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 至近距離で合う視線は、まっすぐに見られているというのに無遠慮さを感じさせない。
 いい加減背伸びをし続けるのも辛かったので足の力を抜くと、胸に添えたままだった手を支えられた。
 うん、これすっごい恥ずかしい。もう二度とやらない。

「……日本語、話せる?」
「あぁ。助かったよ、ありがとう」

 赤井さんは口角を上げて、知っているより幾分か柔らかい声で答えてくれた。よかった、怪しい人物だとは認定されなかったらしい。
 実際対面してみると、なるほどあれほどの美女がしつこく言い寄るほどのいい男だとわかる。鋭さの中に知性を湛えたモスグリーンの瞳は、確かに惹かれるものがある。
 これで更に話しかけてしまってはあの女性と同じことだと思い直して、一歩下がった。
 失礼なことを言ったということだけ謝罪をすることにした。

「どういたしまして。ごめんなさいね、覚えのないことを責められて、あまりいい気分はしなかったでしょう」
「いや、君の思惑には気づいていたからな。それよりさっきはなんと言って退いてもらったんだ?」
「"彼が一人じゃないとわかったでしょう、邪魔をしないでちょうだい"ってね」
「なるほど。なら少しの間、付き合っていただいても?」

 何が何でも一人でいたいわけではなかったらしい。
 いや、わたしといれば人払いができそうだと踏んでのことか。おそらく、わたしが彼が一人でいたいのだと思って気を遣ったことにすら気がついて、踏み込んできたに違いない。

「かまわないわ。わたしも一人で来ているし……あなたみたいな色男が隣にいた方が、悪い男も近づかない」
「言えているな」
「あら、色男っていうのは否定しないのね」
「いいや? 君のようないい女が隣にいた方が、興味本位で話しかけられることもないだろうということだ」
「……わたしも興味本位かもしれないわよ?」

 実際興味本位である。バーテンダーに言ったそのまま、熱烈なお誘いを受けるほどの色男がどんなのか気になったのだ。
 まさかそれが赤井さんだとは思わなかったけれど。この間コナンくんと出会ってから、同じぐらい厄介な彼は"今後知り合いたくない人間"ランキングで首位を独走している。僅差で組織の人間が追従しているかたちだ。

「助け船を出してくれるような興味なら大歓迎だ」
「そう? とりあえず、彼にも謝っておいた方がいいわよ」

 成り行きを見守っていたバーテンダーを手で示すと、赤井さんは騒ぎを起こしてしまったことを謝罪した。
 とはいえ、完全に彼はとばっちりを受けたかたちだ。誠実な態度で謝罪をしたためか入店拒否をされることもなく、こちらへ、と元々わたしが座っていた席に案内をされる。
 店の入り口での出来事への客の興味は、すぐに失せていたらしく誰もこちらに注目はしていない。後を引いていないなら大丈夫だろう。
 スツールに座る際には手を差し出されて、思わず素直にエスコートを受けてしまった。
 よく人を見ているのだな、と思う。そうでなければ、"あると助かる"程度にしか思わない些細な手助けを、初対面の人間相手にスマートに行えないだろう。
 ……さて、今夜の方針をどうするか。
 まだ知り合いじゃない。名前を名乗ってない。バーでちょっと縁があって、ちょっと一緒に飲んだだけの相手。よし、これで終わらせよう。
 氷が溶けて少しだけ薄くなってしまった三杯目のカクテルのグラスを空けて、さて次は何を飲もうかと棚に視線を巡らせた。

「クランベリー・ブリーズを彼女に。魔除けだ。俺はバーボンのダブルをロックで」

 了承の返事をしてカクテルを作り始めるバーテンダーを一瞥して、赤井さんの顔を見上げる。

「あら、クランベリー・ブリーズ?」
「甘いものの方が好きかと踏んだが……」
「いえ、合ってるのだけれど……、魔除けといえば、シルバー・ブレットかなって。どうして?」
「サードオニキスに近い色をしているからな。あれは悪い男を近づけない、魔除けの石だ。それに、少し目元が赤い。酔っているならソフトドリンクを挟んだ方がいい」
「……ありがとう」

 わたしが炭酸が苦手なことを知っているバーテンダーは、ソーダを入れずに完成させてわたしの前に置いた。
 続けてかろんと音を立ててオールドファッショングラスに丸い氷を入れ、ウイスキーを注いで赤井さんの前に置く。
 目を合わせて控えめにグラスを掲げ、魔除けの石の色をしたカクテルを口に含んだ。
 果実の香りが喉の奥を抜けて、レモンの酸味が甘い後味を引き締める。すっきりとした味わいは、確かに酔いが回っている体を落ち着かせてくれた。突然動いたことで、自分で思っていたよりもアルコールが回っていたらしい。

「……おいしい」
「それは何より」

 先ほどの支えといい、エスコートといい、飲み物のチョイスといい。
 恋愛は下手なくせに人を甘やかすのがうますぎるのではないだろうか。
 絆されないうちに帰ろうと心に決めて、ちびりとクランベリー・ブリーズを口に含んだ。

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