はしてきたとはいえ、やはり怖いものは怖い。
 あの夜も安室さんとしての穏やかな彼にしか会っていないから、降谷さんとして対面したときに何を言われるやら、と不安だ。
 別に悪いようにされるのではないと、わかってはいるけれど。
 赤井さんが絡むと周りが見えなくなる彼が、どんな対応を取ってくるのか未知数なのだ。できれば詰られたくはない。
 二階に上がり、バーテンダーがある部屋のドアをノックすると、すぐに降谷さんが出てきた。トレイを受け取り、中に入るように促してくれる。
 バーテンダーには会釈をして、部屋の中に入った。

「こんばんは、穂純さん」
「こんばんは。……怒ってる?」
「多少は」

 ですよね。
 鍵をかけて、勧められるままに奥側のソファに腰を下ろす。
 コースターの上にカルーア・ベリーの入ったグラスを置かれた。

「穂純さんの中で僕はどういう人間なんだ」

 どうやら降谷さんとして相対してくれるらしい。
 今日はグレースーツではなく、どちらかといえばバーボンのイメージの服装だ。それで降谷さんの口調で話されると、違和感がある。

「FBI……というか、赤井さんが絡むとそれに気を取られちゃう」
「……否定はしない」

 苦々しげに言う降谷さん。それでわたしが降谷さんでなく白河さんに連絡を取ったことは理解しているのだろう。
 改めて経緯を説明してくれと言われて、バーで赤井さんをうっかり助けたこと、麻薬取引の打ち合わせを聞いて席を立とうとしたら話を理解できていると悟られてしまったこと、自宅で翻訳をしたことを説明した。あとは白河さんから報告がされているはずだし、わたしも詳しくない部分がある。
 一通りわたししか細かく把握できていない内容を聞き終えた降谷さんは、溜め息をついて米神を揉んだ。

「迂闊すぎる……ゆっくり飲んできて良かったんだぞ」
「白河さんと同じこと言ってる」
「これしか感想がないんだよ。それと、赤井を部屋に連れ込んだのもだ。風見のときもそうだったが、警戒するなら徹底した方がいい。穂純さんの信頼は何も知らない相手からしたら、"誘われている"ようにしか思えないものなんだ。万が一のことだってある」

 どうやら赤井さんが絡む件なのに連絡をしなかったことではなく、不用意に赤井さんと接触して、あまつさえ家に入れてしまったことに怒っているようだ。
 こちらをまっすぐ見る目からは心配の色が窺える。――心配、してくれるのか。

「……ごめんなさい」

 心配してもらえたことがうれしくて、同時にとても申し訳なくて、謝罪の言葉は素直に口から零れた。
 降谷さんは徐にテーブルに手を伸ばして、先にバーボンウイスキーと一緒に置いてあったバニラマカロンのひとつを摘むと、わたしの口に押しつけてきた。
 口につけてしまったものは仕方がないと、手を添えて齧る。
 降谷さんの顔を見ると、穏やかに細められる目と視線が合った。

「反省してるならいいさ。学習はしていないようだが」

 バニラ特有の上品な甘さとほんのり感じる苦味が、口の中に広がる。
 おいしいなと思いながら、彼の言葉の意味を考える。……迂闊にもらったものを食べるなと。

「……降谷さんは薬なんて盛らないでしょ」
「そうだな、僕は盛らない」

 降谷さんはわたしの手からマカロンを奪うと、それをひょいと口の中に放り込んだ。
 "僕は"。必要があれば、別の人間として薬を盛るかもしれない、と。

「……騙してくれたらそれでいいけど」

 騙される方が悪いのだと、割り切ってくれればいい。
 死にたくはないけれど、たぶん降谷さんになら、何かされても恨んだりはしない気がする。

「すぐ騙されてくれそうだな」
「かもね」

 お互いに目を細めて視線をかわし、ふっと笑い合う。
 いま話しても仕方のないことだ。この話はここで終わり。
 降谷さんはバーボンを呷った。

「赤井との繋がりは切れそうか?」
「そろそろ最後の電話に出てあげようかなって思ってたところ」

 カルーア・ベリーを喉に流し込んで、ハンドバッグからスマホを取り出した。

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