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 控室に戻ると、最後の来客とすれ違ったところだった。
 お茶を口にする宇都宮さんは、ナディアさんと光莉ちゃんを見るなり強張っていた顔を綻ばせる。
 ドアを閉めて防音機能の整った部屋の外に音が漏れなくなると、それを確認するなりナディアさんに早足で近づいて抱きしめた。
 とりあえず近くのランチができそうなお店を探そうと、スマホを操作する。

「ナディア! 戻ってこないし、電話にも出ないし、……心配したよ」
「ごめんなさい、あなた。古い友人と会って、つい話し込んでしまったの」
「そうか、何もないなら良かったよ。光莉も、おかえり」
「うん、ただいまパパ」

 仲のいい家族の会話はいいものだ。つい顔が綻んでしまう。

「千歳ちゃん、助かったよ」
「わたしが見つけたわけじゃなくて、二人とも出てきてくれたんだけれどね。安心したらお腹が空いたんじゃない? ちょうどいいお店を見つけたけど、行ってみる?」

 スマホの画面を見せて問いかけると、それを見た宇都宮さんとナディアさんは"ぜひ"と揃って頷いた。
 歩いて行ける距離だったので、四人で連れ立ってお店まで歩く。
 光莉ちゃんの学校での話を聞かせてもらいながらランチを済ませて、また会場に戻ってきた。
 このあとは、プレゼン者が自分の展示のブースに立って質問に答えたりするのだっけ。
 バーボンを見かけても過剰に反応しないように気をつけなければと、改めて気を引き締める。
 控室が見えてきたところで、宇都宮さんの控室の隣のドアがバァン、と大きな音を立てて開け放たれた。

「誰か……っ、誰か! 社長が、社長がぁ……ッ!」

 艶のある黒髪を後ろで一つにまとめ、ぴしりとスーツを着こなす女性が、顔面蒼白で、足を縺れさせながら部屋から転がるようにして飛び出てきた。ひどい汗をかいている。冷や汗、だろうか。

「どうしたんだい? 落ち着いて、何があったのか教えてくれ」

 宇都宮さんはすぐさま駆け寄り、状況を確かめる。

「社長が、亡くなってるんです……! 誰かに刺されて、あぁ、あぁぁ……!」
「!?」

 宇都宮さんに縋りながら必死で部屋を指差す様子に、宇都宮さんと顔を見合わせる。
 まだ昼食から戻っていないのか、付近には人がいない。

「……確認してくるわ」

 正直なところ、グロテスクなものは得意じゃないけれど。
 彼女は宇都宮さんに縋ったままだし、ナディアさんや光莉ちゃんに確かめてきてくれと言えるわけもない。
 開け放たれたドアに近づくと、喉の奥をつつくような血の生臭いにおいが鼻を抜けた。部屋に入ると隣とまったく同じ構造の控室で、入って右手の壁に寄りかかって座り込み、若い男性が死んでいた。
 右目に突き立てられ、刃の根元までを頭に埋めているナイフ。恐怖に歪んだ顔。突き刺したまま抉られたのか、出血が多い。涙のように溢れた血が、頬、首と濡らして、ワイシャツに真っ赤なシミをつくっている。
 ――これは、見せてはいけないものだ。
 吐き気を飲み込みながらすぐさまドアを閉め、宇都宮さんに電話をかける。

『千歳ちゃん!?』
「二人には絶対に中を見せないで……! 警察を呼んで、すぐに!」
『まさか、本当に人が……!?』

 口元を押さえて吐き気を堪えながら近づいて、念のために血で汚れていない左側の耳の後ろに触れる。普通は容易く脈を感じられるはずなのに、それがない。体温が低い。

『どうしたの!?』

 電話の向こうで、コナンくんの声がした。
 あぁやっぱり、殺人事件が起きたとなれば彼が来るのも道理だろう。
 偶然。そう、偶然だ。降谷さんも、割り切ってしまえばいいと言っていた。

『この部屋の中で、人が殺されているみたいで……、今、僕が雇った通訳の女性が、中を……』
『!! お兄さん、電話貸して! ……お姉さん、大丈夫!?』

 コナンくんのあまりの剣幕に、宇都宮さんは素直にスマホを渡したようだ。

「あなたは……」
『さっき博士の控室と、自動販売機のそばで会った子どもだよ! どうなってるのか教えて、お姉さん』

 冷静な声に、不思議と安心してしまう。
 宇都宮さんさえも動揺しているこの状況で、なんて心強いのだろう。

「……右目を、下から刺されて、抉られてるわ。たぶん、脳に刺さって……、脈が、ないの。体温も、普通より低い……気がする」
『!! 博士、警察と念のため救急車! 灰原と光莉ちゃんを連れて控室に戻ってくれ!』
『あ、あぁ!』

 遠くでバタバタと数人分の足音が聞こえる。
 良かった、一番見せたくない子は離れてくれたようだ。

『光莉ちゃんは博士が面倒見てくれるから大丈夫だよ。お姉さん、入ってもいい?』
「……だめよ、子どもが見ていいものじゃない」
『大丈夫だから! ……って、鍵開いてんのか!』

 ドアノブを回してみたら、開いたらしい。
 好奇心旺盛で、事件と聞けば知りたがらずにはいられないコナンくんなら、そうすると思っていた。
 だから鍵はかけなかった。"子どもが見ていいものじゃない"と制した。


 "いい? 嘘をつくこと、何かを隠すこと、そういうのに対する罪悪感は捨てるんだよ。大丈夫、私たちがわかってる"


 どんな状況でも、疑われない状況を整えること。
 殺人を疑われてもいい、それはやってさえいなければいずれ誰かの有罪の証拠が見つかるから。
 けれど出生について、持っている知識について、疑念を持たれるような言動をしてはならない。
 不謹慎だと嘆く自分の良識と、それでもこうして巻き込まれたがために疑われたくないという本心と、折り合いはまだつけられそうにない。

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