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 ゆったりとした歩調で近づいてきた足音は、コンテナの手前でぴたりと止まった。

「誰かいますね。出てきてもらえますか? 手荒なことはしたくないので」

 聞き慣れた声が呼びかけてくる。出ていくなら今だろう。彼を一介の探偵だと信じるフリをするのなら。
 思い切って、コンテナから顔だけ覗かせる。そこに立っているのが彼だと確認できた。

「安室さん……!」

 今はバーボンなのか、黒を基調とした品の良い服装だ。
 気がつかないフリをして、もう少しだけ顔を出す。安室さんの後ろに誰かがいても、見えない限界。

「穂純さん? こんなところで何してるんです。夜の港に一人でいるなんて、自殺行為も甚だしい。何かありましたか?」

 驚いた様子を見せながら近づいてくる安室さんの右手を掴んで、コンテナの陰に引っ張る。右手は背中に隠して、赤井さんに手のひらを見せる。どのみち、射線上にわたしがいるから、赤井さんは撃てないだろう。
 組織にいた頃からスパイではないかと疑っていたという話だけれど、赤井さんはまだ確証を得ていない。僅かでもわたしに危害を加える素振りを見せれば、すぐに引鉄を引くだろう。
 引っ張られた安室さんは、特に抵抗もせず来てくれた。
 さて、何と言ったものか。赤井さんには聞こえないだろうからいいけれど、組織の人間に聞かれていたらまずい。

「……ちょっと、FBIに捜査協力してて」
「FBI? もしかして、ここで行われる麻薬取引ですか? 奇遇ですね、僕も同じような目的なんです」

 藤波さんが言っていたとおり、暗号は解けているらしい。
 これは、あとで根掘り葉掘り訊かれる気がする。

「安室さんは探偵だったわよね? 随分危険な仕事もするのね」
「割がいいんですよ、こういう仕事はね」
「そうかもしれないけれど、流れ弾に当たりたくないなら、今日のところはここから離れた方がいいわ。特に、トラックに近づいてはだめ」

 すっと細められる目。
 伝わっただろうか。トラックを奪ったところで、ここに来ているFBIはそれを壊すことを作戦に組み込んでいるから、組織の計画も失敗に終わると。

「……ありがとうございます。そういうことなら、僕もここに長居はしません。捜査協力をしているということは、護衛が近くにいるんですね?」

 安室さんはきょろりと周囲に視線を巡らせた。

「えぇ、だから心配しなくても大丈夫よ」
「それは良かった。……では、気をつけて」

 ひらりと手を振って応え、踵を返す安室さんの背中を見送る。
 どうやら電話に出ているらしく、遠ざかっていく声が耳に届いた。

「……えぇ、会えば何かしら気になる情報をくれるので、重宝しているんですよ。だから手出しは無用です。……それより、離脱しましょう。FBIが――」

 顔は見られていないだろうけれど、今しがたバーボンが見つけた人間が知り合いだということまでは感づかれているようだ。
 ひとまずわたしを情報源のひとつとして、いま使っているから手出しはするな、と伝えてくれていることもわかった。
 そして計画のことはなんとなく伝わったようで、早速離脱する段取りを始めている。

『及第点、うまく伝わったみたいだ。とりあえず彼のことは後にしよう、怖いけど。もうすぐトラックが来るよ』

 白河さんの言葉どおり、エンジンの音が聞こえてきた。
 港の入り口は北側で、トラックはすべての倉庫の前を通って最南端の七番倉庫に行くことになる。
 隣の六番倉庫の壁にくっついて、煌々と照らしてくるライトをかわす。トラックが一台と、普通車が二台。コンテナはあちらこちらに無造作に置いてあるし、人が隠れているものもある。注意深く探されない限り特に気にされることはないはずで、こんなにも多くの物陰を、三台の車に乗る程度の人数で虱潰しに調べるとも思えない。

『穂純ちゃん、所定の位置について』

 インカムから聞こえてくる指示に従い、元のコンテナの陰に戻った。赤井さんがいるであろう方角に右手を翳す。
 停められた三台の車から、人が降りてくる音が聞こえてきた。
 いくつかの話し声の中に、一昨日打ち合わせをしていた二人のものも混ざっている。相変わらず、ロシア語とギリシャ語を交えて会話をしているようだ。
 じっとして会話を聞いていると、トラックの中に積まれているのは覚せい剤で、依存性が強いため売りやすいという言葉が聞こえてきた。
 手を下ろして、そうっと一歩踏み出した。聞こえてくるのは普通の話し声だし、トラックのエンジンの音も止まない。足音は紛れると思うのに、緊張してしまう。

『大丈夫、ゆっくり。……ストップ、それ以上出ると気づかれる』

 倉庫から離れる直前で止められた。――その直後、タイヤが破裂する音が聞こえた。
 ざわつく倉庫の南側、次々と駆け出していくFBIの捜査官。

『穂純ちゃん、フードで顔隠して、走っておいで!』

 混乱の片隅で駆け出して、伸ばされた白河さんの手を握る。見つかりやしないかと、心臓がばくばくと騒ぐ。
 暗闇に紛れるように停められ、混乱に乗じてエンジンがかけられたらしいレガシィの後部座席のドアが開けられ、その中に押し込まれるようにして乗り込んだ。
 シートベルトを締めながら、白河さんが隣に座ってドアを閉めるのを待つ。

「出して!」
「はい!」

 風見が車を発進させると、喧騒はすぐに遠ざかった。
 国道に出るところまで来て、やっとライトをつける。

「……よし、追手は来てない。大丈夫? 穂純ちゃん」
「まだ心臓がばくばく言ってる……」
「うん、頑張った頑張った。見つかってないからさ、安心して」

 背中をさすられて、ようやく鼓動が落ち着きを取り戻す。
 ほっと息をつくと、白河さんが徐にポケットに手をやった。

「お疲れのところ悪いんだけど、次はこっちだ。うまくかわしてよ?」

 ポケットから出して手渡されたのは、着信を知らせる赤井さん専用となったスマホだった。

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