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 無事にイベントを終えた数日後、宇都宮邸に泊まりに来てくれと誘われた。
 何かと思ったら、わたしを呼びたがったのは宇都宮さんでも光莉ちゃんでもなく、ナディアさんなのだという。
 どうしたのだろうと思いつつ、予定を確認して。昼間に仕事が入ってしまうけれど、夕方からなら泊まりに行って次の日もゆっくりできる、という日を見つけてそれを伝えた。宇都宮さんはすぐさま予定を調整してくれて、お泊りの日取りがさっくり決まったのだった。
 そうして遊びにやってきて、夕食をいただいて、大きなお風呂にも入らせてもらって、ふかふかのバスタオルの感触に感動して。やっぱりお金持ちはすごいなぁ、という捻りもない感想を抱きながら、使用人の一人にナディアさんの部屋まで案内された。
 ナディアさんはわたしを迎え入れると、さぁさぁと大きなベッドに誘ってくる。
 脇の小さなテーブルには、ハーブティーらしきものがセットされていた。
 柔らかいベッドに驚きつつ、ナディアさんに誘われるままベッドの上に乗った。

「普段は主人と一緒に寝るのだけれどね、今日は私はこちらに来て、光莉に一緒に寝てもらっているの」
「仲がいいんですね。わたしはお邪魔じゃないかしら」
「そんな、とんでもない! でも、主人ばかりずるいと思ってしまうのよ。私も、千歳さんとお友達になりたいって思ってしまって。だから今日、お呼びしたの」

 なるほどそういう。邪魔だとも思われず、むしろ友人になりたいとまで言ってもらえたのは喜ぶべきだろう。
 宇都宮さんがわたしにあれこれと世話を焼いていることはナディアさんも知っていただろうし、不倫かもしれないと思われても申し訳ないと思っていたのだ。

「千歳さんと知り合ってから、貴彦さんは通訳も翻訳もあなたにしか任せていないの。きっととても信頼できる人なんだろうって、ずっと思っていたわ。それに、貴彦さんは新しい車でのドライブにあなたを誘うし、光莉も何度も遊びに行きたいってねだるほど、とても懐いているし。……なんだか私だけ千歳さんと仲が良くないみたいで、悲しかったのよ」
「なるほど。じゃあ、今夜は女子会ね?」
「そう、そうね、女子会。美穂ともこんなことしなかったから、とっても新鮮だわ」

 ぱぁっと顔を明るくするナディアさんに、数日前の心の傷はだいぶ良くなっているのだとわかって少し安心した。
 惚気話を宇都宮さんからばかり聞かされていたから、振る舞われたハーブティーを飲みながら、ナディアさんにも同じことを聞いてみて。明らかに宇都宮さんが自分を格好よく思わせるために脚色している部分がわかったときは、つい笑ってしまった。
 車に夢中になってしまうのが寂しいなら、素直にドライブをお願いしてみたらどうかと言ってみたりもして。
 ナディアさんは気兼ねなく話せる相手ができたことがうれしいようで、それはそれは楽しそうに語って聞かせてくれた。
 少女に立ち返ったように頬を上気させて話す姿は、とても可愛らしい。外での自分にこれぐらいの可愛げがあったならと、少しだけ思ってしまう。
 ハーブティーを飲み終えてカップをテーブルに戻すと、ナディアさんはぽふんと枕に頭を置いた。

「私ばっかり話してしまったわね。ねぇ、千歳さんのお話も聞きたいわ。できれば恋のお話を」
「そう言われてもね……。昔っからそういう縁がなかったし、ナディアさんたちみたいなロマンチックな出会いがそうそうあるわけもなし。今も仕事仕事で、そんな暇ないのよ」

 ご期待に添えなくて心苦しいけれど、実際にそういう話は持っていないし、こちらでもそんな暇はなかったという設定だ。

「そう? 気になる人の一人や二人、あなたならいてもおかしくないと思うのだけど」

 ナディアさんに言われて、それはたしかに、と思う。
 ふと思い浮かぶのは、ソファに座り手を組んで、わたしを射抜いた青い瞳だ。
 これが恋なのかと問われても、わたしは答えることができない。けれど、気になる――ということなら、それは、当てはまるのかもしれない。

「そうね、気になる人はいるわ。恋かどうかもわからない、とっても頼りにしている人」

 ナディアさんに倣って枕に頭を預ける。
 リモコンで部屋の電気が消されて、ヘッドボードに置かれたオレンジ色のライトの暖かい光が胸のあたりまでを照らした。

「それが恋だとしても叶わない、無意味なものよ?」
「あら、相手がいるの?」
「いいえ、それどころじゃない人なの」
「そう。……わかるといいわね。きっと、それが恋じゃなくても、恋だとわかって叶わなかったとしても、もちろん叶う恋だったとしても。いい思い出になるわ。必ず」

 思い出にするには重すぎるだろう。
 いずれは別れる身で、何ができるというのだろう。
 そうとわかっている風見の方が、会えるうちに楽しんでおこうと気さくに対応できるというのに。
 何より、別れるのが辛くなるようなものを、つくりたくない。

「そうね、恋はきっと楽しいものね」

 小さく答えた声に返事はなく、天井を眺めていた視線を真横へと移せば、ナディアさんは寝息を立て始めていた。
 ハーブティーを飲んでいたのだし、普段はそんなに夜更かしもしないはず。
 いつもより無理をして起きていて、すっかり眠気に負けてしまったのだろう。
 薄い毛布を肩までかけて、すやすやと眠る新しい友人の可愛らしい寝顔を眺める。
 この人とも、いつかはお別れをするのだ。

「……おやすみなさい、ナディアさん」

 質のいい寝具は質のいい睡眠をもたらしてくれる。
 翌日は、二人して寝坊して笑い合った。

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