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 こんなところで声をかけてくるだなんて。
 事件が起きているのだろうかなんて思ってしまうのは、まだ意識の片隅にここが物語の世界であるという認識が残っているからか。降谷さんの右手の傷痕を思い出して、その思考を振り払う。
 声の方を振り返ると、そこには想像に違わずコナンくんが立っていた。
 光莉ちゃんはこちらを見上げて、完全に任せてくれる様子だ。

「この子は宇都宮さんの娘さんなんだけれど、飲み物が欲しいって言うから連れてきたの。宇都宮さん本人は来客応対で忙しいしね」

 嘘は言わない。そこの角からだって、光莉ちゃんを連れてきたのは事実だろう。
 宇都宮さんが忙しいのも本当。

「ふーん? お母さんは?」
「所用で外してるの」
「そうなんだ、じゃああの時飲み物は買ってもらえなかったんだね?」
「……どういうこと?」

 答えに詰まったら、何を思って聞いているのかを問い返すのがいい。
 コナンくんが持っている情報が掴めないし、どういう意図で話しかけてきたのかもわからない。

「五十分くらい前に、その子とお母さんがトイレのそばで話してるのを聞いたんだ。"飲み物を買っていこう"って」

 博士のプレゼンが終わった頃だろうか。
 二つ目に確認したトイレは、たしかに博士の控室から一番近い。ホールから戻る途中に近くを通ったのなら、見かけていてもおかしくはない。
 光莉ちゃんはナディアさんとトイレのそばで飲み物を買う話をして、この自動販売機に来た。そこで飲み物を買ってもらえずにナディアさんが立ち去ってしまって、人目につかない突き当たりの廊下で待ちぼうけを食っていた。
 その間のことがコナンくんにわかるはずがない、一度光莉ちゃんが戻ったのだと言ったところで、嘘だとは思われないだろう。けれど、嘘をつくのは得策ではない。

「話を聞く限り、そうみたいね。哀ちゃんを連れていった後宇都宮さんの控室に戻って、それからお願いされたから」

 何を、とは言わない。お願いされたのは本当だけれど、頼まれたのは"光莉ちゃんを自動販売機まで連れていくこと"ではなく"ナディアさんと光莉ちゃんを探すこと"だ。
 光莉ちゃんはコナンくんを警戒した様子で、きゅっとわたしの腕に抱きついてコナンくんの顔を見つめている。

「あら、千歳さん?」
「!」

 耳慣れた声が後ろからかけられる。振り返ると、ナディアさんがちょうど角から出てきたところだった。

≪あなたの旦那さんが心配してたわよ≫
≪? えぇ、ごめんなさい。少し……旧友と話し込んでしまって≫

 視線が右へと逸らされる。髪を耳にかけて、崩れてもいない襟を直してと、右手が忙しない。
 ……嘘をついている?
 フランス語で尋ねた意味は理解してくれたのだろう。――聞かれたくない、と。けれど、そうしても何かを教えてくれる気配はない。

「それならいいんですけど。さ、控室に戻りましょう。そろそろ来客応対も終わるはず。ランチの時間だもの」
「えぇ」

 光莉ちゃんはナディアさんに駆け寄って、うれしそうに手を繋ぎ控室へと戻っていく。
 "じゃあボクも戻ろうっと"なんて言ってくれないかと期待してみたけれど、コナンくんはわたしに体を向けたまま、目だけで二人の背を見送っていた。
 気にしてはいるけれど、何かする気もないのだろう。
 それならいいかと、二人の背を追って一歩踏み出す。

「ねぇ、お姉さん」
「?」

 呼び止められたのだとわかり、足を止める。
 左手を掴まれた。所詮は子どもの力だ、振り払うことは容易い。けれど、それはしない。子どもの戯れに怒るなんて、疑ってくださいと言っているようなものだ。

「お姉さんは、ボディーガードか何かなの?」
「変なことを訊くのね。どうして?」

 コナンくんの無邪気な笑みに対抗するように笑みを浮かべて、首を傾げて問い返す。
 手を掴んだのもそれを確かめたかったからだろう。生憎と、肉刺もできていない貧弱な手だけれど。

「……ううん。なんでもないや。呼び止めてごめんね」
「そう? それならいいけど。じゃあね」
「うん、またね、お姉さん」

 できれば"また"の機会はこないでほしい。
 コナンくんが何を思ったのか、なぜボディーガードかなんてことを訊いてきたのか、さっぱりわからない。
 先に歩いていた光莉ちゃんに呼ばれて、ヒールを鳴らして慌てて追いついた。

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