04
「ミスター・クラウセヴィッツ、お待ちしていました」
≪歓迎してくれているわ≫
≪お招きありがとう、ヘル・ウツノミヤ!≫
「お招きありがとう、宇都宮さん、と」
トラウトもフランツも英語かフランス語を話せるのだろうか。使い慣れた母国語で商談をしたいというから今回わたしがドイツ語と日本語を訳す仕事を引き受けたけれど、エドガーさんも英語は話せたはずだ。そうでなければ、特にフランツは孤立無援で脅しをかけるなど難しいだろう。
「穂純さん、クラウセヴィッツ氏は英語の方は?」
「話せますよ」
エドガーさんに宇都宮さんが英語で直接話したがっているのだと伝えると、エドガーさんは快く受け入れた。
ヘレナさんを紹介していて、どうやらこの場に自分は必要なさそうだと踏んでお手洗いを借りる。さすがは社長邸宅、男女で分かれているし個室も二つあって小さなお店並みの規模だ。ホームパーティーも頻繁に開いているに違いない。
軽く化粧も直して廊下に出ると、ドイツ語で電話をする男の声が聞こえてきた。
≪あぁ! 宇都宮は問題なくクラウセヴィッツを誘き出した。安心しろよ、これが終わったらあんたも一緒に高跳びさせてやる。それまであいつの可愛い娘を離すんじゃねーぞ。こっちは宇都宮の嫁を手放しちまうんだからな≫
思わずお手洗いに戻って身を隠してしまったのは仕方がないと思いたい。
電話が終わったらしくパーティー会場用の広間に戻っていく足音を聞きながら、小さく息をつく。
まさかオットマー同士で手を組んでいたとは。なんだかとんでもない情報ばかり入ってくる。
どうせなら小さな名探偵も来てくれていないだろうかと考えるが、そもそも今、工藤新一くんが何歳なのかわかっていない。高校生なのは確かだし、つい最近のニュースにも載っていたのだけれど、それから小さくなってしまったのか、ニュースになるほどの大きな事件を解決していないだけなのかはわからない。
都合よくいるわけがないと思い直し、パーティー会場に戻った。
人はぞろぞろと集まっていて、その中に見たことのある人物がいた。
「……警察に連絡してないんじゃなかったっけ」
「あぁ、白鳥さんか? 彼は単なる友人だよ」
単なる独り言のつもりで言ったのだけれど、偶然近くにいた宇都宮さんには聞こえたらしい。
内心でばくばく鳴る心臓を抑えながら、友人、と繰り返す。
「前に娘が誘拐されたときに助けてもらったんだよ。以来送迎もきちんとしていたのに、まさか家の中に潜んでいたとはなぁ」
「フランツは、今はどこに?」
なぜ白鳥さんを知っているのかを訊かれては堪らないので、話をはぐらかしてみた。
「一階の、裏庭に面した客間だよ」
「裏庭……。花火でも上げたらどうです? その部屋で花火を見せたいから、部屋を変えるか普通の客人を装ってくれって言えば、なんとかなりませんか?」
「……しかし、うまくいくかどうか」
「部屋を変えるなら部屋を出るとき、そのまま留まるならこちらが部屋に入ったときに、わたしが居合わせて近づきます。どちらにせよフランツを"あなたの娘と遊んでくれている優しいおじさん"と認識しているふりをすれば、容易に手出しはできないでしょう」
エドガーさんはトラウトに話しかけられて、苦い顔をしながら受け答えしている。
法に触れるような荷物を引き受けたくないのは当然だろう。
メールが来たらしく、宇都宮さんはポケットに入れていたスマホを取り出して確認した。
「妻から、無事に解放されたと連絡があったよ。今は彼女の知人の家に匿ってもらっているそうだ」
「なら、あとは娘さんですね……。あなたが直接話せないなら、わたしから話をしましょうか? 白鳥さんに」
「頼めるかい?」
「ここまで関わってしまったら、見放すなんてできないでしょう」
「……すまない」
さてはわたしがこういう性格だと見抜いたうえで話を持ちかけてきたな。
やり手社長という噂は嘘ではないと実感しつつ、白鳥さんに近づいた。警部補なのか、警部なのかいまいちわからないが、警部になっているのなら間違いなく工藤新一くんは薬を飲まされた後のはずである。
「あの……」
「おや、珍しい。日本の方ですね」
このパーティーには外国人の方が多く参加していて、確かに日本人はあまり見かけない。
あちらから食いついてくれて助かったと思いながら、話を続ける。
「ええ、本当は通訳で来たんですけど……皆さん英語が話せるようなので、お役御免になってしまって。それで、同じ日本人らしいあなたをお見かけして、少し話し相手になってもらえれば、と思いまして……」
「なるほど。もうひとつの理由は、ここ数日宇都宮君が暗い顔をしていることと関係がありますか?」
表面上はにこやかに、まずい話をしているなどと周囲に気取られないように。
気を遣って笑顔を浮かべながら、話を続ける。
「よくお分かりですね。そうなんです、一階の客間に娘さんを捕らえて籠もっている男がいるらしくて」
「家にいられたので下手に警察に連絡が取れなかったというわけですか。いえね、こちらでも国際指名手配犯のオットマー・トラウトとオットマー・フランツが入国したかもしれないという情報を得て警戒はしていたんですよ。日本で傷害事件を起こしたという情報もありましたし。海運会社のクラウセヴィッツ氏と宇都宮君が商談を行うという情報も得ていましたしね。……そうしたらまぁ、ビンゴというわけです。トラウトは後回しでいいでしょう、クラウセヴィッツ氏もああいう輩への対処は慣れているはず」
「えぇ。……裏庭に花火を上げて、客人に見せたいから部屋に入れてくれって言うのはどうかって提案したんです。フランツが部屋を変えるなら、出てきたときに。宇都宮さんの友人を装うというのなら、部屋に入れてもらったときに。わたしが近づいて娘さんをフランツから引き離してはどうかと」
「なるほど。そして人質がいなくなったところを、我々警察が捕らえるということですか」
「我々?」
「えぇ、近くに部下を待機させています」
「驚いた、人を仕切る立場にいらしたんですか」
「警部補ではありますがね。上に許可はもらっています」
ということは、工藤新一くんはまだ黒の組織の取引を目撃していないか、してからさほど経っていない。
現在の時間軸の情報と、宇都宮さんが相談せずとも警察がいろいろと勘をはたらかせて準備をしてくれていたという事実。思いがけず得られた朗報に内心喜びながら、白鳥さんと簡単に打ち合わせをした。日本語がわかる人間が周囲に少なくて本当に助かった。
話がまとまったと目配せをすると、宇都宮さんがフランツに部屋のことを尋ねに行くというので、それを見送った。
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