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それにしても、白河さんは何がしたいのだろうか。壊さなくても、布で何重にもくるんで置いておけば、しばらくは気づかれないらしいのに。白河さんはわたしの家のことに詳しいし、タオルなんて探せばすぐ出てくるはずだ。
わたしと繋がっていることを悟られないために、敢えて壊した?
目的がわからないと、こちらもどう対応したらいいのかわからない。ひとまずは、寝室に誰かがいたことに気づいていないことにしておけば、いいとは思うのだけれど。
合法な捜査とはいえ、他国で国民を巻き込んで何かあれば角が立つ。赤井さんがわざわざわたしを危険な目に遭わせることはないと踏んでいるのか。
駅ビルを抜けてからは、赤井さんの先導でお店に向かう。大通りの途中で路地に入り、日陰で薄暗い道を歩く。
はぁ、とひとつ深い溜め息が赤井さんの口から漏れたと思ったら、腕を掴まれて積み上げられたダンボールの陰に押し込まれ、屈まされた。驚いて上がりかかった声を、手で口を塞いで封じ込められる。
「君には危機感が足りんな。ここで少し待っていろ」
赤井さんは立ち上がって一度わたしのことを見下ろすと、ジャケットを脱いで膝にかかるように押しつけてきた。
わけもわからないまま受け取って、赤井さんが視界から消えるのを見送る。
バッグの中を見ると、プライベート用のスマホが着信を知らせるランプを灯していた。
通話ボタンをタップして耳に当てると、すぐさま風見の声が聞こえてきた。
『返事はしなくていい、そのまま聞いてくれ。白河さんはFBI側が穂純をどれだけ重要視しているのか確認するつもりだ。重要な立ち位置に置かれているのなら協力体制を、そうでなければ穂純の奪還を。お前たちが入ったのと反対側の道は俺が確認している、そこは安全だから合図があるまでそのままいてくれ。理解したら電話を切れ』
白河さんの目的はわかった、このままいればいいという指示も受け取った。
通話を終了し、バッグにスマホをしまう。中は見える状態だ。
スマホを見つめていても、電話の声に集中していて遠ざかっていた音が、耳に飛び込んでくる。
短い衝撃音、空気を含む破裂音のようなもの。地面を何度も打つ靴底の音。……戦ってる?
合図がなんなのか、よくわかっていない。来るとしたら、スマホにか、白河さんの口からだ。
自分の呼吸を意識しないように、スマホのランプがつく場所を見つめながら周囲の音に集中する。
≪静かに立って≫
戦う音に混じって聞こえてきた、白河さんのフランス語での鋭い囁き声に、口を閉ざしたまま従う。
赤井さんに渡されたジャケットは足元に置き、バッグのファスナーを閉めて中身が落ちないようにする。
そうしてゆっくり立ち上がって、細く息を吐く。
≪キーを受け取って。――走れ!≫
強い口調に弾かれるように一歩踏み出した。
ヒールが鳴って、明らかに気がつかれたとわかる。けれど、白河さんは"走れ"と言ったのだ。
「待て!」
「余所見とは余裕ね!」
「チッ……!」
赤井さんは気が逸れたことで白河さんに攻撃のチャンスを与えてしまったらしい。
立ち並ぶ建物の間にできた道の交差点に差し掛かると、右、とまた鋭い声が飛んできた。
曲がると、その先に風見がいて。横を駆け抜ける瞬間、バッグに何かを押し込まれた。
大きな通りに出て、バッグに入れられた車のキーを引っ張り出す。路肩に停められた無人の車に近づいてキーにつけられたドアロックの解除ボタンを押すと、ランプが二回光った。
ドアを開けて後部座席に乗り込み、すぐさま閉める。あとから追ってきた風見が助手席から乗り込み、運転席へと移った。
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