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「着きましたよ」
「……昼食の間の警護は要らないわ。二人も食事と休憩を取ってちょうだい」
赤井さんがいるのなら大丈夫だろう。
そう考えての提案に、風見はこくりと頷いた。
「ありがとうございます。では、食事が終わったら連絡をください」
「えぇ」
とりあえず、これで打ち合わせの時間は確保できた。
赤井さんはドアを開けて先に降り、左手を差し出してくる。
あくまでエスコートしてくれるらしい。素直にそれを受け取って、車を降りる。
目の前のお店の看板を見ると、店名に"トラットリア"と入っていた。
「イタリアン?」
「あぁ。同僚にここが美味いと聞いてな。味にはうるさい奴だから、信頼できるぞ」
「楽しみだわ」
「それは良かった」
店内は窓から射し込む陽の光とそれを反射する白い壁で、控えめな照明でも十分に明るい。
香ばしいにおいが鼻腔を擽って、食欲を刺激してきた。
正午を回る少し前なので、まだ客も疎らな中、席に案内される。
出されたおしぼりで手を拭いて、メニューを広げた。
「結構種類があるのね……。まだピザかパスタかも悩んでるのに」
「君は優柔不断なのか?」
「食事に関してはね。……うーん、きのこパスタのエスプーマソースがけ……これにするわ」
「決めると早いな。ドリンクとデザートは?」
ページをめくられて、勧められたのなら頼もうかと眺める。
少し悩むけれど、あまり胃に溜まるものを頼んでも食べきれない。
「アイスティーと……パンナコッタ」
「了解」
サービスの行き届いた店なのか、赤井さんが厨房の方に顔を向けると、すぐに店員がやってきた。
赤井さんは自分の分とわたしの分をすらすらと注文し、終わるとメニューを立てかけて、おしぼりと一緒に運ばれてきていた水を飲んだ。
「結構食べるのね」
彼はパスタとハーフサイズのピザを頼んでいた。半分とはいえ結構な量のはずだ。
「つい先ほど運動したんでな」
「……なるほど」
墓穴を掘った。いっそ飛び込んでしまいたいと思うほどだ。
なんとなく彼の思惑もわかるけれど、降谷さんほど信頼しようとも思えない。
「協力してあげたいのは山々なんだけれどね。本当に足手まといでしかないのよ」
目を伏せて、思い出すのは降谷さんの右手の傷。
掠めた程度で済まなかったら。角度が違えばどうなっていたか。
自分のせいで、後々に響きそうな怪我をしてほしくはない。
「……心に傷を抱えているのか」
目を開けた自分の視線とぶつかった、気遣わしげな視線に、首を横に振る。
「傷なんて言えるほど大したものじゃないわ。ただ……少し前に、わたしを庇って怪我をした人がいたから。彼女の……黒川さんの怪我も、それが仕事だからって言われるかもしれないけれど、本当は心苦しいのよ」
「だから危険の伴う場所には行きたくない……か。守られる側の人間の思考というのは、そういうものか」
「どうかしら。それが当然と考える人もいるかもしれないわ」
「だが君は違う。死にたくないならそういう場所には近づかないのが賢明だ。すまなかった、もう言わない」
"死にたくないなら"。見抜かれている。わたしに犯罪を見過ごせないという強い意思があるわけではないことを。
「そうね、死にたくないの、わたし。……軽蔑する?」
「しないさ。君の仕事は本来、死を覚悟してやるものじゃない。それでも少しでも力を貸してくれるなら、感謝すべきだと思っている」
「……そう」
正義のためだから、とか、大多数の人を守るために、とか。
そういう信念を抱いて命を懸けるのに、それを一般人であるわたしには強要しない。
至極当たり前で、けれど享受するには少し苦しくて。降谷さんたちがそんなスタンスでいたからこそ、わたしは可能な限り協力はしようと、そう決めた。
赤井さんも、きっとそれに当てはまる。
「……食べるか」
運ばれてきたサラダに視線を移して、赤井さんはぎこちなく告げた。
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