05

「フランツは、部屋に留まることを選択したよ。花火も、使用人に用意させている」
「近くに待機させた部下にも、作戦をメールで伝えました」

 顔に笑顔を貼りつけるのにもうんざりしてきた。
 本当は、小さな女の子の命が懸かっている状況で笑っていたくはないというのに。
 エドガーさんはトラウトとは別の人間と話しているから、なんとか切り抜けたのだろう。視線に気がついた彼に手招きで呼び寄せられ、二人に断ってからそちらへ向かう。

≪チトセ、楽しめているかい?≫
≪えぇ、でも通訳は必要なかったわね≫

 まったくもって楽しめる状況ではなかったけれど、言う必要もないので適当に頷いておくことにした。

≪なに、チップ代わりとでも思ってくれればいいさ≫
≪そうしておくわね。それより、裏庭で花火を上げるそうよ。見やすい部屋に行ってはどうかって。トラウトに絡まれた気晴らしに、見に行ってみたら?≫
≪おぉ、そうしよう≫

 エドガーさんとヘレナさんにその話をしたところで、宇都宮さんからも案内が入った。
 一階では窓越しに見られる人数に限りがあるから、二階の部屋もどうぞ、という案内をかけている。
 わたしが行くのはもちろん、一階だ。

≪わたしは一階に行くけれど……二人はどうするの?≫
≪私たちは二階から見させてもらうとしようかな。……チトセ、あまり危ないことはしないでくれよ≫
≪あら、なんのことかしら?≫

 笑顔で返せば、エドガーさんはやれやれと肩を竦めて、ヘレナさんを誘って広間を出て行った。
 宇都宮さんが神妙な面持ちで出入り口に立っていて、気を引き締めてそちらへ向かう。
 花火は既に上がり始めていて、一階の客間に集まった参加者たちが窓際から外を眺めていた。部屋に入り、ソファに腰を下ろしている男と、少女を見つける。
 男はフランツで間違いない。怯えた様子の少女は、宇都宮さんの娘、光莉ちゃんだろう。
 ソファに近づいて、光莉ちゃんと目を合わせた。

「あら、可愛いお嬢さんがいるじゃない。こんばんは」
「こ、こんばんは……」
「光莉ちゃんよね? パパが忙しいから、こちらの方に遊んでもらっていたのね?」
「う……うん」
「でも、今は花火が上がっているわ。お姉さんと一緒に見に行かない?」
「いいのかな……?」

 おずおずとフランツの顔を見上げる光莉ちゃんは、たぶん英語がわからないのだろう。
 ナイフを突きつけられ、逃げようとすると襲われることだけ学習してここにいるだけだ。
 一度日本語でこの子に花火を見せてもいいかしら、と問いかけてみたが、フランツは首を傾げるだけだ。やっぱり、フランツは日本語を理解していない。花火を示すジェスチャーをしなくて正解だった。

≪ミスター・フランツ! この子が花火を見たがっているの、少し借りてもいいかしら?≫
≪あ、あぁ……元気な子どもの相手に少しくたびれてたんだ、頼むよ≫

 英語でもう一度話しかければ、今度は気まずそうな反応が返ってきた。
 さすがに英語を理解できる人間が大勢いる中で断ることはできなかったらしい。

「いいみたいよ、光莉ちゃん。さぁ、いらっしゃい! 怖いおじさんから離れましょうね」
「! うん……っ」

 最後の言葉で助けに来たのだと理解してしがみついてきた光莉ちゃんの背を押して、フランツから庇う位置取りをしながら、窓際まで連れて行った。
 参加者たちも小さな子どもに特等席を譲ってくれて、光莉ちゃんは人垣に守られるかたちになった。
 きらきらと飛び散る色とりどりの炎に、光莉ちゃんも他の参加者も見入っている。わたしは火薬が弾ける音も歓声も耳に入らず、後ろを気にしてしまう。
 窓際の賑やかな音に紛れて、花火が終わった頃にはフランツは姿を消していた。


********************


 フランツが密やかに逮捕され、トラウトは逃したものの白鳥警部補は大手柄を上げたらしい。
 宇都宮さんが花火を上げたことが、フランツにとっては大誤算だっただろう。
 クラウセヴィッツ夫妻にも宇都宮さんと白鳥警部補から事の次第が伝えられ、宇都宮さんが通訳料をすべて肩代わりさせてくれと申し出た。
 まぁお金はどちらにしろ入ってくるからいいか。そう思いながら、脇に置いたキャリーバッグの持ち手をなぞる。
 クラウセヴィッツ夫妻は商談の翌日の正午過ぎの便で帰るつもりだったので、警察が後始末をして説明に来てみたらフライトの時間が迫っていて、説明はかなり早口だった。
 ひとまず彼らにはトラウトに気をつけてもらうことにしたらしい。フランツの失敗を感じ取ったのか、トラウトは忽然と姿を消していたのだ。
 ゲートの向こうに姿を消したクラウセヴィッツ夫妻の背を見送り、連絡先が綴られたメモ用紙を手帳に挟む。メールぐらいはできそうだから、あとでメールアドレスを取得しよう。
 さて、残るは見送りに来てくれた宇都宮さんと白鳥警部補か。

「本当に助かったよ! 君にもなんてお礼を言ったらいいか……!」
「いえ、大したことはしていないですし……」
「通訳料は僕の方から払うから。小切手でいいかい?」
「あ、はい、手渡しならなんでも……」

 預金口座を持っていないので振込をしてもらうことはできない。
 白鳥警部補が何やらじっとこちらを見てきているので、手渡しを希望する理由を何か勘繰っているのかも。
 内心冷や汗をかきながら、小切手とメモ用紙を受け取った。……メモ用紙?

「……なんですか、これ?」

 メモ用紙には、宇都宮さんの名前と、電話番号とメールアドレスが書かれている。

「僕のプライベートの連絡先だよ。君に何か困ったことがあったら、相談してくれ。きっと力になるから」
「ありがとうございます」

 とりあえず、素直に受け取っておくか。
 エドガーさんの連絡先同様に、手帳に大事に挟み込んだ。

「それじゃあ、午後は会議の予定があるからもう行くよ。今度光莉と遊んでやってくれ」
「はい、機会があれば」

 爽やかに去っていった宇都宮さんの背を見送って、最後に残ったのは説明の時以外口を閉ざしている白鳥警部補。

「あの……何か?」
「いえ、そのキャリーバッグが気になりまして」
「え? あぁ……、今回のために泊りがけだったので」
「なるほど、お住まいはどちらに?」
「……答える必要がありますか? 周囲に人がいるこの状況で」

 米花町をうろついていることは、調べられればわかってしまう。
 だから、明確に答えることをせずはぐらかすことにした。ちょうど周囲に人が多く、女性が住んでいる場所を明かすのはリスキーだと捉えてくれるだろう。

「あ、いえ……私の興味本位で、失礼しました」
「では、わたしも用がありますから失礼しますね」

 会釈をして、白鳥警部補に背を向ける。
 まさか主要人物に会ってしまうとは思わなかった。しかも、警察に。
 別の質問を投げられる前に用があると言って帰ってきて正解だ。
 空港を出て、タクシーを捕まえて"近くの法務局へお願いします"と伝えた。

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