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 哀ちゃんといい赤井さんといい、何故ああもわたしの前でトラブルに見舞われてくれるのか。あの辺の血の繋がりはそういう縁でもあるのだろうか。しかも大変に困っているようすを見せてくるのだから、宇都宮さんに言わせると"お人好し"なわたしには見兼ねて助けるという選択肢しかない。
 けれど今回はいい歳した大人の男なのだ。組織の影に怯える無力な少女ではない。どうせ一人でどうにかできたのだろうし、助けたことを少しだけ後悔した。
 今度からはきちんと顔まで確認してから助けに入ろう。学習した。
 現実逃避をしていたら、意識を引き戻すように捕まえられた手に力を加えられた。痛くはない。危害を加える気は本当になかったのだろう。話を聞いてほしいというだけで。

「俺は米国の警察官でな」

 耳元に口を寄せられて、低い声で囁かれる。
 とびきり低いのに柔らかさを含んだ声が、吐息と一緒に耳を擽って身震いしそうになった。
 待って待って、これは耐性つけてない。
 やりたいことはわかる、仲睦まじく囁き声で言葉を交わす恋人を演じたいのだと。
 あぁなぜソフトドリンクなんて素直に受け取ってしまったのか。あのまま酔っていれば多少顔が赤くても問題なかっただろうに。本来なら化粧で隠れてそう見えないだろうことはこの際置いておく。

「日本でのこの件に関する捜査の許可は得ている。これを見れば納得していただけるかな」

 "この件に関する"、か。別件についてはそうではないと暗に言っているようなものだけれど、大丈夫なのだろうか。
 けれど、これもわたしが"知っている"からこその受け取り方。気にしないことにするしかない。
 男たちに見えないように提示されたのはFBIの身分証で、これを知ったからには警察関係の組織に協力せざるを得ないと踏まれたということだ。記載された"赤井秀一"という名前に、あぁやっぱり本人だ、と内心げんなりする。知り合いたくない人間ランキングで首位を争う男であることが確定してしまった。どうしてこうも知り合ってしまうのだろうか。
 降谷さんと接触することのないように気をつけなければならないこちらの身にもなってほしい。
 そして、わたしが無償で情報提供をするのは彼にのみだ。なんだかんだとけじめはつけなければと報酬は渡されるしそれも貰っているけれど、なければないでそれは構わないと思っている。
 けれど本当にそれは彼と彼に関わる人間から頼まれた場合に限った話で、利害の一致なしに、別の人間の頼みを聞き入れるなどありえない。
 まして命の危険も伴うような案件なら。
 会話を理解してしまっていることは見抜かれている。多少無理があっても、五ヶ国語を話せる設定でいくしかない。コナンくんとの会話の中でドイツ語が加わらないことを祈るしかない。
 バーでちょっと飲むだけで終わらせようという心積もりが呆気なく霧散し、少し自棄になりかけた。
 ……いや、まだ手はある。

「……わたしは仕事しかしない主義なの」

 報酬はきちんともらいますよ、という意思表示。
 そもそもボランティアをさせようという気でいるのなら、端から関わり合いたくない。

「無論、相応の報酬は支払わせてもらおう。言い値でいい」
「その言葉、録音されてるんでしょう。後悔しても知らないわよ」

 報酬に関する返答は予想の範疇。暗に"安くはない"と伝えてみる。

「しないさ、絶対にな。――チェックだ」

 赤井さんはわたしの分までスマートに支払いを済ませ、スツールから立ち上がった。足が浮かないのはちょっと羨ましい。……そうではなくて。
 わたしがついていけない。これまでのやりとりでどうして報酬の面でも大丈夫だと思い至ったのだろう。まさか、お人好しだってこの人にも思われたのか。そこに付け入られているのか。
 悶々としながら、どうしたって数センチは飛び降りるかたちになるスツールからエスコートを受けながら降りた。
 支払いのとき以外、右手を離してくれる様子はない。これはもう、諦めるべきだろう。
 エレベーターで一階まで下りて、ネオンが目立つ通りを歩く。……いい加減離してくれないだろうか。
 逃げるなんてことしないし、現役FBI捜査官の彼と、普段通訳や翻訳の仕事をしているわたしでは勝ち負けなど火を見るよりも明らかだ。

「時間がないのは事実だし、訳すのならその音声が欲しいのもまた事実。わたしの自宅兼事務所でいいのなら、帰ってすぐに訳してあげる」
「……家に見知らぬ男を上げるのは感心しないぞ」

 横を歩く顔を見上げると、渋面をつくっていた。父親か。生徒指導の先生か。
 人の手を握って逃げの手を封じている男の言葉とは思えない。

「見知らぬ男の家やホテルに連れ込まれる方が怖いわよ。安心してちょうだい、何かあったら髪でも皮膚でも引っぺがして警察に駆け込んでやるわ」
「まったく安心できんな。それは何かあってからの話だろう。君はもっと自衛をすべきだ」
「警察官なんでしょう? 身分も名前も確認済み。あなたは悪さができる状況にないと思っているけど? 後先考えなくなるほど女に飢えてるわけじゃあるまいし」

 あえて明け透けに言ってみるけれど、赤井さんは渋面をつくったまま。

「信頼してくれているのはありがたいが……、君はどうにも」
「何なら日本の警察でも同席させましょうか? 知り合いがいるの。この時間でもすっ飛んできてくれるわよ」

 お説教は聞きたくない。名案とばかりに伝えると、赤井さんは眉間の皺を深くした。

「勘弁してくれ。"お前たちの手を借りる必要などない"と言われてすげなく追い出されるのが目に見えている」

 降谷さんや風見がそっくりそのままの言葉を言うであろうことは容易に想像できた。つい笑いが漏れる。
 いや笑っている場合じゃない。これはこっそりでも連絡を取るべきだろうか。FBIというか赤井さんを憎んでいる降谷さんに言うのは怖いな、比較的穏やかな白河さんか藤波さんにしよう。

「言いそう。ま、黙っといてあげるわよ。奢ってもらっちゃったし。わたしがあなたに協力したってこと、今後も日本の警察には内緒ね」

 捕まっていない手で立てた人差し指を唇に当てて見上げると、赤井さんは溜め息をついて"こちらこそ頼むよ"と答えた。
 それ以降、お説教のような言葉は降ってこなかった。
 心なしか勝った気分だ。しかし十数分前の自分のミスを思い出し、やっぱり少し落ち込んだ。

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